"おいない"の京都最新情報

2018年 10月 30日(火)
 
        【京 の 紅 葉 だ よ り】

☆京都の美しい山々の端が紅に染まって、秋たけなわの紅葉シーズン、日本の四季があでやかに移り変わる京都。
その昔から幾多の歌に詠まれ、文学の舞台になった日本屈指の紅葉どころがひしめく京都!

京都の紅葉 ロゴ

★おいない”がおすすめする京都紅葉の名所スポットガイド
紅葉の条件として気温に大きく左右される。八度以下で色づき始め、五度前後で色合いを増すという。京都市内・近郊の紅葉もいよいよ色づき始めております。
京都の紅葉は場所により多少の違いはありますが、今年は十一月初旬以降よりより十二月上旬頃までが、お奨めの見頃となります。
間もなく紅葉のピークを迎える各名所、社寺には多くの人々が訪れ、晩秋の風情を満喫し楽しんで居られる今日この頃です。
夜間ライトアップ寺院も年々人気が集まり、あでやかな紅葉、華やかな秋模様を醸し出しております。
 

    【京 の 紅 葉 だ よ り】 (29日 調べ)        
『青 葉』  東福寺高台寺清水寺三千院 ・ 嵐山 ・ 常寂光寺  ・ 光明寺 ・ 鍬山神社 ・ 平等院  ・  笠置山
『色づく』   永観堂 ・ 勧修寺 ・  府立植物園  ・  岩倉実相院 ・ 高雄 ・ 保津峡 ・  北野天満宮 ・ 善峯寺 ・  志明院浄瑠璃寺   ・ 金剛院  ・ 美山大野ダム

実相院:「色好き始めたモミジ」2018年

★朝夕の冷え込みが増す中、京都市内の山沿いで木々が色づき始めた。左京区岩倉の実相院では一部のモミジが赤く染まり、紅葉シーズンの始まりを告げている。
実相院では例年、最低気温が市内中心部より低く、紅葉の始まりが早いという。二〇〇本あるモミジのうち、池の周りの先端部分が色づいているが、今後境内全体が順次色づき、十一月中旬ごろから見頃になるという。
今年は秋が二週間ぐらい早く訪れているように感じる。ゆっくりと気温が下がれば、十二月中旬ごろまで長く楽しめそう。

"おいない"の京都最新情報

 2018年 10月 29日(月)


    【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
 
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 上京区北野天満宮では十月二十九日、恒例の「余香祭」行われた。
菅原道真公は、右大臣の位にあった昌泰三年(九〇〇年)九月、醍醐天皇より京都御所・清涼殿に於ける「重陽の宴」に召され詩を詠まれ、帝は菅公の詩にいたく感銘され、、着衣を授けられた。
一年後配流地の大宰府でその栄華を追想され、有名な「去年の今夜清涼に侍す……恩賜の御衣……余香を拝す」とはじまる[重陽後一日]の詩篇を作られたのに因み、大正八年十月二十九日(往時の九月九日を新暦に換算)に、久しく絶えていた旧儀を「余香祭」と名付け再興し、以後毎年十月二十九日に行うようになる。
毎年兼題を決めて全国より集まる数百首の献詠された和歌を神前で披露します。
当日の神餓(お供えもの)には黄菊,白菊を飾り、又斎主以下祭員・奉仕者も全員冠に小菊をかざして奉仕する。
左遷された身の上にもありながら賜った衣の香を拝しているという公の人柄がしのばれるエピソードです。
 
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"おいない"の京都最新情報

2018年 10月  27日(土)

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

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 南座新開場を記念して、歌舞伎史上最大規模で二十七日に行われた「お練り」。人気役者を一目見ようと、祇園四条通は、観衆であふれかえった。お練りに先立ち、南座の劇場内では「開場式」があり、お練りに参加しなかった坂田藤十郎さん(86)や尾上菊五郎さん(76)ら東西の人間国宝たちを含めた、総勢一〇〇人の歌舞伎役者が舞台上に勢ぞろい。壮観な大顔合わせで、祝いの手締めをした。
開場式を終えた午後二時半すぎ、南座正面から花形役者六十九人が四条通に続々と姿を現すと、沿道を埋めた観衆から歓声がわき起こった。出発前のわずかな時間の中、市川海老蔵さん(40)がスマートフォンを取り出し、周りの役者に「自撮り」で記念撮影を呼び掛けた。
その輪の中には松本幸四郎さん(45)、中村獅童さん(46)、片岡愛之助さん(46)、市川中車さん(52)、市川猿之助さん(42)、尾上菊之助さん(41)ら、平成以降の歌舞伎を担う中堅・若手役者がずらり。
金銀のテープが上空に発射され、お囃子が鳴り響く中、お練りがスタート。車道まであふれた沿道の多くの人が、スマホやカメラで撮影する中、役者たちは笑顔で手を振りながら、ゆっくりと練り歩いた。
 
