"おいない"の京都最新情報

 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

§「七夕」の七日、京都市内の神社では、ササ飾りが並ぶ境内で、さまざまな七夕行事があり、大勢の参拝客でにぎわった。

北野天満宮:「七夕祭」

北野天満宮では、午前中に神前に菅公愛用の「松風の硯」や水差し、梶の葉(短冊の代用品として使われていた)、季節の野菜、御手洗団子等をお供えして御手洗祭を行います。
また、午後から七夕祭として、楼門前広場で七夕の踊り等があります

地主神社・「七夕祭」:ササに結ばれたこけし形の短冊

地主神社と言えば本殿前の「恋占いの石」が有名ですが、今日は七夕の日。紙の「七夕こけし」に、自分の名前と相手の名前をそれぞれ仲良く書いて笹竹に吊し、良縁達成・恋の成就祈願をします。
縁むすびの神さま、大国主命主祭神として祀っており、境内にある一対の「恋占いの石」。一方の石からもう一方の石へと、目を閉じたまま歩いて無事に辿り着く事ができれば恋が叶うと言われています。

白峯神社:蹴鞠奉納(観客)04’、7

★「七夕」の七月七日、平安時代に蹴鞠を大成した公家・飛鳥井家が守護神として「球技や技芸の神様」として知られる精大明神を祀る上京区白峯神宮で、恒例の「精大明神例祭」が催され、境内では蹴鞠保存会による蹴鞠奉納と「織り姫」「彦星」役の他、地元の五歳から十二歳までの女児二十人が、元禄時代の鮮やかな衣装に身を包んでおしろいに紅を差し、太鼓を打ち鳴らし、短冊で飾ったササの周囲を音頭に合わせて優美な七夕小町踊「織姫舞」を奉納する。
小町踊りは、元禄年間に西陣の少女が芸能の上達を祈り踊り歩いたことや、公家が七夕の日に詠んだ歌を御所に届ける文使の共が、道中で舞った踊りが始まりとされる。同神宮では元禄時代の衣装を復元し、一九六二年から毎年この日に披露される。蹴鞠の奉納も行われる。

白峯神宮で小町踊り

§蹴鞠について§
日清戦争の際、広島の大本営で京都在住の公家が明治天皇に蹴鞠を披露した。その後、天皇から蹴鞠を保存せよとの御下賜があり、明治三十六(一九〇三)年に蹴鞠保存会が出来た(今年で創立百十年目)。
雅な王朝風の遊戯であり、サッカーの元祖とも言われる。
蹴鞠の歴史は、約千四百年前に中国から仏教とともに日本に伝わった。
鎌倉時代には後鳥羽天皇のバックアップもあり、「蹴鞠道」として出来上がった。
公家は「歌鞠両道」といって、和歌と共に蹴鞠は必要条件だった。
蹴鞠は勝ち負けがないのが特徴で、使うのは右足だけで、ひざを曲げず、靴を地面に擦るようにして蹴る。鞠を受けたら三回目に上半身は動かさずに相手に渡すのが基本。
蹴鞠の際の掛け声「アリ」・「ヤウ」・「オウ」の意味は神様の名前を呼んで応援を請うている。アリは夏安林、ヤウは春陽花、オウは秋園。鞠の製法は裏返しにした二枚の鹿皮を、馬の背皮で縫い合わせている。
蹴鞠を行う庭は約十五㍍四方の大きさで、四隅に掛かり木があり、神様が宿っているとされ、鞠庭に入るのは、神仏に祈るような心境。装束にも特色があり、装束や烏帽子は位によって色や形が違う。袴は張りがある葛で作られる。鞠靴は革の靴と足袋をくっつけ形で、脱げにくい。
「逸 話」… 蹴鞠で脱げた中大兄王子の靴を藤原鎌足が拾ったことで二人が接近し、六四五年の大化の改新につながったと言われる。 

