"おいない"の京都最新情報

【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
★今日は桃の節句の雛祭り。
§古来、三月三日は「上巳の節句」で中国の風習を受け、けがれを祓う日だった。
雛祭りの原型といわれる「流しびな」は平安時代ごろには貴族社会で和紙の人形(ひとがた)を作り、息を吹きかけて川や海に流して厄を払う風習からきている。

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★京都では左京区下鴨神社で三月三日に「流し雛」が行われる。
桃の節句の三日、和紙でできた人形を小川に浮かべ、女の子の健やかな成長を願う行事「京の流しびな」が左京区下鴨神社で営まれた。平安装束に身を包んだ夫婦らが、人形を乗せたわらの小舟を境内の御手洗川にそっと放した。
男女ペアーが平安時代そのままの、女性は十二単衣姿、男性は衣冠束帯姿で、境内を流れる御手洗川に直径十五㌢の桟俵(さんだわら)(わらで編んだ丸い小舟)に災いやけがれを身代わりの和紙の人形を乗せて流し、子供たちの無事を祈るながしびなの風習は、現代のひな祭りのルーツとされており、その歴史は平安時代にまでさかのぼる。
ひな祭りは、子どもの身代わりとして人形を川や海に流し、成長を祈った風習が起源とされる。そうした伝統文化を今に伝えようと、京人形商工業協同組合が毎年催している。
大勢の参拝者が見守る中、束帯と十二単(ひとえ)をまとった夫妻や幼稚園児らが人形を川面に浮かべた。

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下京区・市比賣神社の「ひいな祭」が三月三日、近くの「ひと・まち交流館京都」で行われる。
平安時代、女性が春の到来を喜び厄をはらった祭事を再現している。
五人囃子の演奏に合わせ、三人官女の舞や、十二単の着付けの実演、大きなひな段に人がお雛様やお内裏様などに扮する「人びな」、平安時代貴族の間で行われていた投扇興や貝合わせなど優雅な催しが開かれる。ひな茶の接待も受けられる。
市比賣神社は、平安京の東西の市場の守護神として勧請されたのが起こりだそうです。
上賀茂神社で桃花神
花神事(とうかしんじ)とは五節句の重要な行事の一つで、神前に桃の花やこぶしの花、よもぎ餅などの神饌(しんせん)をそなえ、無病息災を祈ります。
儀式は本殿側の川の前で参拝することに始まり、宮司たちの行列が古来の方法にのっとって神前に神饌をそなえます。この行事には一般の観光客も参列することが出来るので、儀式を間近で見ることができます。おごそかにとりおこなわれる神事は、今も昔も変わりません。

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★三月三日は、陽数の「三」が重なっておめでたいとされる祝節“重陽”のひとつです。
東山区三十三間堂(国宝)では「三」が重なることから、祝節に因んで恒例の「春桃会」があり、本堂が無料公開される。
平成十七年から、名前にちなみ「三」の並ぶ三月三日、無料拝観日を実施している。
午前九時~午後四時まで。限定の女性専用「桃のお守り」が授与されます。
午前中は華道池坊の献花法要、午後からは作家で天台宗僧侶の瀬戸内寂聴さんの青空説法がある。
本堂の東南角の一隅に高さ一.五㍍の壇を特設し、参拝者は階段状に並ぶ千一体の観音像や二十八部衆、風神像などを高い位置から広く見渡せる珍しい拝観となる。
南北約一二五㍍の長い本堂には、中尊観音座像をはさんで左右に各五百体の千手観音立像が整然と並んでいる。
三十三間堂平安時代末期に平清盛が建立されたが焼失後、鎌倉中期の一二六六年に再建された。
 
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 ★四季折々の花の絵が本殿の天井を彩る「花の天井」で知られる右京区高雄街道・梅ヶ畑の平岡八幡宮で三月三日、恒例春の本殿特別拝観が始まった。
平岡八幡宮の本殿は、江戸末期の一八二六(文政九)年の再建で、神殿の天井板に描かれた鮮やかな四十四枚の花の絵も、江戸時代の画工・綾戸鐘次郎藤原之信による、翌文政十年の作。

