"おいない"の京都最新情報
2018年 10月 30日(火)
【京 の 紅 葉 だ よ り】
☆京都の美しい山々の端が紅に染まって、秋たけなわの紅葉シーズン、日本の四季があでやかに移り変わる京都。
その昔から幾多の歌に詠まれ、文学の舞台になった日本屈指の紅葉どころがひしめく京都!
★おいない”がおすすめする京都紅葉の名所スポットガイド
紅葉の条件として気温に大きく左右される。八度以下で色づき始め、五度前後で色合いを増すという。京都市内・近郊の紅葉もいよいよ色づき始めております。
京都の紅葉は場所により多少の違いはありますが、今年は十一月初旬以降よりより十二月上旬頃までが、お奨めの見頃となります。
間もなく紅葉のピークを迎える各名所、社寺には多くの人々が訪れ、晩秋の風情を満喫し楽しんで居られる今日この頃です。
夜間ライトアップ寺院も年々人気が集まり、あでやかな紅葉、華やかな秋模様を醸し出しております。
【京 の 紅 葉 だ よ り】 (29日 調べ)
『青 葉』 東福寺 ・高台寺 ・ 清水寺 ・ 三千院 ・ 嵐山 ・ 常寂光寺 ・ 光明寺 ・ 鍬山神社 ・ 平等院 ・ 笠置山
『色づく』 永観堂 ・ 勧修寺 ・ 府立植物園 ・ 岩倉実相院 ・ 高雄 ・ 保津峡 ・ 北野天満宮 ・ 善峯寺 ・ 志明院 ・ 浄瑠璃寺 ・ 金剛院 ・ 美山大野ダム
★朝夕の冷え込みが増す中、京都市内の山沿いで木々が色づき始めた。左京区岩倉の実相院では一部のモミジが赤く染まり、紅葉シーズンの始まりを告げている。
実相院では例年、最低気温が市内中心部より低く、紅葉の始まりが早いという。二〇〇本あるモミジのうち、池の周りの先端部分が色づいているが、今後境内全体が順次色づき、十一月中旬ごろから見頃になるという。
今年は秋が二週間ぐらい早く訪れているように感じる。ゆっくりと気温が下がれば、十二月中旬ごろまで長く楽しめそう。
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2018年 10月 29日(月)
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
菅原道真公は、右大臣の位にあった昌泰三年(九〇〇年)九月、醍醐天皇より京都御所・清涼殿に於ける「重陽の宴」に召され詩を詠まれ、帝は菅公の詩にいたく感銘され、、着衣を授けられた。
一年後配流地の大宰府でその栄華を追想され、有名な「去年の今夜清涼に侍す……恩賜の御衣……余香を拝す」とはじまる[重陽後一日]の詩篇を作られたのに因み、大正八年十月二十九日(往時の九月九日を新暦に換算)に、久しく絶えていた旧儀を「余香祭」と名付け再興し、以後毎年十月二十九日に行うようになる。
毎年兼題を決めて全国より集まる数百首の献詠された和歌を神前で披露します。
当日の神餓(お供えもの)には黄菊,白菊を飾り、又斎主以下祭員・奉仕者も全員冠に小菊をかざして奉仕する。
左遷された身の上にもありながら賜った衣の香を拝しているという公の人柄がしのばれるエピソードです。
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2018年 10月 27日(土)
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
開場式を終えた午後二時半すぎ、南座正面から花形役者六十九人が四条通に続々と姿を現すと、沿道を埋めた観衆から歓声がわき起こった。出発前のわずかな時間の中、市川海老蔵さん(40)がスマートフォンを取り出し、周りの役者に「自撮り」で記念撮影を呼び掛けた。
その輪の中には松本幸四郎さん(45)、中村獅童さん(46)、片岡愛之助さん(46)、市川中車さん(52)、市川猿之助さん(42)、尾上菊之助さん(41)ら、平成以降の歌舞伎を担う中堅・若手役者がずらり。
金銀のテープが上空に発射され、お囃子が鳴り響く中、お練りがスタート。車道まであふれた沿道の多くの人が、スマホやカメラで撮影する中、役者たちは笑顔で手を振りながら、ゆっくりと練り歩いた。
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2018年 10月 27日(土)
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
新選組の斉藤一が使い手だった「無外流居合鵬玉(ほうぎょく)会」と新選組局長近藤勇が四代目宗家だった「天然理心流勇武館」、坂本龍馬らが使った「北辰(ほくしん)一刀流玄武館」の三流派。