貴船神社「水まつり」(横長」)

★京の奥座敷・洛北貴船の貴船神社は生活に欠かすことの出来ない水を司る神社として、水商売をはじめ、酒屋・風呂屋・傘屋・染色業・農業の人など、水のおかげで生活できる人々の信心を集め、又船員や船旅に出る人が、お参りに行きます。平安朝の昔には、朝廷の勅使が雨乞いのときには黒馬を、止雨のときには白馬を神前に奉納して祈願したといわている。
現在も三月九日に行われる雨乞祭にそのなごりがしのばれる。
七月七日には京都の年中行事として有名な「貴船の水まつり」が毎年盛大に行われます。この祭りは水徳をたたえ一年の水の恵みに感謝をこめて祈願するものです。
神事の他、裏千家による献茶・楽辰會の舞楽奉納・烏帽子姿の生間流家元による式包丁があり、古式にのっとった鯛、鯉の料理が披露され、藤森神社鳴鳳雅楽会の雅楽雅楽奉納が行われます。
全国から水関係の信者が毎年多数参拝されているようです。
八月六日までは、貴船一帯日没から午後八時まで「七夕ササ飾りのライトアップ」が行われる。(土・日・祝日は午後九時まで) 八月十五日まで。
青竹の筒に入れられたろうそくの光が、優しく足元を照らします。 

☆また、山峡の風情を味わう「貴船川納涼川床料理」で自然の涼しさいっぱいの京の別天地へお越しになっては如何でしょう。
残暑の厳しい京都、九月中旬頃までは賑わいます。十六軒の料理屋さんが貴船川に沿って立ち並んで居ります。どことも川に床を出しての席で情緒と涼しさは抜群です。
その分、料理のわりには値段は少々↑?のようです。

貴船神社・水まつり:「生間流家元奉仕による式庖丁」
§ 周辺の見所は §
貴船神社は水の神様と共に縁結びの神様としても有名で、男女の縁だけでなく、人と人との縁も結ばれると言われ、子授けなどあらゆる縁結びに霊験あらたかであると伝えられています。
下流に蛍岩と呼ばれている大きな岩があり、平安中期の歌人和泉式部が夫の心が遠のいたのを嘆いて、祈願したときに詠んだ歌の場所です
▲もともと貴船神社の本社であった今の奥宮の神殿の下には日本三大竜穴の一つ、貴船竜穴(その他 大和の室生竜穴、備前の竜穴)があります。

       【祇 園 祭 シ リ ー ズ】

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山鉾巡行で綾傘鉾の先頭を歩く稚児に選ばれた五~六歳の男児六人の「社参の儀」が七月七日、八坂神社であり、巡行の無事を祈った。
六人は、町内の子どもとして受け入れる儀式の「結納の儀」を済ませ、金色の烏帽子と華やかな狩衣姿の稚児が保護者に連れられ、八坂神社の南楼門から入り、本殿に上がった。玉串を奉納し、神木のスギの葉を包んだ「杉守り」や、宮司から「神の役」を務めることを認める「祇園祭神役之事」と書かれた「宣状」を順番に受け取り、正式な稚児と認められた。
続いて「お千度の儀」では、本殿の周囲を歩いて三周回り、正面と背面で手を合わせ、巡行本番の安全を祈る。
綾傘鉾の稚児は保存会の推薦を受けた子どもから選ばれ、山鉾巡行(十七日)では綾傘鉾の先頭を歩く。