一辺約七十㌢の正方形の格子の中にモミジやキク、キキョウ、ボタン、ツバキや山桜、ジャスミン、ブドウなど異なる四十四種、四季折々の花や果実が青や赤などの岩絵の具で表現されており、頭上の極彩色に彩られた天井を心ゆくまで鑑賞できる。
八〇九年に空海が創建したと伝えられており、ご神体の僧形八幡神像も特別公開している。特別拝観期間 五月十五日まで。 拝観料 六百円。

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 宇治市平等院で三月二日、忌日法要「関白忌」が行われる。
「宇治関白」として知られた平等院の創建者、藤原頼道を偲んで営まれる。
京都の南部に春を呼ぶ行事として知られている。
色とりどりの法衣を着た僧侶が、平橋反橋を渡り、鳳凰堂で法要を行う。

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 上京区宝鏡寺は尼門跡寺院で通称「人形寺」の名で親しまれている。
三月一日の宝鏡寺雛祭には、本堂に飾られた雛段前で一弦琴が打掛け姿も艶やかな、島原の太夫がお雛さまにささげる、優雅な舞を奉納する。
同時に春の人形展が 四月三日まで開催される。 宮中の雅な装束を正確に再現した有職雛などの人形がたくさん展示されている。       
皇室から将軍家へ嫁いだ数奇な人生で知られる皇女和宮の持ち物だった桜の螺鈿細工が美しい文箱や四季花鳥図絵巻などの皇女和宮の御遺愛品はじめ、、伝来の愛らしい賀茂人形、花嫁行列なども展示されている。 
平安時代光厳天皇の皇女・華林宮恵厳禅尼(かりんのみやえごんぜんに)によって開かれた臨済宗の尼寺で、寛永二十一年(一六四四)、理昌尼王(後て以来は尼御所となって「百々御所」とも呼ばれ、尼門跡寺院職に迎えた歴史を持つ。父の天皇が折々に娘へ贈った数々の人美を伝えている。  歴代皇女ゆかりの人形を多数所蔵して毎年春秋に公開して、「人形供養祭」を行う。 
春三月は雛祭りを中心とした人形展。光格天皇から江戸時代後期に贈られた直衣姿、濃紫袴姿の有職雛は、若々しい夫婦の姿。
緋色ではなく、若い女性が着用する濃紫袴姿の女雛はとても珍しいという。
※ 家庭で不要になった人形を持参すると、人形の供養をして引き取ってくれる。
 
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左京区真如堂(真正極楽寺)で三月一日、涅槃会法要が営まれ、江戸中期・宝永年間に描かれた縦六㍍、横四㍍の極彩色大涅槃図が公開される。
涅槃会は灌頂会、成道会と並ぶ、仏教における三大仏忌のひとつ。釈迦が入滅した旧暦二月十五日前後に釈迦の入滅のときの様子を絵にした涅槃図を掲げ、その威徳を偲ぶ法要。
  
真如堂が所有する涅槃図は穴が開いたり絵の具がはげ落ちるなど傷みが著しく、二〇〇九年、修復を完了した。
軸を含めて六十一㌔あったが、裏打ちの麻布を和紙に替えて四釈迦が亡くなる様子を描き、涅槃会本紙は縦約五㍍、横約四㍍。全体は一七〇九(宝永六)年、三井家が寄進した。
横たわる釈迦の周囲で仏弟子や動物が嘆く様子に加えクジラ、タコなど海の生き物を含む一二七種類の多様な生物が描かれているのが特徴。
三十一日まで。午前九時~午後四時まで公開する。
涅槃会の菓子「花供曾(はなくそ)あられ」が授与される。
(以前は正月に本尊に供えた鏡餅を小さく刻んだものを使ったが、現在では軽く焼いたあられに黒砂糖を絡めた)。供物の花供御がなまって鼻糞と呼ばれた。
 
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保津峡に春の訪れを告げる、冬の間(十二月二十九日~二月末日)線路の保守点検や車両整備のため運休していた「嵯峨野トロッコ列車」が春風をきって、保津川沿いの京都市亀岡市を結ぶ嵯峨野観光鉄道トロッコ列車が一日、運行を再開した。
午前八時半から嵯峨駅であった式典には、地元幼稚園と保育園の園児約八十五人が出席。園児代表が車掌と運転士に花束を贈呈し、一番列車がスタートした。       

