"おいない"の京都最新情報
【葵 祭 シリーズ】
★北区・上賀茂神社で五月五日の「賀茂競馬会(クラベウマエ)神事」を前に、本番に備えて出走する十頭の馬の状態を確かめ、組み合わせを決める「足汰式」(アシゾロエ)が五月一日、境内の馬場で行われた。 「競馬会」はもともと宮中で行われてた神事。
一〇九三(寛治七)年に天下平や五穀豊穣を祈願して宮中から上賀茂神社に場所を移して始まったとされ、今年で九百二十三年目。無形民俗文化財に登録されている。
「足汰式」は、乗尻(ノリジリ)と呼ばる騎手は神社の神職を代々務めた社家子孫が担う。乗尻が使う鞭や馬の足を内の川で清め、馬の毛並みや歯を診て健康状態や馬齢を確認する。
続いて十頭の馬が一ずつ素駆けで馬場を走り、乗尻の姿勢や鞭の作法などを披露。最後に同じような状態の頭ずつが左右に分かれ、直線約百五十㍍の馬場を、芝を蹴り上げ全力で競う。
一〇九三(寛治七)年に天下平や五穀豊穣を祈願して宮中から上賀茂神社に場所を移して始まったとされ、今年で九百二十三年目。無形民俗文化財に登録されている。
「足汰式」は、乗尻(ノリジリ)と呼ばる騎手は神社の神職を代々務めた社家子孫が担う。乗尻が使う鞭や馬の足を内の川で清め、馬の毛並みや歯を診て健康状態や馬齢を確認する。
続いて十頭の馬が一ずつ素駆けで馬場を走り、乗尻の姿勢や鞭の作法などを披露。最後に同じような状態の頭ずつが左右に分かれ、直線約百五十㍍の馬場を、芝を蹴り上げ全力で競う。
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
★若葉もすがすがしい新緑の京都にひときわ彩りを添える京の「春のをどり」の最後を飾るにふさわしい舞妓、芸妓の舞・「第百八〇回鴨川をどり」が芸舞妓があでやかな王朝絵巻や愉快な道中記を繰り広げて舞台を彩った。
鴨川をどりは、明治五年の初演以来、長年の伝統に裏づけられた確かな伎芸で、京の年中行事として欠くことの出来ないものとなっています。
【2017年の演目】
第 一 部 源平女人譚 (げんぺいにょにんものがたり) 五場
第 二 部 八千代壽先斗町 (ももやちよはなのぽんとちょう) 六景
第一景 松竹梅
第二景 桃花
第三景 木蓮
第四景 白梅
第五景 三ツ葉葵
第六景 菊花
◆開催期間 五月一日(月)~二十四日(水)
◆開演時間 午後十二時三十分~、二時二十分~、四時十分、(一日三回公演)
◆観覧料 茶券付特別席:四千八百円・特別席:四千二百円・普通席:二千三百円
芸舞妓が、平安末期の女性の活躍や、幕末の京都を題材にした優雅な舞踊を披露した。
鴨川をどりは一八七二年に始まり、年二回公演の時期を経て、一八〇回目を迎えた。今回は二部構成で芸舞妓四十八人が出演する。
第一部の「源平女人譚(にょにんものがたり)」は、武将の源(木曽)義仲を巡る巴御前ら女性三人の生きざまを描いた舞踊劇。りりしい立ち回りを交え、嫉妬で身を滅ぼす女武将の悲恋を熱演した。
大政奉還一五〇年にちなんだ純舞踊「八千代壽(ももやちよはなの)先斗町」(第二部)では、「ええじゃないか」と踊る人々の熱気や、志士の秘めた恋、徳川慶喜の苦悩と決断など多彩な場面を披露した。
日頃の感謝と一層の精進を誓う口上の後、フィナーレの総踊り「菊花」となり、芸舞妓が大政奉還と鴨川をどりの節目を華麗な群舞で祝った。
鴨川をどりは、明治五年の初演以来、長年の伝統に裏づけられた確かな伎芸で、京の年中行事として欠くことの出来ないものとなっています。
【2017年の演目】
第 一 部 源平女人譚 (げんぺいにょにんものがたり) 五場
第 二 部 八千代壽先斗町 (ももやちよはなのぽんとちょう) 六景
第一景 松竹梅
第二景 桃花
第三景 木蓮
第四景 白梅
第五景 三ツ葉葵