八坂神社・七夕祭祇園甲部芸舞妓みやび会:「お千度」

祇園祭の雰囲気が高まるこの時期に、井上流門下生による祗園甲部「みやび会」の芸舞妓約八十人が夏場の健康と芸事の上達を祈願する恒例の「お千度」を七月七日、祗園・八坂神社で営まれた。
京舞井上流家元の井上八千代さん門下生らが新調したそろいの白い浴衣姿で勢揃いし、境内は華やいだ夏の風情に包まれた。京舞井上流のお弟子さんたちは家元の井上八千代さんに「おはようさんどす」と挨拶を交わしたあと、本殿の周囲を静かに歩いて願をかけた後、本殿神職からお祓いを受けた。
今年の浴衣は白地にひょうたんをあしらったデザインで、日傘を手にした芸舞妓たちが午前九時半ごろから次々と神社を訪れた。いかにも涼しげなデザインの新調した揃いの浴衣姿で参拝し、境内を華やいだ雰囲気に包んだ。境内を華やいだ雰囲気に包んだ。
居合わせた観光客らや大勢の写真愛好家たちは、京情緒が漂う光景に参
拝姿をカメラに収めていた。

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    [祇 園 祭 シリーズ]

 

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祇園祭山鉾巡行で先頭を行く長刀鉾の神事始め「吉符入りの儀」が五日営まれ、今年務める稚児が巡行の際に鉾の上で舞う「太平の舞」を、鉾の立つ町会所の二階から四条通に向かって披露した。
長刀鉾保存会の役員や囃子方など約五十人が出席し、稚児と禿の名前を書いた吉符を神前に納め、祭りの無事を祈った。
続いて、クジャクの羽を飾った「蝶とんぼ」の冠をつけ、青海波に鶴模様の藤紫色の振り袖に、薄緑紗の肩衣袴を着用し、りりしい姿で二人の禿とともに二階の窓辺に現れ、ゆったりした奉納囃子が演奏される中、天下太平と五穀豊穣を祈って、前方に大きく身を乗り出して円を描くように優雅に舞った。 稚児係りに支えられ、会所の窓から身を乗り出すと、市民や観光客はカメラのシャッターを切っていた。
     [京 の 季 節 の 花 だ よ り]

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 東山区東福寺塔頭・勝林寺で四日、一本の茎に二つの花を付ける「双頭蓮(れん)」が咲き始めた。同寺は「古くから良いことが起きる前触れとされる。幸福をもたらしてくれそう」と話す。
同寺は、二〇〇〇年ごろから、約二〇鉢のハスを栽培している。六月三十日に住職が一本の茎に二つのつぼみが付いているのを見つけた。同寺で双頭蓮が開花するのは初めて。
花は白色でかすかに甘い香りを漂わせる。野住職は「本尊は毘沙門天、吉祥天のご夫婦なので、ハスを見て夫婦円満の福徳をさずかってほしい」と話す。五日まで見頃が続きそうだ。
「花芽がつく際に異変が起きたとみられる。一般的には、肥料が多いとなりうる」と話す。

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  [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
船鉾:新調された正面の輝く鳳凰・天水引
 祇園祭の船鉾三日、復元新調した天水引をお披露目した。
手刺しゅうで表現された真新しい鳳凰(ほうおう)が、前祭の巡行を見守る。
鉾正面の唐破風の下に飾る天水引で、「緋羅紗(らしゃ)地雲鳳凰図」と呼ばれる、縦約六〇センチ、横約一五〇センチの織物。
これまで、一八三四(天保五)年製を使ってきたが、傷んできたため、二〇一五年、川島織物セルコンに制作を依頼した。
刺しゅう家の樹田紅陽さんが手掛けた。鳳凰の部分は立体的に見えるよう、和紙や綿を入れ、絹糸や金糸で刺しゅうを施した。目には迫力を増すよう、ガラスを入れている。十三日の曳初(ひきぞ)めから使用する。

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[ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
今年の山鉾巡行順は次の通り。
【前祭(十七日)の巡行】
(1)長刀鉾(2)占出(うらで)山(3)孟宗山(4)霰(あられ)天神山(5)函谷(かんこ)鉾(6)伯牙山伯牙山(7)四条傘鉾(8)芦刈山(9)月鉾(10)山伏山(11)油天神山(12)太子山(13)鶏鉾(14)木賊(とくさ)山(15)綾傘鉾(16)蟷螂(とうろう)山(17)菊水鉾(18)白楽天山(19)郭巨(かっきょ)山(20)保昌(ほうしょう)山(21)放下(ほうか)鉾(22)岩戸山(23)船鉾
 