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 南座の開場式は招待客のみを対象に開かれ、十一月の顔見世で襲名披露する松本白鸚(はくおう)さん(76)、幸四郎さん、市川染五郎さん(13)の親子孫の三代が「寿式三番叟(さんばそう)」を披露し、舞台をことほいだ。
舞台上には、文化功労者への選出が二十六日発表されたばかりの片岡仁左衛門さん(74)をはじめ、中村吉右衛門さん(74)、坂東玉三郎さん(68)ら人間国宝がずらりと最前列に並び、幸四郎さんや海老蔵さんが二列目に並んだ。最後に、菊五郎さんの発声で一本締めをして、十一月一日初日の顔見世で新開場する南座の大入りを願った。 
   2018年 10月  28日(日)
 
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 ★青蓮院・秋期大法要  熾盛光法(しじょうこうぼう)
青蓮院は天台密教嫡流の一つとして、本尊にこの熾盛光如来を祭り、折々に天変地異の息災と皇室の安寧を祈願する役割を担ってきました。
その勤めの修法が平成十七年のご開帳を勝縁として、平成十八年より一般に公開されました。 

"おいない"の京都最新情報

2018年 10月 27日(土)


     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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新選組にゆかりのある三つの武術団体が京都に集結し、幕末に会津藩松平容保(かたもり)の前で行われた剣術の御前試合を再現する。二十七日午後一時から、左京区金戒光明寺で奉納演武を披露する。
新選組斉藤一が使い手だった「無外流居合鵬玉(ほうぎょく)会」と新選組局長近藤勇が四代目宗家だった「天然理心流勇武館」、坂本龍馬らが使った「北辰(ほくしん)一刀流玄武館」の三流派。
「戊辰(ぼしん)150年プロジェクト」と題し、歴史の舞台となった東京、京都に続き、栃木でも公演を予定している。京都の会場は、京都守護職に任ぜられた松平容保が本陣とした金戒光明寺を選んだ。同寺は新選組発祥の地としても知られている。

"おいない"の京都最新情報

2018年 10月 24日(木)


     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 南座の新開場を目前に、花形役者が勢ぞろいする歌舞伎史上最大規模のお練りが二十七日、祇園四条通で開かれることが決まった。全車線を通行止めにし、祇園祭以外では異例の四条通での大規模イベントになる。中村時蔵(63)以下の世代のほぼ全ての役者が参加。十一月の顔見世で襲名を披露する松本幸四郎(45)、市川染五郎(13)親子のほか、今年の顔見世には出演しない人気役者たちも駆けつけ、京を練り歩く。
南座発祥四〇〇年 南座新開場祇園お練り」と銘打つ。当日は午後二時半に南座前で出発式を開く。その後、八坂神社石段下までの四〇〇メートルを総勢約七〇人の役者が紋付きはかま姿で三~四人ずつ並んで歩く。午後三時半に終了予定。
花形役者がそろうお練りは、東京の歌舞伎座が建て替えで新開場した二〇一三年春に銀座であり、数万人の人出があった時以来。この時は市川海老蔵(40)や中村勘九郎(36)ら約六〇人の役者が参加したが、当時より子ども世代の役者が増えており、近年にない規模のお練りになる。
参加する役者は現在最終調整しているが、最年少では、勘九郎の次男の長三郎(5)らも歩く予定。
南座から八坂神社までの四条通は当日午後一時半~四時半は車両通行止めとなる予定で、路線バスは迂回する。雨天決行。
南座は江戸時代初期の元和年間(一六一五~一六二四年)にルーツを持つ日本最古の劇場。現在の建物は一九二九(昭和四)年築で、約三年がかりの耐震改修を終え、十一月一日に初日を迎える顔見世で新開場する。今年は二十二年ぶりとなる二カ月連続の顔見世で、十二月も役者や演目を替え、二十六日まで続く。
 
