"おいない"の京都最新情報

【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

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 ★南区・東寺では四月二十一日、正御影供(しょうみえいく)が営まれる。
そびえ立つ五重塔(国宝)は、木造建築の美が際立っています。
高さ五十七㍍の日本最高の塔で、寛永二十(一六四三)年に、徳川家光が再建奉納したものです。
四月二十一日は空海の入寂の日に当たり、御影堂を開扉します。
遺徳を偲び、五穀を供え、盛大な勤行式が行われます。
この日灌頂院の閼伽井(あかい)に掲げる三十㌢×四十五㌢ほどの絵馬三枚は、中央が今年、左が昨年、右が一昨年のもの。この中央の絵のできばえで農家の人々はその年の作柄や天候を占うと言われています。
※ 同時に例月の弘法市も開催される。

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清涼寺:「御身拭式」.JPG       

右京区・清涼寺(嵯峨釈迦堂)で四月十九日、本尊・釈迦如来立像(国宝)のほこりを払う「御身拭式」が営まれた。
平安中期の僧・ちょう然が宋から請来した像で、インド・中国・日本と渡った「三国伝来の生身のお釈迦さま」と言われている。
約八百年前、後堀河上皇のきさきの母の生まれ変わりの牛が死んだ時、釈迦の体を拭ったとされる白い布で、きさきが経帷子を作り、牛に着せて火葬すると、往生したという言い伝えにちなみ、牛が死んだといわれる四月十九日に法要を営んでいる。式は双盤念仏の読経の最中に太鼓と鉦の音がなり、導師が厨子に上がって釈迦如来立像に一年間たまったほこりを丁寧に払った。
続いて毎年この日には身を清めた住職が西芳寺苔寺)の水に香を溶いた香水に浸した白い木綿の反物で、立像の頭から足までふき取った。拭ったあとの白布を往生浄土を望む参拝者に授与するようになったものです。
※ 式で使った反物は死出の旅路にもたせる経帷子(きょうかたびら)の起源であるともされています。事前に申し込んだ人が経帷子に仕立てるという。

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東本願寺:「蓮如上人御影道中」.jpg

浄土真宗中興の祖・蓮如(一四一五~九九年)の肖像画「御影」とともに、真宗大谷派本山・東本願寺から福井県あわら市・吉崎別院まで往復五百二十キロる全行程を歩いて往復する恒例行事「蓮如上人御影道中」の一行が四月十七日、東本願寺を出発した。
蓮如(一四一五~九九)が他宗から迫害され、一四七一年、京都を追われ越前・吉崎を拠点に教化した苦労をしのぶとともに、その遺徳を伝えるため、吉崎別院で毎年二十三日から営まれる法要に合わせて一七五二(宝暦二)年(約二百五十年前)から続く伝統行事。 今回で三百四十回目を数える。
今年は引率役の僧侶一人と供奉人(ぐぶにん)と呼ばれる門信徒の八人計九人が、東本願寺の大寝殿で「御下向式」が営まれ、御影が輿に納められた後、リヤカーに載せて「蓮如上人さま、東本願寺をおたーちー」のかけ声を合図に一般参加者も随行、約三十人が台車を引き始め、福井県に向けてお寺を出発した。
滋賀県湖西地域を経て二十三日に吉崎別院に到着。往路は琵琶湖西岸など約二百四十キロを一週間かけて歩き、蓮如上人御忌法要の後、別の僧侶や門信徒たちが五月二日に吉崎を発ち、復路は琵琶湖東岸沿い湖北、湖東地域を通って五月九日に御影が東本願寺に戻る。

蟹満寺:「蟹供養放生会」.JPG 

木津川市山城町綺田(かばた)の「蟹の恩返し」の物語で知られる蟹満寺で四月十八日、カニに一年間の感謝をし、商売繁盛や豊漁を祈願する「蟹供養放生会」が営まれた。
平安時代後期の今昔物語などに記される「蟹満寺縁起」は、カエルを飲み込もうとしていたヘビに、父が「放したら娘を嫁にやる」と言ったためヘビに迫られた娘が、自分がかって助けたカニによって救われた、という話。
国宝の釈迦如来坐像を安置する本堂前で琴と尺八が演奏された後、観音堂で山伏や僧侶計九人が護摩を焚いた。
祭壇にはタラバカニ二匹を供え、読経が響くなか、全国のカニを扱う関係者や水産業者らが約三百匹のサワガニを次々と放した。   