【後祭(二十四日)の巡行】
(1)橋弁慶山(2)北観音山(3)鯉山(4)役行者(えんのぎょうじゃ)山(5)八幡山(6)南観音山(7)鈴鹿山(8)浄妙山(9)黒主山(10)大船鉾
 明治時代は京都府庁や市役所など、終戦直後は八坂神社で行われていましたが、巡行順をめぐり山鉾町の争いが絶えなかったため、一九五三年からは市議会議場が会場になっています。内部の様子は、残念ながら見学できません。
 
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 祇園祭山鉾巡行を前に七月三日、祇園祭の船鉾の吉符入りに合わせて、古来から船鉾に伝わる二つの神面の無事を確かめる「神面改め」の儀式がが行われた。
船鉾には、十五世紀半ばの室町時代の作とされる「本面」と、江戸時代に本面に似せて彫られた「写し面」がある。
巡行では、神体の神功皇后に写し面をつけ、本面は当番の役員が携えて鉾に乗る。
毎年、船鉾の神事始め「吉符入り」の日に神面を確認するならわし。
室町時代中期に作られた本面と江戸時代に作られた写し面をそれぞれ木箱から取り出し、古式にのっとり、息がかからないよう懐紙を口にくわえ、穏やかな笑みをたたえた神面を前に掲げて披露し、変わりない姿に対面し確認すると再び木箱にしまって祭壇に供えた。山鉾巡行では、神体・神功皇后像に写し面を付け、本面は役員が持って鉾に上がる。
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 東山区高台寺は秀吉公の菩提を弔うため、慶長十一年(一六〇六)正室の北政所によって建立され、北政所は秀吉公の没後、高台寺に移り住みました。
高台寺及びその塔頭寺院は、公家集、諸大名、文化人等、多くの人が寄り集い、さながら当時の一大サロンであったと伝えられている。
今年も高台寺境内にて”夢”を短冊につづって夜の特別拝観「高台寺・七夕会」が二日、三日と行われる。
七夕飾りを照らすライトアップ行事「高台寺七夕会」は、色とりどりの短冊約五千枚が夜空に浮かび上がった。
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 [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 

宇治川:「鵜飼」川面にかがり火が揺らめく中、自在に綱をさばく鵜匠
★宇治の夏の風物詩・宇治川に夏の訪れを告げる「宇治川の鵜飼」シーズン開幕の川開きが七月一日夜、宇治市・宇治公園の塔の島周辺で行われ、シーズンが開幕した。
かがり火の炎が川面を染め上げ、周囲を幻想的に彩る中での鵜と鵜匠の繰り出す巧みな伝統の技が繰り広げられる。
鵜飼は、早瀬の魚を捕るための漁法で、宇治川では平安時代には行われていたとされる伝統行事。平安時代蜻蛉日記にも記録が残る伝統的な漁法。
平安後期に衰退したが、一九二六(大正十五)年に地元観光業者らが再興した。
平成十七年から全国で四人しかいない女性鵜匠の二人が加わり、風折烏帽子姿、黒装束に、紫色の稲穂を織り交ぜた腰みのに身を包んだ鵜匠らが約五㍍の手綱をさばき、十二羽の鵜を操ると、水しぶきを上げて勢いよく潜り、アユなど川魚を捕らえる鵜の妙技が楽しめる。
揺れるかがり火の下で澤木万理子さんと江崎洋子さんの女性鵜匠二人が舟の縁をたたいて魚をおびき寄せ、「ホゥー、ホゥー」と声を掛けて巧みな綱さばきで六羽の鵜を巧みに操った。鵜がのみ込んだ魚を鵜匠が吐かせると、観覧客から歓声が上がった。
七月一日川開きで、九月三〇日まで開催。
毎晩午後六時から受付、六時半ごろから七時ごろまでに宇治公園中の島喜撰橋畔から出船する。(悪天候、増水時の場合は中止)
大人 二〇〇〇円、小学生 一〇〇〇円。貸切船は十人乗り二万五千円から。