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 ★恒例の「市民大茶会」が二十四日、中京区の二条城清流園で始まった。朝晩の冷え込みでぐっと秋めいた庭園で、市民や観光客が一服を味わった。
茶道文化に広く親しんでもらおうと、茶道各流派の協力で市が毎年開く。
初日は裏千家、十一月一日は表千家、三日は藪内家が担当し、それぞれ午前九時半から午後三時まで、有料で茶席を設ける。
着物姿の来場者らは、庭園内の「和楽庵」と「香雲亭」に特別に設けられた茶席で、うっすらと色づき始めた木々を眺めながら、和菓子と抹茶をゆっくりと堪能した。
 
  2018年 10月 25日(木)

    【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
 
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 伏見稲荷大社で毎年四月の水口播種祭、六月十日に五穀豊穣を祈る農耕神事「田植祭」で境内の神田に植えられた早苗が稲穂となり、大神のみたまの働きによって成長し稔った稲を刈る祭事で秋の恵みに感謝する「抜穂祭」が十月二十五日、境内の神田前の舞台で営まれ、雅楽の優雅な調べと、鮮やかな緋袴姿の神楽女が鎌と稲穂を手に古式ゆかしく、あでやかな「抜穂舞」が披露される中、男女約二十人が、手甲脚絆・管笠姿で横一列になり、神田の稲をかまで手際よく刈り取っていた。
美しく、そしてのどかな祭で、古式ゆかしい稲刈りは約五㌃の神田で毎年約百五十㌔を収穫し、十一月二十三日の新嘗祭で神前に供えられる。稲藁は火焚祭に焚き上げられます。
 
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 京の花街の一つ、先斗町歌舞会の代表的な行事のひとつ「水明会」は昭和五年三月十五日に第一回目の公演がもたれました。
これはそれ以前にあった伎芸研究会として催されていた「長唄千代栄会」(明治四〇年二月発足)と「土曜会」(昭和二年九月発足)との両会が発展的併合したものです。

日ごろの精進の成果を披露する水明会は一九三〇年から続く伝統行事の一つ。大ざらえでは、秋の気配が漂う舞台で芸妓たちがあでやかな舞を披露した。
舞台は、能狂言に題材を得た常磐津「寿栄広(すえひろ)」で開幕し、西洋音楽に影響を受けた大和楽の三題「雨」「梅」「城」を披露。最後に長唄越後獅子」をにぎやかに踊り舞う。
公演日時  平成三十年十月二十五日(木)〜 二十八日(日)
午後四時開演(開場三〇分前)
観覧料  指定席/八〇〇〇円、七〇〇〇円 

 