第六景 菊花
◆開催期間 五月一日(月)~二十四日(水)
◆開演時間 午後十二時三十分~、二時二十分~、四時十分、(一日三回公演)
◆観覧料 茶券付特別席:四千八百円・特別席:四千二百円・普通席:二千三百円
芸舞妓が、平安末期の女性の活躍や、幕末の京都を題材にした優雅な舞踊を披露した。
鴨川をどりは一八七二年に始まり、年二回公演の時期を経て、一八〇回目を迎えた。今回は二部構成で芸舞妓四十八人が出演する。
第一部の「源平女人譚(にょにんものがたり)」は、武将の源(木曽)義仲を巡る巴御前ら女性三人の生きざまを描いた舞踊劇。りりしい立ち回りを交え、嫉妬で身を滅ぼす女武将の悲恋を熱演した。
大政奉還一五〇年にちなんだ純舞踊「八千代壽(ももやちよはなの)先斗町」(第二部)では、「ええじゃないか」と踊る人々の熱気や、志士の秘めた恋、徳川慶喜の苦悩と決断など多彩な場面を披露した。
日頃の感謝と一層の精進を誓う口上の後、フィナーレの総踊り「菊花」となり、芸舞妓が大政奉還と鴨川をどりの節目を華麗な群舞で祝った。
★右京区高雄・神護寺では、恒例の「宝物虫払い」行事が五月一日~五日まで行われる。
弘法大師(空海)直筆の古文書や源頼朝や平重盛を描いたと伝わる国宝の肖像画など、普段は見ることのできない寺宝を参拝者が間近に鑑賞した。
虫払い行事が行われていたことを示す一六三七(寛永十四)年の文書が見つかったのを契機に、寺が一九五四年に復興させた。今年で六十一年目となる。
会場の書院には、国宝や重文を含む計六十八点の寺宝が展示されている。真言宗を開いた空海(弘法大師)が行った密教の重要儀式の記録「灌頂暦名(かんじょうれきみょう)」(国宝)には、天台宗を開いた最澄(伝教大師)の名前も記されている。平安時代に描かれ、衣の色から「赤釈迦(しゃか)」の別名がある釈迦如来像(国宝)や、後白河法皇の手形が押された「文覚四十五箇条起請文」(国宝)も並ぶ。
同寺は伝教大師(最澄)が仏法を講じ、約一二〇〇年前に唐から帰国後の空海が入山するなど、平安仏教の中核的な寺の一つとして栄えました。
真言仏教にまつわる経典や古文書、仏画あどが多数伝わっている。これらの宝物の保存の心得を定めた江戸期の古文書が発見されたのを機に、毎年この時期に虫払いが行われるようになった。
弘法大師(空海)直筆の古文書や源頼朝や平重盛を描いたと伝わる国宝の肖像画など、普段は見ることのできない寺宝を参拝者が間近に鑑賞した。
虫払い行事が行われていたことを示す一六三七(寛永十四)年の文書が見つかったのを契機に、寺が一九五四年に復興させた。今年で六十一年目となる。
会場の書院には、国宝や重文を含む計六十八点の寺宝が展示されている。真言宗を開いた空海(弘法大師)が行った密教の重要儀式の記録「灌頂暦名(かんじょうれきみょう)」(国宝)には、天台宗を開いた最澄(伝教大師)の名前も記されている。平安時代に描かれ、衣の色から「赤釈迦(しゃか)」の別名がある釈迦如来像(国宝)や、後白河法皇の手形が押された「文覚四十五箇条起請文」(国宝)も並ぶ。
同寺は伝教大師(最澄)が仏法を講じ、約一二〇〇年前に唐から帰国後の空海が入山するなど、平安仏教の中核的な寺の一つとして栄えました。
真言仏教にまつわる経典や古文書、仏画あどが多数伝わっている。これらの宝物の保存の心得を定めた江戸期の古文書が発見されたのを機に、毎年この時期に虫払いが行われるようになった。
"おいない"の京都最新情報
[京 の 季 節 の 花 だ よ り]
★南区の市上下水道局鳥羽水環境保全センターで恒例の一般公開が始まり、名物のフジの花を楽しむ来場者でにぎわっている。
同局がフジの季節に合わせて毎年公開している。九七五平方メートルに三品種三十七本が植えられ、市民から「鳥羽の藤」として親しまれている。