 
嵐山の鵜飼(タイトル)
★京都の夏の風物詩、嵐山の幽玄「京の鵜飼」が七月一日夜から渡月橋上流の大堰川で始まった。
今年で六十七回目。午後七時すぎ、夕闇が迫る水面にかがり火が映える中、川開きの神事に続いて、五羽づつ鵜を従えた鵜匠二人がそれぞれ黒装束に腰みの姿で船に乗り、川面へ滑り出した。
かがり火が川面を赤く照らすなか、「それ行けっ」という鵜匠の掛け声に合わせて鵜が水中に潜り、アユやハヤなどを捕って戻るたび、鵜匠の鮮やかな技、巧みな手綱さばきで鵜が舟の上で魚を吐き出すと、大勢の観客が歓声をあげ、盛んな拍手が送られた。
白い装束の船頭が御簾や灯籠をつるした見物船の屋形船を操った。
外国人鵜匠見習の女性が全国で初めてデビューした。
囃子方が船上で奏でる祇園囃子が嵐山鵜飼の幻想をかりたてた。
独特の低い音色でトン・トン・トーン、トン・トン・トーン 船べりを叩く音が谷間に木霊する嵐山の鵜飼、夏の夜の風情を演出し、京都の夏の風物詩となっている。
九月二十三日まで。 
鵜飼乗合い屋形船 一人 千八百円、小学生以下 一人 九百円、   
八月は午後七時と八時、九月は午後六時半と七時半に出船する。

    [祇園祭シリーズ]
 
祇園祭:くじ取り式

祇園祭山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が三十四基ある山鉾の巡行順を決めるくじ取り式が毎年七月二日、京都市役所市会議場で門川大作市長の立ち会いで行われた。
一五〇〇(明応九)年に始まったくじ取りは、江戸時代は六角堂、
 明治時代は京都府庁や市役所など、終戦直後は八坂神社で行われていましたが、巡行順をめぐり山鉾町の争いが絶えなかったため、一九五三年からは市議会議場が会場になっています。
巡行は、十七日の前祭(さきまつり)と二十四日の後祭(あとまつり)に分かれる。前祭巡行で先頭の長刀鉾に続く「山一番」は占出山(うらでやま)が引き当てた。
大船鉾は、慣例であらかじめ順番が決まっている「くじ取らず」で後祭の最後尾を進む。
山鉾町の代表者たちは羽織はかま姿で儀式に臨んだ。「くじ取らず」の八基を除き、前祭の十八基と後祭の六基の代表が予備くじ順に登壇し、くじを取った。
後祭では、くじ取らずの橋弁慶山、北観音山に続く「山一番」は、二十四日の後祭巡行は、鯉山(こいやま)が山一番を取った。
くじ取り式では、前祭の二十四基と後祭の十基それぞれがグループ内で進む順番を決める。巡行の先陣争いによる混乱を避けるため、一五〇〇(明応九)年に始まった。 
くじ取り式は、巡行の先陣争いが絶えなかったことから一五〇〇(明応九)年に始まったといわれる

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  [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]

§七月は祇園祭シリーズとして一ヶ月間順次レポートします§  

2017年 祇園祭ロゴ (丸)