"おいない"の京都最新情報

2018年 10月 22日(月)
     【時 代 祭 シリーズ】

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時代祭についてあまり知られていない事実やヱピソート
明治二十八年というのは京都にとって平安京が築かれてから丁度一一〇〇年目という記念すべき年でしたが、その頃の京都は明治維新によって首都が東京に移りすっかり活力を失い、さびれていた頃です。
その時かっての京都の活力を取り戻そうと情熱に燃える京都市民が「平安遷都千百年祭」というイベントを企画し、たまたま第四回国内勧業博覧会と時期同じくしたので、その記念モニュメントと博覧会のパピリオンとして、平安宮大極殿の縮小復元が成され、その出来ばえは素晴らしく神宮としての保存が決定され、平安朝の創始者桓武天皇が祀られることになったのです。
それが現在の「平安神宮」で、当然神を祭るならば例祭が必要となりそこで考え出されたのが「時代祭」なのです。
明治二十八年十月二十二日はまさに新都・平安京の始まった日、つまり京都の誕生日です。「時代祭」という神事として毎年この日に行われるようになったのです。時代祭の見どころは豪華な衣装の数々です。毎年、新調や修復が行われ、一万二千点にもおよぶ衣装や調度品、祭具は全てが本物。その道のプロ達により時代考証が重ねられ糸一本に至るまで当時の素材や技法で復元されています。これぞ伝統工芸王国・京都のなせる技です。
その貴重な衣装や道具は一人当たり一〇〇〇万~三〇〇〇万円です。行列十九列、総勢二千名程ですからその評価額は…何と四十億~五十億円、まさに動く美術館です。
当日は、馬車四台、牛車一台、牛馬七十六頭とともに各時代の衣装をまとった行列は明治維新、江戸時代、安土桃山時代、吉野時代、鎌倉・室町時代、藤原時代、延暦時代の順に京都御所の建礼院門前を出発し、平安神宮までを歩き、古都・京都千年の歴史と文化が一目で判るようになっています。
特に人気の列は京都御所・建礼門から、錦の御旗や陣羽織姿の隊長を先頭に、小中学生の筒袖の羽織に紫色の袴を着けた鼓笛の音とともに現れる鼓笛隊や鉄砲隊など、総勢八十人が、維新時そのままにゆったりと行進する、行列の先頭を行く山国維新勤皇隊、坂本龍馬らが登場する明治維新の立て役者となった幕末志士列と京都にゆかりのある婦人列。婦人列は江戸時代、中世、平安時代の三列あり京都の五花街の芸妓さんらが持ち回りで担当します。
午前九時から平安神宮で二基の鳳輦に桓武天皇孝明天皇のご神霊をうつし、京都御所の建礼門前行在所へ神幸列が出発する。
時代祭行列は明治から延暦までの八時代、二十もの列が市内を練り歩く。列の長さは約二㌔で総勢二千人もの人々が参加する。神幸列の、桓武・孝明両天皇の霊を祀る鳳輦は、宮仕えや護衛の人々と行列の最後尾を進む。
京都で生涯を終えた最初と最後の天皇は、毎年この時に市中の繁栄を眺めて都大路を巡られる。
時代祭りが始まった明治時代は、室町幕府を開いた足利尊氏が「逆賊」とされ、室町時代列が作られなかった。
創設当時は天皇崇拝が色濃い時代で、天皇に刃向かった尊氏に代わり、後醍醐天皇上洛を導いた楠木正成の列が作られたが、「日本文化の原点となる北山・東山文化がないのはおかしい」ということで、能や華道、茶道が発展した室町文化の行列で、金閣を造った三大将軍義満や銀閣を造った八代将軍義政のほか能作者世阿弥や茶人千利休、作庭で名高い夢想国師らの足利時代列(室町幕府)について従来より新設する計画が固まり、平成十九年の創設が実現した。
 
 一八九五(明治二十八)年に始まって以来、空白だった「室町時代列」が平成十九年に新設され、幕府執政列と洛中時代列の約七十人が、室町の華やかな衣装で、金襴の衣をまとった馬上の足利将軍をはじめ、軽やかな音楽と風流踊りが、京都に都が置かれた千百年の風俗を再現する一大歴史絵巻の行列に華を添えた。
★秋深まる古都を彩る都大路京都三大祭りの一つ時代祭が、明治維新から平安時代にかけて時代をさかのぼり各装束をまとった行列が再現する秋の一大風俗絵巻。
七九四年の平安遷都から一一〇〇年目の年、平安京を造営した桓武天皇を祭神に創建された平安神宮平安京大内裏の応天門、大極殿など都の政庁の八分の五の規模に縮小し社殿として建立された平安遷都一一〇〇年目に当たる明治二十八(一八九五)年、この新しい神社の創建に合わせて、祭礼として始まったのが時代祭
桓武天皇長岡京から平安京へ遷御した日にちなむ十月二十二日に行われる。
桓武天皇と昭和十五年に合祀された孝明天皇の御霊を乗せた二基の鳳輦が平安神宮を、京都御所の建礼門前行在所へ神幸列が出発する。時代衣装をまとったおよそ二〇〇〇人の供奉行列と合流、建礼門から京都の歴史と伝統を伝えてきた時代祭平安神宮に向かっておよそ二㌔にわたる行列が都大路を練り歩きます。 その後、平安神宮還幸祭が斎行され、桓武天皇孝明天皇の二柱の祭神が本殿へ安置される。
時代祭は平安遷都一一〇〇年を記念し、平安神宮が創建された一八九五(明治二十八)年に始まった。今年で一二三年目、時代行列の執行は一一二回目
明治維新時代】 
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 ① 維新勤王隊列
維新の際、抵抗する東北諸藩を鎮圧するため、丹波国(現右京区京北)から官軍に加勢した「山国隊」の行列。官軍の旗印「錦の御旗」を掲げ、軍楽隊の笛、太鼓に合わせて登場。
② 維新志士列
桂小五郎坂本竜馬のほか、政争に敗れて都落ちする公卿や攘夷実現に尽力した思想家など、幕末動乱期の英雄たちが続く。
【江戸時代】
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 ③ 徳川城使上洛列
朝廷行事のために上洛した幕府の城使たち。「ヒーサー」の掛け声とともに、当時の盛大さを思わせる豪華な駕籠や器具が運ばれ、大勢の従者が連なり、時代祭の中で最大の行列。
④ 江戸時代婦人列
皇女和宮をはじめ、歌人大田垣蓮月や歌舞伎踊りの出雲阿国など京都で話題となった女性たちに列。さまざまな階層、年齢の服飾が楽しめる。
安土桃山時代
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⑤ 豊公参朝列
豊臣秀吉の子・秀頼の参朝列。最も盛大だったという初参内と元服時の参内の様子を再現。
最高級の牛車に、当日だけ許された「一日晴れ」という特別な装束をまとった大名が続く。
 
