"おいない"の京都最新情報
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
★京都名物「第二十回 JR京都駅ビル大階段駈け上がり大会」が十一日、JR京都駅ビル室町小路広場・大階段であった。
八十チーム三二〇人が高低差三〇メートル、一七一段を一気に疾走した。
見上げるような大階段を勢いよく走り、健脚を競い合った。
KBS京都の主催。全国から集った健脚自慢の職場やサークル、家族などの四人で一チームを作り、団体と個人のタイムを競った。一般部門に加え、着ぐるみなどを着たパフォーマンス部門もあった。
パフォーマンス部門では人気の映画のキャラクターやお笑い芸人に扮(ふん)した走者が会場を盛り上げていた。参加者は気合十分に勢いよくスタートしたが、大階段の上部では息を切らし、ふらふらになっていた。倒れ込みながらも懸命にゴールする姿に、市民や観光客が大きな拍手を送っていた。
八十チーム三二〇人が高低差三〇メートル、一七一段を一気に疾走した。
見上げるような大階段を勢いよく走り、健脚を競い合った。
KBS京都の主催。全国から集った健脚自慢の職場やサークル、家族などの四人で一チームを作り、団体と個人のタイムを競った。一般部門に加え、着ぐるみなどを着たパフォーマンス部門もあった。
パフォーマンス部門では人気の映画のキャラクターやお笑い芸人に扮(ふん)した走者が会場を盛り上げていた。参加者は気合十分に勢いよくスタートしたが、大階段の上部では息を切らし、ふらふらになっていた。倒れ込みながらも懸命にゴールする姿に、市民や観光客が大きな拍手を送っていた。
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
★源氏物語の世界を実現しようとしたと言われる庭園「神苑」をもつ伏見区・城南宮では、物語に登場する風習にちなんで、毎年旧暦の一月七日に近い二月十一日に、境内で栽培された新鮮な春の野草を神前に献じ、セリやナズナ、スズナ・スズシロなど、色と香りの「春の七草」を入れた粥を食べ、一年間の万病退散、無病息災と不老長寿を願って貰おうと祈願する神事。
参拝者には七草粥がふるまわれ、みずみずしい春の味が楽しめる。 庭園・楽水苑では春の七草が見られる。
参拝者には七草粥がふるまわれ、みずみずしい春の味が楽しめる。 庭園・楽水苑では春の七草が見られる。
★北区・上賀茂神社では、「建国記念日」の二月十一日に恒例の「紀元祭」があり、古式ゆかしい装束に身を包み、蹴鞠が奉納される。
蹴鞠は約千四百余年前に中国から伝わり、日本独自の文化として発展した。 上賀茂神社では江戸時代に一時途絶えたというが、一九九七年に復活した。
保存会のメンバー十四人は烏帽子に専用の水干姿で、神から鞠を受け取る儀式に臨み、その後八人ずつ鞠庭に入り、シカ皮を馬の革で縫い合わせた鞠を「アリ、ヤア、オウ」と独特の掛け声と共に和やかに蹴り続けた。
蹴鞠は約千四百余年前に中国から伝わり、日本独自の文化として発展した。 上賀茂神社では江戸時代に一時途絶えたというが、一九九七年に復活した。
保存会のメンバー十四人は烏帽子に専用の水干姿で、神から鞠を受け取る儀式に臨み、その後八人ずつ鞠庭に入り、シカ皮を馬の革で縫い合わせた鞠を「アリ、ヤア、オウ」と独特の掛け声と共に和やかに蹴り続けた。
寒中にもかかわらず、願い事を書いた約三一〇〇万本の護摩木が護摩壇に投げ込まれ、大きな火柱が上がった。
同宗最大の年間行事で今回で四十三回目。大曼荼羅(まんだら)の前には、願い事の成就を祈る「神界壇」と、先祖を供養する「仏界壇」の八角形の護摩壇(幅約十一メートル、高さ約七メートル)がしつらえられた。
境内では、お経が唱えられ、山伏姿の修行者約四〇〇人が、護摩木を次々と高く投げ入れた。全国から訪れた参拝者たちは、大きな炎を見つめながら、家内安全や商売繁盛を祈って手を合わせていた。