祇園祭にちなんで】
七月に入ると京都の街にいよいよ日本三大祭・祇園祭の季節が到来し、一日幕を開ける。十七日の前祭と二十四日の後祭の二日間にわたって市内中心部を進む。七月一日の各山鉾町で一ヶ月間にわたる祭の幕開けを告げる神事「吉符入り」で始まり、三十一日の「夏越祓」までに二十四の神事があり、その中でも祭り情緒たっぷりの宵山、華麗さと躍動感に魅了される山鉾巡行とさまざまな行事が夏絵巻のごとく繰り広げられていきます。
時代を超えた伝統の輝き、千余年の歴史を有し、日本の祭礼の原点と称せられる祇園祭は山鉾町の町衆たちの努力と熱意によって今日まで受け継がれてきました。
これも祇園祭という京都が世界に誇るべき文化を次代へとつなげていかなければなりません。


月 日   祭礼 ・ 儀式 ・ 行事 場所 ・ 会場
7月1日(土) 吉符入り 各山鉾町
       長刀鉾町お千度(稚児社参) 長刀鉾町 ・ 八坂神社
7月2日(日) くじ取り式  京都市役所
       山鉾町社参  八坂神社
       吉符入り   各山鉾町
7月3日(月) 神面改め   船鉾町
       吉符入り   各山鉾町
7月4日(火) 吉符入り   各山鉾町
7月5日(水) 長刀鉾稚児舞披露  長刀鉾
        吉符入り  各山鉾町
7月7日(金) 綾傘鉾稚児社参  八坂神社
7月8日(土) 清祓い  各山鉾町
7月10日(月) お迎え提灯  祇園万灯会
       神輿洗式  四条大橋
       前祭  山鉾建て  各山鉾町
       清祓い  各山鉾町
7月11日(火) 前祭  山鉾建て  各山鉾町
7月12日(水) 前祭  曳き初め  各山鉾町
        清祓い  各山鉾町
       前祭  山鉾建て  各山鉾町
7月13日(木) 長刀鉾稚児社参  八坂神社
        久世駒形稚児社参  八坂神社
       清祓い  各山鉾町
       前祭  山鉾建て  各山鉾町
       前祭  曳き初め  各山鉾町
7月14日(金) 清祓い  各山鉾町
       前祭  山鉾建て  各山鉾町
       前祭  曳き初め  各山鉾町
7月15日(土) 斎竹(いみたけ)建て  高橋町
       御手洗井戸開き  手洗水町
       宵宮祭 八坂神社
       清祓い 各山鉾町
7月16日(日) 大政所神剣拝戴 大政所町
       献茶祭  八坂神社
       鷺舞・田楽  八坂神社
       日和神楽  各山鉾町
       前祭  宵山  各山鉾町
7月17日(月祝) 前祭  山鉾巡行  
       神幸祭  八坂神社〜四条御旅所
7月18日(火) 後祭  山鉾建て  各山鉾町
7月19日(水) 後祭  山鉾建て  各山鉾町
7月20日(木) 後祭  山鉾曳き初め ・ 山舁き初め 各山鉾町
       清祓い 各山鉾町
       後祭  山鉾建て  各山鉾町
7月21日(金) 後祭  山鉾曳き初め ・ 山舁き初め  各山鉾町
       後祭  山鉾建て  各山鉾町
       清祓い  各山鉾町
7月22日(土) 清祓い  各山鉾町
7月23日(日) 煎茶献茶祭  八坂神社
       護摩焚き  役行者
       あばれ観音  百足屋町
       後祭  宵山  各山鉾町
7月24日(月) 後祭  山鉾巡行  
       花傘巡行  八坂神社~市役所前〜八坂神社
       還幸祭  四条御旅所〜八坂神社
7月25日(火) 狂言奉納  八坂神社
7月28日(金) 神輿洗  四条大橋
7月29日(土) 神事済奉告祭  八坂神社
7月31日(月) 疫神社夏越祭  八坂神社