「戊辰(ぼしん)150年プロジェクト」と題し、歴史の舞台となった東京、京都に続き、栃木でも公演を予定している。京都の会場は、京都守護職に任ぜられた松平容保が本陣とした金戒光明寺を選んだ。同寺は新選組発祥の地としても知られている。
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2018年 10月 24日(木)
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
「南座発祥四〇〇年 南座新開場祇園お練り」と銘打つ。当日は午後二時半に南座前で出発式を開く。その後、八坂神社石段下までの四〇〇メートルを総勢約七〇人の役者が紋付きはかま姿で三~四人ずつ並んで歩く。午後三時半に終了予定。
花形役者がそろうお練りは、東京の歌舞伎座が建て替えで新開場した二〇一三年春に銀座であり、数万人の人出があった時以来。この時は市川海老蔵(40)や中村勘九郎(36)ら約六〇人の役者が参加したが、当時より子ども世代の役者が増えており、近年にない規模のお練りになる。
参加する役者は現在最終調整しているが、最年少では、勘九郎の次男の長三郎(5)らも歩く予定。
南座から八坂神社までの四条通は当日午後一時半~四時半は車両通行止めとなる予定で、路線バスは迂回する。雨天決行。
南座は江戸時代初期の元和年間(一六一五~一六二四年)にルーツを持つ日本最古の劇場。現在の建物は一九二九(昭和四)年築で、約三年がかりの耐震改修を終え、十一月一日に初日を迎える顔見世で新開場する。今年は二十二年ぶりとなる二カ月連続の顔見世で、十二月も役者や演目を替え、二十六日まで続く。
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
美しく、そしてのどかな祭で、古式ゆかしい稲刈りは約五㌃の神田で毎年約百五十㌔を収穫し、十一月二十三日の新嘗祭で神前に供えられる。稲藁は火焚祭に焚き上げられます。
これはそれ以前にあった伎芸研究会として催されていた「長唄千代栄会」(明治四〇年二月発足)と「土曜会」(昭和二年九月発足)との両会が発展的併合したものです。
日ごろの精進の成果を披露する水明会は一九三〇年から続く伝統行事の一つ。大ざらえでは、秋の気配が漂う舞台で芸妓たちがあでやかな舞を披露した。
舞台は、能狂言に題材を得た常磐津「寿栄広(すえひろ)」で開幕し、西洋音楽に影響を受けた大和楽の三題「雨」「梅」「城」を披露。最後に長唄「越後獅子」をにぎやかに踊り舞う。
公演日時 平成三十年十月二十五日(木)〜 二十八日(日)
午後四時開演(開場三〇分前)
観覧料 指定席/八〇〇〇円、七〇〇〇円
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2018年 10月 22日(月)
【時 代 祭 シリーズ】
明治二十八年というのは京都にとって平安京が築かれてから丁度一一〇〇年目という記念すべき年でしたが、その頃の京都は明治維新によって首都が東京に移りすっかり活力を失い、さびれていた頃です。
その時かっての京都の活力を取り戻そうと情熱に燃える京都市民が「平安遷都千百年祭」というイベントを企画し、たまたま第四回国内勧業博覧会と時期同じくしたので、その記念モニュメントと博覧会のパピリオンとして、平安宮大極殿の縮小復元が成され、その出来ばえは素晴らしく神宮としての保存が決定され、平安朝の創始者・桓武天皇が祀られることになったのです。
それが現在の「平安神宮」で、当然神を祭るならば例祭が必要となりそこで考え出されたのが「時代祭」なのです。
明治二十八年十月二十二日はまさに新都・平安京の始まった日、つまり京都の誕生日です。「時代祭」という神事として毎年この日に行われるようになったのです。時代祭の見どころは豪華な衣装の数々です。毎年、新調や修復が行われ、一万二千点にもおよぶ衣装や調度品、祭具は全てが本物。その道のプロ達により時代考証が重ねられ糸一本に至るまで当時の素材や技法で復元されています。これぞ伝統工芸王国・京都のなせる技です。
その貴重な衣装や道具は一人当たり一〇〇〇万~三〇〇〇万円です。行列十九列、総勢二千名程ですからその評価額は…何と四十億~五十億円、まさに動く美術館です。