知恩院:「御忌大会」 (2).jpg

東山区・浄土宗総本山:知恩院で四月十八日から開祖法然の遺徳を偲ぶ忌日法要「御忌大会」(ぎょきだいえ)が始まった。
御忌は、法然が八十歳で死去して約三百年後の一五二四(大永四)年に始まったとされる。
戦国時代から続く「法然忌」とも呼ばれる知恩院最大の法要で、命日の二十五日まで連日、ご詠歌の奉納や音楽法要などが続く。
法然は一月二十五日に亡くなったが、本来は一月に営む法要が一八七七年から四月になった。
全国から集まった僧侶や壇信徒たちの唱える念仏が、国宝・御影堂に響き、法然の遺徳を偲んだ。
十八日の逮夜法要では、約百人の僧侶が内陣を歩き回りながら念仏を唱える「笏念仏行道」が営まれ、堂内を埋めた約千人の参拝者が手を合わせていた。

知恩院:「ミッドナイト念仏in御忌」12”.jpg

★浄土宗総本山の知恩院で十八日夜から、三門上層の仏堂で夜通し念仏を唱える法要「ミッドナイト念仏in御忌(ぎょき)」が営まれる。
僧侶らは仏像の前にろうそくをともし、朝まで厳かな雰囲気の中で念仏を唱える。
極彩色に彩られた国宝・三門の二層内部で、ろうそくとあんどんの明かりを頼りに、僧侶や檀信徒たちが「南無阿弥陀仏」の声と木魚の音が厳かに響いた。
同日始まった宗祖法然の遺徳をしのぶ年間最大の行事「御忌大会(だいえ)」の関連法要で、一九九七年に始まった。午後八時、極彩色の天井絵が施された二階の仏堂に知恩院の儀式を担う式衆約三十人が入り、宝冠釈迦牟尼(むに)仏と十六羅漢像を前に、お経に節をつけた声明(しょうみょう)を響かせた。続いて、大勢の檀信徒たちも一緒に木魚たたいて唱和を繰り返した。十九日午前七時まで唱え続ける。
御忌の始まりを告げる開白(かいびゃく)法要は午後二時から、集会(しゅうえ)堂(御堂)で営まれた。法要は二十五日まで続く。

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     [京 の 季 節 の 花 だ よ り]

 

★「花の寺」として知られる三室戸寺で、日本シャクナゲが見頃を迎えている。
薄くピンク色がかった白い大ぶりの花が咲き誇り、訪れる人を魅了している。
日本シャクナゲは本堂の東側に十数本植えられており、今年の見頃は例
境内には西洋シャクナゲ約千本、ツツジ約二万株が植えられている庭園もあり、二十二日から公開する。拝観料が必要。

 
 
 
 

 

 

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八坂神社:「鮮やかな丹塗りが際立つ南楼門」

東山区の八坂神社で、明治時代前期に再建されて以来初めてとなる南楼門の本格修理が終わり、鮮やかな朱色がよみがえった。十五日から二日間、提灯行列や祇園祭の山鉾町によるお囃子の奉納演奏、大茶会を行い、修理の完了を祝う。
南楼門は、高さ約十四メートル、銅板ぶきの二層の門。本殿の南に位置し、正門に当たる。祇園祭で、三基の神輿は必ず南楼門を通り、長刀鉾の稚児が社参する際にもこの門をくぐる。
修理の際に見つかった棟札によると、幕末の一八六六(慶応二)年十二月六日の火事で焼失し、一八七九(明治十二)年六月三日に氏子たちの寄進で再建された。一九八一年に檜皮(ひわだ)ぶきから銅板ぶきに変更したが、三十五年が経過して傷みが著しかった銅板を新調した。内部で腐食していた木材も取り換えて耐震補強を施し、丹(に)塗りを全面的に塗り替えた。
十五日午前十時からの神事に続き、通り初めがある。午後五時二十分から、約一時間、総勢約五〇〇人の提灯行列が四条通などを練り歩く。十六日は午前十時の神事に続き、舞殿で弥栄雅楽会が奉納演奏。山鉾町で囃子のある全十三町と、再建中の鷹(たか)山による奉納囃子も順次行われる。同日正午~午後五時ごろ、祇園東お茶屋組合の芸舞妓らによる「祇園大茶会」(有料)がある。