同宗最大の年間行事で今回で四十三回目。大曼荼羅(まんだら)の前には、願い事の成就を祈る「神界壇」と、先祖を供養する「仏界壇」の八角形の護摩壇(幅約十一メートル、高さ約七メートル)がしつらえられた。
境内では、お経が唱えられ、山伏姿の修行者約四〇〇人が、護摩木を次々と高く投げ入れた。全国から訪れた参拝者たちは、大きな炎を見つめながら、家内安全や商売繁盛を祈って手を合わせていた。
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【今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
★二月の名物風物詩として親しまれている ゆどうふ・ゆばなべ 南禅寺「順正」が催す、湯豆腐を食べた量を競う「ゆどうふ食べくらべ大会」が九日、恒例の桂文枝を審判長に迎えて第四十三回目を清水寺参道の料亭・清水順正「おかべ家」で行われた。
全国から応募した五七五人の中から「とう(10)ふ(2)」の語呂合わせで、男女五十一名づつ一〇二人が抽選で選ばれ、桂文枝さんの軽妙な話術で雰囲気を盛り上げ、土鍋に入った一丁 四百㌘の豆腐が出され、十分の試合を三回繰り返す方式で行われた。
一回戦には芸舞妓らも出場し、優雅に箸を進める姿に会場が盛り上がった。十六歳から七十七歳までの参加者が挑んだ。
司会を務める落語家桂文枝さんの合図でスタートした。一、二回戦では、いずれも一〇分で各四丁(約一六〇〇グラム)の豆腐を食べた九人が決勝進出を決めた。時折、苦しそうな表情を浮かべながらも、制限時間が近づくと一気にかき込む姿もあったが、合計十四丁半食べた男性が優勝を決めた。
会場敷地内にある五龍閣は、京都大学時計台などの設計で知られる明治・大正時代の、著名な建築家・武田五一による設計で、国の登録有形文化財に指定されています。
全国から応募した五七五人の中から「とう(10)ふ(2)」の語呂合わせで、男女五十一名づつ一〇二人が抽選で選ばれ、桂文枝さんの軽妙な話術で雰囲気を盛り上げ、土鍋に入った一丁 四百㌘の豆腐が出され、十分の試合を三回繰り返す方式で行われた。
一回戦には芸舞妓らも出場し、優雅に箸を進める姿に会場が盛り上がった。十六歳から七十七歳までの参加者が挑んだ。
司会を務める落語家桂文枝さんの合図でスタートした。一、二回戦では、いずれも一〇分で各四丁(約一六〇〇グラム)の豆腐を食べた九人が決勝進出を決めた。時折、苦しそうな表情を浮かべながらも、制限時間が近づくと一気にかき込む姿もあったが、合計十四丁半食べた男性が優勝を決めた。
会場敷地内にある五龍閣は、京都大学時計台などの設計で知られる明治・大正時代の、著名な建築家・武田五一による設計で、国の登録有形文化財に指定されています。
[京 の 季 節 の 花 だ よ り]
各地で梅の花が咲き始めた。
社寺や公園で紅白の花びらをほころばせ、一足早く春を告げている。
社寺や公園で紅白の花びらをほころばせ、一足早く春を告げている。
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
★山科区・小山に伝わる早春の伝統行事「二ノ講」(ニノコウ「二九」)が、二月九日に行われる。
鎌倉時代、一三一三(正和二)年、牛尾観音の参拝者や村人を苦しめていた大蛇を一人の武士が退治した言い伝えに由来する。
その後、武士に倒された大蛇のたたりを恐れた住民が、音羽川の岸の松に流れ着いた大蛇の死骸をあつく葬ったのが始まりと言われています。
音羽川の堤に稲わらの大蛇を祭ったのが始まりと伝えられる。それ以来毎年、順番で小山町に住む四軒が、当日の早朝から退治された二月九日にわらで大蛇に見立てて編みはじめ、その松の木に奉納し、五穀豊穣と家内安全を祈ります。
直径十㌢ほどの稲わらの束をねじり、全長十二㍍、太さ〇.三㍍の大蛇に仕上げ、長さ八㍍の竹の棒に巻き付け、うろこ見立てたシキミやマツ、御幣を取り付けて完成させる。