やや肌寒い朝となったが、園児は元気いっぱい。保津峡を眺め、眼下に広がる保津峡の流れや山並に歓声を上げた。       
トロッコ列車は、線路や車両の保守点検のため、毎冬約二カ月間休業している。
一部水曜日が休みだが、春、大型連休、夏、秋の観光シ-ズンは毎日運航する。渓谷に久しぶりに軽快なレ-ル音を響かせた。八つのトンネルをくぐり、保津峡の雄大な渓谷の景色を乗客に楽しませながら、旧山陰本線トロッコ嵯峨駅トロッコ亀岡駅間七.三㌔を一日八往復走ります。  

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    [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

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 ★北区の上賀茂神社で二十六日、第六十九代横綱白鵬関が「不知火型」の土俵入りを奉納した。
力強い四股を踏むたび、大勢の観客から「よいしょー」と威勢の良い掛け声が上がった。
二十一年に一度の「式年遷宮」を祝う行事の一環で、五穀豊穣を祈る古来の神事にちなんで行った。上賀茂神社では一九四〇年、当時の横綱双葉山らが土俵入りを奉納している。今回は、横綱として七十五年ぶりとなった二〇一五年の鶴竜関、十六年の日馬富士関に続く奉納土俵入りとなった。
白鵬関は午後一時半ごろ、太刀持ちの石浦関と露払いの大翔丸関を従えて鳥居をくぐり、立砂(たてすな)の前に進んだ。両手を広げてせり上がる不知火型を堂々と披露し、約四〇〇人の観客を沸かせた。尊敬する双葉山と同じ地での奉納に、白鵬関は「緊張して硬くなった。精いっぱい土俵入りした」と話していた。

     [京 の 季 節 の 花 だ よ り]
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 京都府内最大規模を誇る城陽市の青谷梅林で恒例の「梅まつり」が始まった。
今年は例年より開花が一週間ほど早く、会場では暖かな陽気の下、会場を訪れた人々は梅の花と香りを堪能した。
青谷梅林は、約二〇ヘクタールの丘陵地に肉厚で香りの良い実が収穫できる特産の「城州白」など約一万本の梅が植えられている。梅まつりはうち約一ヘクタールを無料開放している。
青谷梅林の梅は、実の収穫がしやすい低い位置に花をつけるので鑑賞しやすいのが特徴という。三月二十日まで。
 
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 (今日現在の梅だより) (二十五日)
つぼみふくらむ・・・随心院、青谷梅林、
ちらほら咲き・・・京都御苑、二条城、、
五分咲き・・・梅宮大社、城南宮
七分咲き・・・北野天満宮

 

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★節分が過ぎると、やさしい香りがしだす京の町に間もなく春を告げる上京区北野天満宮で、梅の花をこよなく愛した菅原道真の命日にちなみ、遺徳をしのぶ「梅花祭」が二月二十五日開かれる。
満開の梅の花の美しさと香りに誘われ、本殿の神事では、祭神・道真の霊を「なだめる」という音に通じる「菜種」を冠に付けた神職が、古式にのっとり梅の枝や約四十キロの蒸し米などを神前に供えた。
梅苑(約一.六ヘクタール)と境内合わせて約二千本の梅の木が並び、種類も五十種以上と豊富で、道真の命日に当たるこの日に毎年行われている。約九〇〇年前から続く神事と、安土桃山時代豊臣秀吉が境内で催した「北野大茶会」にちなむ野点大茶湯がある。本殿近くの仮設テントの下で行われた。
紅白に彩る梅の花の風情や三光門西広場での茶席「野点大茶湯」は、色とりどりの着物姿で上七軒の芸舞妓や女将ら約四十人による野点を、ちらほら咲きから満開の早咲き梅花を愛でながら、参拝者は春の訪れを満喫し楽しんでいた。
宝物殿も特別に公開され、「梅花祭と天神さま今昔写真展」が開かれている。
絵馬殿に、縦約七十センチ、横約一メートルのパネル七十枚を並べ、昨年の祭典や茶会の様子や、約百年前の境内、市電の走る周辺の町並みなどの風景も紹介している。恒例の縁日・「天神市」と共に楽しめます。
 