長刀鉾:、「お千度の儀」祇園祭の無事を祈願し、境内を歩く稚児と禿

★京の夏を彩る祇園祭の幕開けとなる長刀鉾稚児の「お千度の儀」が七月一日、八坂神社で営まれる。長刀鉾は山鉾の中で唯一、生稚児が乗って巡行する。
黄緑、赤、紫の三色を配した華やかな色合いの稚児の装束は「涼み衣装」と呼ばれ、白塗りで口元に朱を差す化粧を施した稚児衣装に身を包み、三人は本殿でおはらいを受けた後、朱傘を差しかけられながら八坂神社の本殿に参拝し、祭りの安全と無事を祈り、父親に手を引かれて本殿の周囲を三週、お千度に臨んだ。
多くの山鉾町でも神事始めの「吉符入り」(一日~五日)を迎え、祭壇前で神職からお祓いを受け、一ヶ月に及ぶ祭りがスタートする。

放下鉾:「二階囃子」練習風景
祇園祭の鉾町の会所では夕方から「二階囃子」が始まり、「コンチキチン」の音色が界隈に響き、初夏の祭を実感させる。
二階囃子は、山鉾巡行の本番に向けた祇園囃子の練習。吉符入りの一日以降に始まる。
浴衣を着た囃子方のメンバー数十人近くが勢揃いし、一年ぶりに鉦、太鼓、笛を鳴らし、初心者の小学生には先輩が寄り添い、手を取って鉦を教えている姿は伝統を感じる。

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上賀茂神社:「御戸代能」

★北区・上賀茂神社で七月一日、「御戸代会神事」が営まれる。
御戸代(みとしろ)とは神に献上する稲を栽培する神田のことで、田植えが終了し田の害虫を駆除し、五穀豊穣を祈願する。
天平勝宝二年(七五〇)に朝廷・孝謙天皇が御戸代田一町の田畑を神社に寄進したのを記念し、農家をねぎらって田楽や猿楽を奉納したのが日本能楽の先駆となったとされています。
「賀茂御戸代能」と呼ばれる観世流による神歌・能・仕舞や茂山家狂言の奉納がある

 

城南宮:「愛車の茅の輪くぐり」

★城南宮・愛車の茅の輪くぐり
全国的にも珍しい、駐車場に設けられた直径五メートルにも及ぶ大きな茅の輪。神職が一台ずつお祓いします。
その後、交通安全を祈念しながら、自動車やバス・トラックに乗ったままくぐり抜けます。

千本ゑんま堂:「風祭り」2012年194
★七月一日~十六日 夜間特別拝観・風鈴供養
千本ゑんま堂でゆるやかに暮れ行く夏の夜。心に染みる風鈴の韻を愉しみながら雅やかな風を感じてみませんか。
 本尊開扉:午後六時三〇分より
午後六時より受付開始
貴船神社:「ササ飾り・ライトアップ」 09’ (2)

七夕が近づく中、左京区貴船神社で二〇〇二年から、夜も季節感を演出しようとササ飾りの「七夕笹飾りライトアップ」が始まった。
今年も一日から、本宮社殿の周りに高さ二㍍ほどのササ約四十鉢を並べ、日が落ちるにつれて柔らかな光に包まれた青々とした笹に、参拝者の願いをしたためた短冊が揺れ、ササ飾りが優しい光に浮かび上がった。
ライトアップは平日は午後八時、土日祝日は午後九時ごろまで。
八月十五日まで、九日には「貴船の水まつり」がある。

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みな月
 ★京都では六月三十日に「水無月」という和菓子を食べる習慣がある。
このお菓子は、むかし貴重であった「氷」のかたちをなぞった物といわれています。

天然の氷雪を氷室に蓄え、六月三十日にその氷を宮中に献上していた。
一般には夏季に氷を得ることがかなわず、形を氷になぞらえて麦粉で作っていたが、徳川時代中期に至り小豆を混え三角に切り、現在の形となった。悪疫を防ぎ、災難をも除くためとし、広く洛の内外に用いられたもので、「みな月」は京都独特の名物である所以でもある。最近では三角を基幹として色んな形が出てきた。
 