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★球技の神様として知られ、蹴鞠や和歌の宗家飛鳥井家の別邸があったところで、守護神である精大明神を境内末社の地主神に祀っている上京区白峯神宮で四月十四日、春の例祭「淳仁天皇祭」が催され、神事と舞楽奉納の後、桜の花びらが舞い散る境内で、烏帽子姿と着物姿の蹴鞠保存会のメンバーにより、威勢の良いかけ声を出しながら、右足で白いまりを蹴り蹴鞠を披露する。   同宮に祀られている淳仁天皇(七三三~七六五)の命日に毎年開催されている。
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§蹴鞠について§                                            
 日清戦争の際、広島の大本営で京都在住の公家が明治天皇に蹴鞠を披露した。その後、天皇から蹴鞠を保存せよとの御下賜があり、明治三十六(1903)年に蹴鞠保存会が出来た(今年で創立百十四年目)。雅な王朝風の遊戯であり、サッカーの元祖とも言われる。     
蹴鞠の歴史は、約千四百年ほど前に中国から仏教とともに日本に伝わった。鎌倉時代には後鳥羽天皇のバックアップもあり、「蹴鞠道」として出来上がった。     
公家は「歌鞠両道」といって、和歌と共に蹴鞠は必要条件だった。蹴鞠は勝ち負けがないのが特徴で、使うのは右足だけで、ひざを曲げず、靴を地面に擦るようにして蹴る。鞠を受けたら三回目に上半身は動かさずに相手に渡すのが基本。 蹴鞠の際の掛け声「アリ」・「ヤウ」・「オウ」の意味は神様の名前を呼んで応援を請うている。アリは夏安林、ヤウは春陽花、オウは秋園。鞠の製法は裏返しにした二枚の鹿皮を、馬の背皮で縫い合わせている。蹴鞠を行う庭は約十五㍍四方の大きさで、四隅に掛かり木があり、神様が宿っているとされ、鞠庭に入るのは、神仏に祈るような心境。装束にも特色があり、装束や烏帽子は位によって色や形が違う。袴は張りがある葛で作られる。鞠靴は革の靴と足袋をくっつけ形で、脱げにくい。
※「逸 話」 蹴鞠で脱げた中大兄王子の靴を藤原鎌足が拾ったことで二人が接近し、六四五年の大化の改新につながったと言われる。
        

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伏見稲荷大社:「水口播種祭」2017年335
 伏見稲荷大社で豊作を祈る水口播種祭が行われた。
すげがさにあかねだすきの早乙女姿の人たちが、神田に種もみをまいた。境内北側にある広さ約三三〇平方メートルの神田の一角で行われた。信者の男女十五人が、神楽の演奏される中、桜の花びらが浮かぶ水面に種もみをまいていった。この種もみから育った苗を、六月の田植祭で植え、十月の抜穂祭では約一五〇キロのコメの収穫を見込んでいる。

伏見稲荷大社:「水口播種祭」2017年
 
虚空蔵法輪寺:「十三まいり」の寺
 ★数え年十三歳を迎える子どもたちの健やかな成長を祈願する「十三まいり」(京都織物卸商業組合主催)が十三日、西京区嵐山の虚空蔵法輪寺であった。
春の陽気の下で着物姿の子どもたちが家族とともに参拝し、学業成就などを願った。
十三まいりは、知恵を授ける虚空蔵菩薩(ぼさつ)にお参りする行事。
頂いた知恵をなくさないよう、帰りの渡月橋では振り返らずに渡りきらなければならない、との言い伝えがある。
十三参りの始まりは、空海室戸岬の洞窟(御厨人窟)に籠もって虚空蔵求聞持法を修したことにより飛躍的に記憶力が増したことから、数え年十三歳を迎えた(少年は昔の元服時期にあたり、少女は個人差はありますが、初潮を迎える時期に合致。)少年・少女が、これまで健やかに成長できたことへの感謝とともに、これから益々知恵と福徳を授かる為に、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩(虚空蔵菩薩)に参拝する行事です。虚空菩薩とは、十三番目に誕生した智恵と福徳を司る菩薩と言われています。別名:知恵詣り・智恵もらいとも呼ばれています。

春:三月十三日から五月十三日(四月十三日を中日とした一月間)
秋:一〇月から十一月

虚空蔵法輪寺:十三詣り