全長一二〇メートルに及ぶフジ棚は、満開を迎えた花が紫色のカーテンとなって彩り、外国人観光客がスマートフォンで盛んに写真を撮る姿が見られた。
一般公開は来月一日まで、午前一〇時~午後四時。無料。
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
同局がフジの季節に合わせて毎年公開している。九七五平方メートルに三品種三十七本が植えられ、市民から「鳥羽の藤」として親しまれている。
全長一二〇メートルに及ぶフジ棚は、満開を迎えた花が紫色のカーテンとなって彩り、外国人観光客がスマートフォンで盛んに写真を撮る姿が見られた。
一般公開は来月一日まで、午前一〇時~午後四時。無料。
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
★「壬生さんのカンデンデン」の愛称で知られる国の重要無形民俗文化財「壬生狂言」の春の公開が二十九日、中京区の壬生寺で始まった。
『ガンデンガン』の囃子に合わせて演じられる軽妙な無言劇・壬生狂言は、鎌倉時代に壬生寺を興隆させた円覚が、民衆に仏の教えを身振りで伝えたのが始まりとされる。
七百年の伝統を伝え、重要無形文化財の指定を受けて、三十曲を受け継いでいる。
素焼きの皿を豪快に割る「炮烙割(ほうらくわり)」など五演目が上演され、一時は雷雨に見舞われた不安定な天候の下、集まった四四〇人の観客を沸かせた。
「壬生大念仏会」に上演される最初の演目は、太鼓屋が炮烙売りとけんかし、厄除けの炮烙を割るという「炮烙割」。
炮烙割は、市場の出店順を巡る太鼓売りと炮烙売りとの争いを描いて因果応報を伝える演目。鉦(かね)と太鼓、笛の音に合わせ、仮面を付けた演者がユーモラスな所作で笑いを誘った。太鼓売りが高さ約三メートルの舞台から約一一〇〇枚の炮烙を落とすと、大きな拍手が湧き起こった。
最後に、節分の日に家族の年齢や性別を墨書きして奉納された千枚以上の炮烙が舞台の上から落とされる
これが見事に割れると、災いから逃れ福を招くといわれている。
壬生狂言は鎌倉時代の一三〇〇年、壬生寺の中興の租・円覚上人が、声が届かないほど大勢集まった群衆に身ぶり手ぶりで仏の教えを説くために始まったと伝わる。
五月五日まで。炮烙割は連日午後一時からの初番。有料。
大人 八〇〇円、中高生 六〇〇円、小学生 四〇〇円。
※ 二月、十月にも催される。
『ガンデンガン』の囃子に合わせて演じられる軽妙な無言劇・壬生狂言は、鎌倉時代に壬生寺を興隆させた円覚が、民衆に仏の教えを身振りで伝えたのが始まりとされる。
七百年の伝統を伝え、重要無形文化財の指定を受けて、三十曲を受け継いでいる。
素焼きの皿を豪快に割る「炮烙割(ほうらくわり)」など五演目が上演され、一時は雷雨に見舞われた不安定な天候の下、集まった四四〇人の観客を沸かせた。
「壬生大念仏会」に上演される最初の演目は、太鼓屋が炮烙売りとけんかし、厄除けの炮烙を割るという「炮烙割」。
炮烙割は、市場の出店順を巡る太鼓売りと炮烙売りとの争いを描いて因果応報を伝える演目。鉦(かね)と太鼓、笛の音に合わせ、仮面を付けた演者がユーモラスな所作で笑いを誘った。太鼓売りが高さ約三メートルの舞台から約一一〇〇枚の炮烙を落とすと、大きな拍手が湧き起こった。
最後に、節分の日に家族の年齢や性別を墨書きして奉納された千枚以上の炮烙が舞台の上から落とされる
これが見事に割れると、災いから逃れ福を招くといわれている。
壬生狂言は鎌倉時代の一三〇〇年、壬生寺の中興の租・円覚上人が、声が届かないほど大勢集まった群衆に身ぶり手ぶりで仏の教えを説くために始まったと伝わる。
五月五日まで。炮烙割は連日午後一時からの初番。有料。