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    【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

 
 ★京都の花街の祇園甲部歌舞会は二十二日、春の公演「都をどりin春秋座」のプログラム用写真の撮影を、祇園甲部歌舞練場で開いた。
耐震工事に向け休館中のため、今年は京都造形芸術大(左京区)の春秋座で公演する。慣れ親しんだ歌舞練場で撮影に臨んだ芸舞妓は、本番への思いを新たにしていた。
今回の演目は春秋座の場所にちなんだ「洛北名所逍遥(そぞろあるき)」。貴船の川床鞍馬山の牛若丸の伝承などを題材に計六景を披露する。
フィナーレは、洛北から歌舞練場に場面が移り、しだれ桜を背景に総踊りで締めくくる。
四月一日~二十三日(十日、十七日休演)。午後一時、同二時四十五分、同四時半の三回公演。三五〇〇円、茶席券付き四六〇〇円。期間中、歌舞練場の庭園を特別公開する。有料だが公演チケットがあれば無料。

 伏見区醍醐寺で「五大力さん」の名で親しまれる「五大力尊仁王会」の法要が二月二十三日営まれた。
五大力さん」とは醍醐寺にある五大堂の五菩薩の事で、衆生済度、現世利益の霊験あらたかだとか。
本尊・準提観音の眷属である五大力菩薩が開帳され、不動明王など五大明王の力にあやかり、国の安穏、無病息災、万民豊楽を祈願する山伏による法要が行われる。約千百余年の歴史がある。
僧侶が一週間かけて祈祷した「五大力尊御影」と呼ばれる災難・盗難よけのお札やお守りがこの日だけ授与される。
 ☆恒例の風物詩、豪快に巨大な鏡もちを持ち上げる時間を競う餅あげ怪力奉納がある。
五大力さん」と親しまれ、国の平和や家族の健康を祈る醍醐寺最大の法要「五大力尊仁王会」の関連行事。「力」を奉納すると御利益が得られるとして、戦後に始まった。
当日の呼び物「鏡餅上げ力競べ大会」では国宝金堂前広場であり、男性が百五十㌔、女性が九十㌔の鏡餅を上げて力比べをします。
優勝者にはこの大鏡餅が授与されます。
男性が一〇代~六〇代の三十六人、女性が十六人と男女四十四人が挑戦。
はたして今年の力持ちは・・・?
「男性の部」は獣医師平井敏雄さん(六十一才)=兵庫県姫路市=が五分十九秒で、優勝した。
「女性の部」は、エアロビクス講師田中幸子さん(四十五才)=向日市=が十二分五秒で優勝した。

 
左京区・聖護院山内積善院準提堂でも山伏による五大力尊法要があり、柱源護摩供養の後、本堂に高らかに響き渡るほら貝の音。経を唱えながら山伏が次々と護摩木をくべていくお札焼があり、普段は公開していない五大力菩薩図像が本堂で開帳され、家を盗難などから守るという魔除けのお札「御影」を買い求めるのに賑わった。 粕汁の無料接待があります。
★洛北の風物詩・上賀茂神社周辺で二月二十四日、少年の成長を祝う「幸在(さんやれ)祭」が営まれる。
元服の風俗にならい、「あがり」と呼ばれる数え年で十五歳の少年を一人前の大人として祝う儀式で、上賀茂神社の氏子町で受け継がれてきた

「幸在(さんやれ)祭」は元服にならって子どもの成長を山の神に報告する儀式で、江戸初期にはすでに営まれていたという。
真新しい大島紬の羽織と着物に白いマフラー姿の「あがり」の少年らは、打ち鳴らされる鐘の音に合わせて太鼓を叩き、「おーめーでとーごーざーるー」と独特の節回しのはやしを演奏。
「ダイショウギ」と呼ばれる緑の葉のついた枝を持って、氏神大田神社や地域を巡り、沿道の住民の出迎えや祝福を受け、最後に上賀茂神社に到着。本殿でお祓いを受け大人の仲間入りを報告し祈祷する。