市比売神社:「夏越の祓い」’08(解)
 下京区・市比売(いちひめ)神社の「夏越の祓」の神事。
半年間の厄を清め、無病息災を願う。

紙人形を川に流し、厄をはらう「ひとがた流し」が三十日夜、下京区高瀬川であった。氏子らが見守る中、ぼんぼりの柔らかな明かりで照らされた川面を「ひとがた」が彩った。
参拝者は、境内に設置された茅の輪をくぐり、名前と年齢を書いたひとがたにそっと息を吹きかけていた。高瀬川には、全国から納められた約五千枚の紙人形がまかれ、厳かな雰囲気に包まれていた。

嵐山鵜飼 外国人鵜匠
★全国初の外国人の鵜匠見習いとして、嵐山で鵜飼しいに挑戦しているコリヴォー・ラリッサ・カテリンさん(28)のデビューが七月一日に迫り、練習は大詰めを迎えた。                            
練習は一日三時間、週五日のペースで行われる。今月九日から鵜が飲み込んだアユを口から吐き出させる練習をはじめ、十九日にはアユを驚かせるためのかがり火を回した。川開き当日と同じ出発地点から船をこぎ出しかがり火を回すポイントを確認するなど本番を想定した内容も含まれる。
初日は鵜の動きにうまく反応できず、手縄(たなわ)をからませたが、現在は鵜を引き寄せたり魚を吐き出させたりする作業も全て一人で行う。練習中の真剣な表情の中にも、笑顔が見られるようになった。「鵜に言葉は通じないので、うまく操らなければ良い動きができない。もっと集中して練習を続けたい」と、コリヴォーさんは向上心を見せる。
鵜から手縄をほどく作業では、現役鵜匠に負けない手際の良さを見せるという。一日の川開きでは、四羽の鵜を操る予定だ。
コリヴォーさんはドイツとカナダの両国籍を持ち、今月八日から練習を始めた。
[京 の 季 節 の 花 だ よ り]

宇治・平等院:鳳凰堂に映える「平等院蓮」が開花 
 世界遺産平等院でこのほど、境内で出土した種を育てた「平等院蓮(びょうどういんばす)」が開花した。透明感のある白い大輪の花が、平安の息吹を伝える鳳凰堂に映え、訪れる人を魅了している。
平等院蓮は、一九九九年に鳳凰堂前の阿字(あじ)池の発掘調査で江戸時代後期の地層から見つかった一粒の種を発芽させた。二〇〇一年以降、毎年花を咲かせている。
つぼみの時は先端が少し赤いが、開花すると真っ白なのが特徴。葉脈が透き通るほど花びらが薄い。小雨が降った朝は、花をぬらす水滴がさらに清涼さを加える。
境内では十四鉢の平等院蓮を含めハスを五十五鉢展示している。花は早朝に咲き、午前には閉じることが多い。見頃は七月上旬という。
 
地主神社:「茅の輪くぐり」
★半年間の厄と汚れをはらい、残り半年を無事に過ごせるようにと息災を祈る「夏越の祓い」(水無月祓)が六月三十日、京都市内の各神社で行われる。
主な神社としては、上賀茂神社吉田神社建勲神社・白峯神社・地主神社貴船神社・城南宮・車折神社・梅宮神社・御香宮神社などでは、一年間の折り返しにあたるこの日、大きな「茅の輪」を社頭に飾り、その茅の輪をくぐると無病息災・悪厄退散になると伝えられ多彩な催しを行う。
神社に伝わる和歌を唱しながら茅の輪くぐりや城南宮では交通安全祈願のため、車を通り抜けさせる直径五㍍のジャンボ茅の輪を設置したり、境内の小川で人形流しや人形を浄火で焼くお焚き上げなど、又和菓子の「水無月」を無料でふるまう神社もある。
 
護王神社、「夏越の祓」前に 茅の輪くぐり 2017年