大人 八〇〇円、中高生 六〇〇円、小学生 四〇〇円。
※ 二月、十月にも催される。
★ゴールデンウイークがスタートし、京都の社寺は大勢の人でにぎわった。伏見区の城南宮では、平安貴族の歌遊びを再現する「曲水の宴」が催された。庭園では、酒杯が流れる小川のほとりで和歌を詠む前に雨が降り出し、途中から神楽殿に会場を移して行われた。
曲水の宴は、古代中国に始まり、日本では奈良時代から平安中期にかけて宮中の年中行事として催された。城南宮は毎年春と秋に行っている。
今春の歌題は、見頃を迎えた城南宮のフジにちなんで「藤花久匂(ふぢのはな ひさしくにほふ)」。公卿や女官の装束をまとった六人の歌人に歌題が示された後にあいにくの雨となり、小川がある庭園から神楽殿に会場を移した。
神楽殿の表舞台で、白拍子の舞が披露された後、歌人が短冊にしたためた和歌を神職が詠み上げ、参拝者は静かに聞き入っていた。
曲水の宴は、古代中国に始まり、日本では奈良時代から平安中期にかけて宮中の年中行事として催された。城南宮は毎年春と秋に行っている。
今春の歌題は、見頃を迎えた城南宮のフジにちなんで「藤花久匂(ふぢのはな ひさしくにほふ)」。公卿や女官の装束をまとった六人の歌人に歌題が示された後にあいにくの雨となり、小川がある庭園から神楽殿に会場を移した。
神楽殿の表舞台で、白拍子の舞が披露された後、歌人が短冊にしたためた和歌を神職が詠み上げ、参拝者は静かに聞き入っていた。
★長年使ってきた畳に感謝しようと、全国畳産業振興会が二十九日、日本唯一の「畳供養」がおこなわれる畳寺の畳まつり』が、「浄土宗大本山 清浄華院で開催される。
畳職人や山伏が見守る中、古畳を組んだ護摩壇で、市民が畳の思い出をつづった手紙やござが焚(た)き上げられた。
畳の需要が年々減っている中で、「畳と暮らす心」を思い出してもらおうと、二〇一五年から初企画した。畳替えによる新たな需要も喚起したいとする。
この日は、僧侶らによる読経の後、十年以上使用した畳で組まれた護摩壇に、全国から寄せられた約一六〇〇通の思い出の手紙や、畳職人が願いを記した「護摩ござ」が燃やされた。参加した人たちはそれぞれの畳との生活に思いをはせていた。
会場の「浄土宗大本山 清浄華院」は、境内の真ん中に約二〇〇畳の畳が敷かれた「大殿」があることから「畳寺」とも呼ばれ、畳職人が多く訪れる場所である。実際の供養は、浄土宗の伝統的な儀式にのっとり、全国より集められた願いの書かれた古ゴザの「畳の護摩ゴザ」を、古畳で作られた「畳の菰」に入れて幽玄な炎で供養する。開催日の四月二十九日は、原材料のイグサが緑いっぱいに育つとして「畳の日」に制定されている。
今年から「畳供養」以外に、畳の歴史や伝統を体感できるイベントを増やし、『畳寺の畳まつり』へと進化。畳職人による「手縫い製作」の披露のほか、カラフルな畳などの「畳珍百景」コーナーも登場する。また、まつりの日限定で「大殿」の畳のイメージと、「畳寺」の文字を合わせた特別なデザインの御朱印もいただける。入場は無料。
畳職人や山伏が見守る中、古畳を組んだ護摩壇で、市民が畳の思い出をつづった手紙やござが焚(た)き上げられた。
畳の需要が年々減っている中で、「畳と暮らす心」を思い出してもらおうと、二〇一五年から初企画した。畳替えによる新たな需要も喚起したいとする。
この日は、僧侶らによる読経の後、十年以上使用した畳で組まれた護摩壇に、全国から寄せられた約一六〇〇通の思い出の手紙や、畳職人が願いを記した「護摩ござ」が燃やされた。参加した人たちはそれぞれの畳との生活に思いをはせていた。