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 ⑥ 織田公上洛列
天皇のお召しに応じて上洛した織田信長は、戦乱で荒廃した京都を復興しました。本列では信長のほか羽柴秀吉柴田勝家ら武将が登場。戦国時代特有の甲冑や派手な兜は必見。
 ⑦ 室町幕府執政列
軽武装姿の足利将軍と色鮮やかな甲冑の重臣たちが、御供衆として従った様子を表現した列。武家風俗を中心に、公家・博士・医師などほかの列には登場しない顔ぶれも楽しめる。
⑧ 室町洛中風俗列
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 室町時代後半に、京町衆の間で流行した風流踊りを再現。これは盆踊りなどの原型になったもので、当時は奇抜に着飾った男性が踊りましたが、本列では女性も参加。
⑨ 楠公上洛列
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 隠岐に配流されていた後醍醐天皇の還幸の際、先駆けて上洛した楠木正成の一行。中世に降盛した装飾性の高い大鎧をはじめ、多様な甲冑や武具が見られる勇ましく晴れやかな行列。
⑩ 中世婦人列
平安時代後半から桃山時代までの女性たち。行商を営んだ小袖姿の大原女や桂女、打掛を着た淀君白拍子姿の静御前など多彩。
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 ⑪ 城南流鏑馬
流鏑馬」は武芸の訓練の一つ。本列は、承久三(一二二一)年に後鳥羽上皇が催された、
城南離宮での流鏑馬の一場面。郎党を従えた五人の射手武士が、独特の狩装束で登場。
【藤原時代】
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 ⑫ 藤原公卿参朝列
日本独自の文化が発展した藤原氏全盛の平安中期。宮中での儀式のために参朝する夏正装姿の文官・武官が、御供を引き連れた列で、きらびやかな王朝風俗を伝えている。
⑬ 平安時代婦人列
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 平安時代に大きく変化した女性の服装。巴御前清少納言小野小町たちを通してその変遷を優美に描き出す
延暦時代】
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 ⑭ 延暦武官行進列
桓武天皇の御代、東北地方平定のために遠征した征夷大将軍坂上田村麻呂の行軍。金色に輝く将軍の甲冑や金作りの太刀は、正倉院御物や古墳の出土品などから考証した
 
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 ⑮ 延暦文官参朝列
朝賀の儀式に参朝する文官たちの列で、身分により異なる色の位袍を着ています。最高位の浅紫を着た三位は、平安神宮に到着後、全行列を代表して大極殿で祭文を奏上する。
【神幸列】
⑯ 神饌講社列
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 時代祭当日の神前にお供えする神饌物を奉献する役目の人たちの列。神事を行う装束をいに着けている。
⑰ 前列
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 美しい羽根が目を引く舞人の迦稜頻伽や胡蝶、雅楽を奏する怜人なども加わった祭りらしい列。
⑱ 神幸列
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 行列の中心となる列。平安神宮の御祭神である桓武天皇孝明天皇の御神霊を移した乗輿・御鳳輦が巡行。
⑲ 白川女献花列
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 美しい花を売り歩く白川女たち。伝統的な装束で、色とりどりの献花を頭に乗せている。
⑳ 弓箭組列
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 行列の警護役。弓術が盛んであった丹波国桑田(現亀岡市)、船井(現南丹市)両郡の人々が務めます。
 

"おいない"の京都最新情報

 2018年 10月 21日(日)


     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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★曲水の宴で知られる伏見区・城南宮は、方除けの神として広く信仰を集めています。
城南宮神幸祭平安時代の末から盛大に行われていた歴史ある祭礼。