杉と松の老木に掲げて豊作と厄よけ、一年の平穏を祈願する。一九九三年に京都市無形民俗文化財に登録されている。
鎌倉時代、一三一三(正和二)年、牛尾観音の参拝者や村人を苦しめていた大蛇を一人の武士が退治した言い伝えに由来する。
その後、武士に倒された大蛇のたたりを恐れた住民が、音羽川の岸の松に流れ着いた大蛇の死骸をあつく葬ったのが始まりと言われています。
音羽川の堤に稲わらの大蛇を祭ったのが始まりと伝えられる。それ以来毎年、順番で小山町に住む四軒が、当日の早朝から退治された二月九日にわらで大蛇に見立てて編みはじめ、その松の木に奉納し、五穀豊穣と家内安全を祈ります。
直径十㌢ほどの稲わらの束をねじり、全長十二㍍、太さ〇.三㍍の大蛇に仕上げ、長さ八㍍の竹の棒に巻き付け、うろこ見立てたシキミやマツ、御幣を取り付けて完成させる。
杉と松の老木に掲げて豊作と厄よけ、一年の平穏を祈願する。一九九三年に京都市無形民俗文化財に登録されている。
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
★十三まいりの“虚空蔵さん”で名高い嵐山の法輪寺は、裁縫・手芸・芸能上達の守護神として信仰され、二月八日、全国から集まった折れたり、使い古した針を供養する「針供養」が行われる。
縦三十㌢、横五十㌢のこんにゃくを祭壇に供え、参拝者は飾り糸のついた長さ三十㌢の祭事用の針を次々と刺し、針への感謝と技術向上、家庭円満を祈願した。
同寺の針供養は、平安時代に清和天皇が針を納めるお堂を建てたのが始まりと伝わり、毎年、二月と仕事納めの歳末(十二月八日)にも営まれている。
本堂の前に設けられた供養箱には、折れたり使わなくなった針が寄せられた。
法要では、雅楽に合わせて奈良時代の衣装を再現したいでたちの女性四人が舞を奉納した。
縦三十㌢、横五十㌢のこんにゃくを祭壇に供え、参拝者は飾り糸のついた長さ三十㌢の祭事用の針を次々と刺し、針への感謝と技術向上、家庭円満を祈願した。
同寺の針供養は、平安時代に清和天皇が針を納めるお堂を建てたのが始まりと伝わり、毎年、二月と仕事納めの歳末(十二月八日)にも営まれている。
本堂の前に設けられた供養箱には、折れたり使わなくなった針が寄せられた。
法要では、雅楽に合わせて奈良時代の衣装を再現したいでたちの女性四人が舞を奉納した。
★「京のよつぎさん」として知られる下京区の上徳寺で二月八日、子宝や安産を望む恒例の「世継地蔵尊大祭」が営まれる。
同寺に安置されている世継地蔵に参ると「一億日分の功徳が授かる」と伝わる。
午前中は地蔵堂で住職らが子孫繁栄や長寿など数の限定された十種の福のお札を祈祷。
午後から山伏姿の信者や僧侶による柴灯(サイトウ)護摩供があり、「子宝に恵まれますように」など思い思いの願いが記された護摩木を焚き上げた。
上徳寺の寺伝によると、江戸時代の初めに世継ぎを授かるよう日参した人が七日目の夜、お地蔵さんの夢を見た。お告げのままに地蔵菩薩像をつくり、お寺に安置したところ、懐妊したという。
その像が境内にある地蔵菩薩立像といわれ、子無き人に世継ぎを授けられる霊験あらたかな地蔵菩薩として古くから信仰され、各地からの参詣者も多く訪れます。酒粕汁の無料接待もあります。
同寺に安置されている世継地蔵に参ると「一億日分の功徳が授かる」と伝わる。
午前中は地蔵堂で住職らが子孫繁栄や長寿など数の限定された十種の福のお札を祈祷。
午後から山伏姿の信者や僧侶による柴灯(サイトウ)護摩供があり、「子宝に恵まれますように」など思い思いの願いが記された護摩木を焚き上げた。
上徳寺の寺伝によると、江戸時代の初めに世継ぎを授かるよう日参した人が七日目の夜、お地蔵さんの夢を見た。お告げのままに地蔵菩薩像をつくり、お寺に安置したところ、懐妊したという。
その像が境内にある地蔵菩薩立像といわれ、子無き人に世継ぎを授けられる霊験あらたかな地蔵菩薩として古くから信仰され、各地からの参詣者も多く訪れます。酒粕汁の無料接待もあります。