会場の「浄土宗大本山 清浄華院」は、境内の真ん中に約二〇〇畳の畳が敷かれた「大殿」があることから「畳寺」とも呼ばれ、畳職人が多く訪れる場所である。実際の供養は、浄土宗の伝統的な儀式にのっとり、全国より集められた願いの書かれた古ゴザの「畳の護摩ゴザ」を、古畳で作られた「畳の菰」に入れて幽玄な炎で供養する。開催日の四月二十九日は、原材料のイグサが緑いっぱいに育つとして「畳の日」に制定されている。
今年から「畳供養」以外に、畳の歴史や伝統を体感できるイベントを増やし、『畳寺の畳まつり』へと進化。畳職人による「手縫い製作」の披露のほか、カラフルな畳などの「畳珍百景」コーナーも登場する。また、まつりの日限定で「大殿」の畳のイメージと、「畳寺」の文字を合わせた特別なデザインの御朱印もいただける。入場は無料。
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
◆宝泉院(初公開)(市バス・京都バス 大原) 茶室「日新庵」(小間・広間それぞれの茶室、広間には松井守男画伯の襖絵)他
時 間 午前九時~午後四時まで。
拝観料 一カ所につき 大人 八百円、
中学高校生 四百円。
拝観料 一カ所につき 大人 八百円、
中学高校生 四百円。
★京都市内の寺社十八カ所で二十八日に始まる「春期京都非公開文化財特別公開」で、上京区の北野天満宮が江戸前期の「北野・東山遊楽図屏風(びょうぶ)」を初めて一般公開する。同天満宮をはじめ、八坂神社(東山区)や清水寺(同)が参拝者でにぎわう様子を伝える。
屏風は六曲一双で武士や僧侶、町衆など多くの人物が描き込まれている。右隻の東山地域では、清水寺の舞台で酒宴に興じる人々や鴨川で泳ぐ男性が見え、左隻の北野地域には、慶長十二(一六〇七)年造営の天満宮の社殿(国宝)や象徴的な木「影向松(ようごうのまつ)」、明治期の神仏分離まで存在した多宝塔や北野経王堂が描かれる。
屏風は六曲一双で武士や僧侶、町衆など多くの人物が描き込まれている。右隻の東山地域では、清水寺の舞台で酒宴に興じる人々や鴨川で泳ぐ男性が見え、左隻の北野地域には、慶長十二(一六〇七)年造営の天満宮の社殿(国宝)や象徴的な木「影向松(ようごうのまつ)」、明治期の神仏分離まで存在した多宝塔や北野経王堂が描かれる。
"おいない"の京都最新情報
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
"おいない"の京都最新情報
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★下京区の西本願寺(浄土真宗本願寺派本山)で、二十五日から国宝や重要文化財の建造物をライトアップする「西本願寺花灯明(はなとうみょう)」が始まる。「京都三名閣」の一つ飛雲閣(国宝)など多くの建造物が柔らかな光に照らされた。
「花灯明」は同寺で行われている「第二十五代専如門主伝灯奉告法要」の協賛行事。昼だけでなく夜も参拝してもらおうと、昨年十月に続いて二度目の開催。期間中、御影堂や唐門、書院など国宝計5棟のほか、重要文化財八棟の建物がライトアップされる。
飛雲閣では三層の楼閣の影がゆらゆらと、周囲の池の水面に映し出された。歴代宗主が賓客をもてなした書院では、クジャクや中国の故事などを描いたふすま絵がぼんやりと明かりに浮かび上がった。
花灯明は二十五日~五月二日、同九~十六日と二十四~三十日の午後七時~同九時半。入場無料。
「花灯明」は同寺で行われている「第二十五代専如門主伝灯奉告法要」の協賛行事。昼だけでなく夜も参拝してもらおうと、昨年十月に続いて二度目の開催。期間中、御影堂や唐門、書院など国宝計5棟のほか、重要文化財八棟の建物がライトアップされる。
飛雲閣では三層の楼閣の影がゆらゆらと、周囲の池の水面に映し出された。歴代宗主が賓客をもてなした書院では、クジャクや中国の故事などを描いたふすま絵がぼんやりと明かりに浮かび上がった。