午前九時より本殿で祭典を執り行います。正午過ぎより、それぞれ重さ一.五トン近くある三基の豪華な神輿の渡御が始まり、氏子区域を練り歩きます。
夕刻、提灯と松明の明かりの中、神社に神輿が還御する様子は壮観です。
 
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 源平合戦壇ノ浦の戦いで知られる弓の名手・那須与一の墓がある東山区泉涌寺塔頭即成院では、毎年十月第三日曜日(今年は二十一日)に「二十五菩薩お練り供養大法会」が行われる。場所は源信ゆかりの寺院。
本堂を極楽浄土、境内の地蔵堂を現世とし、その間約六十㍍に高さ二㍍の橋を渡し、現世の衆生を二十五菩薩が極楽に迎えに来る姿を現す法要。
極楽浄土と現世にみたてゆっくり練り歩く姿は、独特の華やかな風景で、菩薩が現世に来迎して衆生を安楽浄土へ導くという平安末期からの来迎思想を仮装と音楽で分かりやすく表現したもの。
ホラ貝を吹き鳴らす修験者や僧が、まず稚児を先導。その後、金色の各菩薩の面をつけ、金襴の衣装をまとった二十五人の菩薩役の信者が橋を渡って、ご来迎を再現する。
最後に本堂内で観音、勢至、普賢の三菩薩が笙や篳篥の音色が響く中、優美な「極楽の舞」を舞いながらゆったり進み、ほかの菩薩も静かに続いた。
 
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 ★日本での競馬発祥の地と伝わる上賀茂神社で十月二十一日、平成十七年に復活した約八百年前から行われていた騎射の一種「笠懸(かさがけ)神事」が、伝統的な騎射を継承する「武田流馬術」(神奈川県)により奉納された。
笠懸は、日本書紀にも登場する日本古来の弓馬術で、地上に伏せて攻撃してくる敵の顔面を狙う実践的な騎射で、疾走する馬上から的を狙う。
約五㍍離れた四十㌢四方の的を射る遠笠懸と地面低くにたてられた二十㌢四方の小さな的を射る小笠懸がある。
境内の参道西側の芝生に約百八十㍍の直線路を設け、武者装束姿の騎手九人が順に南端からスタート。北端でUターンして駆け抜ける間に、馬場の左右両側に設けた大小五つの的に向けて射手は馬から身を乗り出す形で矢を放つ。
上賀茂神社では、建保二(一二一四)年、後鳥羽上皇行幸の際に行われたとの記録が「賀茂旧記」に残っているが、いつまで行われていたは不明。
 
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 ★朝廷が皇女を天皇のかわりに伊勢神宮に仕えた斎宮が、京から伊勢神宮に向かった様子を再現する故事にちなむ「斎宮行列」が十月二十一日、嵐山一帯で催され、十二単衣の斎宮や稚児ら約百五十人の行列が、秋風そよぐ嵯峨野の竹林をゆったりと厳かに練り歩く。
行列は斎宮代や騎乗の監送使、命婦役らが野々宮神社を出発し、途中で稚児が加わり、緩やかな足取りで渡月橋へと出発。
斎宮代は大堰川で手を洗い、身を清める「みそぎの儀」を行う壮麗な王朝絵巻行列。
南北朝時代までは、天皇の即位に合わせて、未婚の内親王から選ばれた皇女が斎宮として嵯峨野の地で営まれた野宮で潔斎の後、「群行」と称される大行列で伊勢神宮に向かった。野宮神社は、その昔に野宮が設けられた場所とされる
※ヒロインの斎宮代が乗る漆塗りの美しい牛車は上皇や皇后など高位の人が使った「唐車」。屋根が唐破風で、全長五.九㍍、幅二.七㍍、高さ三㍍。
 
 ★二条城最後の城主で、江戸幕府十五代将軍の徳川慶喜らがたしなんだ茶の湯を再現する取り組みが二十一日、二条城で初めて催される。通常公開していない重要文化財(重文)の「台所」と「御清所(おきよどころ)」で寸劇や解説を行い、将軍家の暮らしや慶喜の横顔をひもとく。
十二月九日までの観光行事「二条城まつり2018年」の一環として、市などが催す。舞台となる台所と御清所は、料理や配膳を行った江戸時代の重文建物。城内の国指定文化財で飲食イベントを行うのは初めてで、文化財を活用した観光振興をさらに進める。
午後一時、三時半からの二回で、定員各五〇人。入場料を含め、会費一〇〇〇〇円。事前申し込みが必要。