花灯明は二十五日~五月二日、同九~十六日と二十四~三十日の午後七時~同九時半。入場無料。
"おいない"の京都最新情報
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
★京の春を彩る例祭として、古くは松尾の国祭と称せられており、西の葵祭りとも呼ばれる勇壮な船渡御で知られる神輿が船に乗ってレンゲ咲く桂川の清流を渡ることで有名な「松尾の祭り」の神幸祭で六基のみこしが「ホイット、ホイット」の威勢のいい掛け声と春風に乗って順番に桂川を渡った。
平安時代前期の貞観年間から始まったとされ、一千年以上の歴史を持ち、氏子の安全を祈願する神幸祭(おいで)は松尾大社を出発し、桂離宮の辺りで川を渡り、祭典を行い、六基のみこしは各御旅所に納まる。
神事を終えた神輿六基が拝殿廻しの後露払いをする榊御面との面合わせを行い、榊御面、大榊行列等を前列として上桂一帯の氏子地域を巡行。
やがて桂大橋西岸上流で一基ずつ神輿船に載せられ、ゆっくりと川を下ります。
桜が散り、若葉が萌え出で、菜の花が岸を染める春の香気の中、桂大橋東岸での神輿の陸揚げがまた見事。(陸揚げは桂離宮東側から見学するのが一番)
還幸祭(おかえり)は五月十日に松尾大社に還幸する。
昔は三月中卯日に出御、四月上酉日に祭礼となっていましたが、明治以後四月下卯日に出御、五月上酉日に還御となり、さらに昭和三十六年からは、四月二十日以後の第一日曜日に出御、それから二十一目の日曜日に還御となっています。
出御祭には松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の神輿(月読社は唐櫃)が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回まわった(拝殿廻し)後、順次社頭を出発し、松尾・桂の里を通って桂離宮の東北方から桂川を船で渡り、左岸堤防下で七社勢揃いし、古例の団子神饌を献じた後、四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は川勝寺と郡の末社に至り、そこに駐輦されます。
平安時代前期の貞観年間から始まったとされ、一千年以上の歴史を持ち、氏子の安全を祈願する神幸祭(おいで)は松尾大社を出発し、桂離宮の辺りで川を渡り、祭典を行い、六基のみこしは各御旅所に納まる。
神事を終えた神輿六基が拝殿廻しの後露払いをする榊御面との面合わせを行い、榊御面、大榊行列等を前列として上桂一帯の氏子地域を巡行。
やがて桂大橋西岸上流で一基ずつ神輿船に載せられ、ゆっくりと川を下ります。
桜が散り、若葉が萌え出で、菜の花が岸を染める春の香気の中、桂大橋東岸での神輿の陸揚げがまた見事。(陸揚げは桂離宮東側から見学するのが一番)
還幸祭(おかえり)は五月十日に松尾大社に還幸する。
昔は三月中卯日に出御、四月上酉日に祭礼となっていましたが、明治以後四月下卯日に出御、五月上酉日に還御となり、さらに昭和三十六年からは、四月二十日以後の第一日曜日に出御、それから二十一目の日曜日に還御となっています。
出御祭には松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の神輿(月読社は唐櫃)が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回まわった(拝殿廻し)後、順次社頭を出発し、松尾・桂の里を通って桂離宮の東北方から桂川を船で渡り、左岸堤防下で七社勢揃いし、古例の団子神饌を献じた後、四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は川勝寺と郡の末社に至り、そこに駐輦されます。