当日は、馬車四台、牛車一台、牛馬七十六頭とともに各時代の衣装をまとった行列は明治維新、江戸時代、安土桃山時代、吉野時代、鎌倉・室町時代、藤原時代、延暦時代の順に京都御所の建礼院門前を出発し、平安神宮までを歩き、古都・京都千年の歴史と文化が一目で判るようになっています。
特に人気の列は京都御所・建礼門から、錦の御旗や陣羽織姿の隊長を先頭に、小中学生の筒袖の羽織に紫色の袴を着けた鼓笛の音とともに現れる鼓笛隊や鉄砲隊など、総勢八十人が、維新時そのままにゆったりと行進する、行列の先頭を行く山国維新勤皇隊、坂本龍馬らが登場する明治維新の立て役者となった幕末志士列と京都にゆかりのある婦人列。婦人列は江戸時代、中世、平安時代の三列あり京都の五花街の芸妓さんらが持ち回りで担当します。
午前九時から平安神宮で二基の鳳輦に桓武天皇・孝明天皇のご神霊をうつし、京都御所の建礼門前行在所へ神幸列が出発する。
時代祭行列は明治から延暦までの八時代、二十もの列が市内を練り歩く。列の長さは約二㌔で総勢二千人もの人々が参加する。神幸列の、桓武・孝明両天皇の霊を祀る鳳輦は、宮仕えや護衛の人々と行列の最後尾を進む。
京都で生涯を終えた最初と最後の天皇は、毎年この時に市中の繁栄を眺めて都大路を巡られる。
時代祭りが始まった明治時代は、室町幕府を開いた足利尊氏が「逆賊」とされ、室町時代列が作られなかった。
創設当時は天皇崇拝が色濃い時代で、天皇に刃向かった尊氏に代わり、後醍醐天皇上洛を導いた楠木正成の列が作られたが、「日本文化の原点となる北山・東山文化がないのはおかしい」ということで、能や華道、茶道が発展した室町文化の行列で、金閣を造った三大将軍義満や銀閣を造った八代将軍義政のほか能作者世阿弥や茶人千利休、作庭で名高い夢想国師らの足利時代列(室町幕府)について従来より新設する計画が固まり、平成十九年の創設が実現した。
七九四年の平安遷都から一一〇〇年目の年、平安京を造営した桓武天皇を祭神に創建された平安神宮。平安京大内裏の応天門、大極殿など都の政庁の八分の五の規模に縮小し社殿として建立された平安遷都一一〇〇年目に当たる明治二十八(一八九五)年、この新しい神社の創建に合わせて、祭礼として始まったのが時代祭。
桓武天皇が長岡京から平安京へ遷御した日にちなむ十月二十二日に行われる。
桓武天皇と昭和十五年に合祀された孝明天皇の御霊を乗せた二基の鳳輦が平安神宮を、京都御所の建礼門前行在所へ神幸列が出発する。時代衣装をまとったおよそ二〇〇〇人の供奉行列と合流、建礼門から京都の歴史と伝統を伝えてきた時代祭が平安神宮に向かっておよそ二㌔にわたる行列が都大路を練り歩きます。 その後、平安神宮で還幸祭が斎行され、桓武天皇、孝明天皇の二柱の祭神が本殿へ安置される。
時代祭は平安遷都一一〇〇年を記念し、平安神宮が創建された一八九五(明治二十八)年に始まった。今年で一二三年目、時代行列の執行は一一二回目
【明治維新時代】
朝廷行事のために上洛した幕府の城使たち。「ヒーサー」の掛け声とともに、当時の盛大さを思わせる豪華な駕籠や器具が運ばれ、大勢の従者が連なり、時代祭の中で最大の行列。
日本独自の文化が発展した藤原氏全盛の平安中期。宮中での儀式のために参朝する夏正装姿の文官・武官が、御供を引き連れた列で、きらびやかな王朝風俗を伝えている。
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2018年 10月 21日(日)
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
★曲水の宴で知られる伏見区・城南宮は、方除けの神として広く信仰を集めています。
城南宮神幸祭は平安時代の末から盛大に行われていた歴史ある祭礼。
午前九時より本殿で祭典を執り行います。正午過ぎより、それぞれ重さ一.五トン近くある三基の豪華な神輿の渡御が始まり、氏子区域を練り歩きます。
夕刻、提灯と松明の明かりの中、神社に神輿が還御する様子は壮観です。
本堂を極楽浄土、境内の地蔵堂を現世とし、その間約六十㍍に高さ二㍍の橋を渡し、現世の衆生を二十五菩薩が極楽に迎えに来る姿を現す法要。
極楽浄土と現世にみたてゆっくり練り歩く姿は、独特の華やかな風景で、菩薩が現世に来迎して衆生を安楽浄土へ導くという平安末期からの来迎思想を仮装と音楽で分かりやすく表現したもの。
ホラ貝を吹き鳴らす修験者や僧が、まず稚児を先導。その後、金色の各菩薩の面をつけ、金襴の衣装をまとった二十五人の菩薩役の信者が橋を渡って、ご来迎を再現する。
最後に本堂内で観音、勢至、普賢の三菩薩が笙や篳篥の音色が響く中、優美な「極楽の舞」を舞いながらゆったり進み、ほかの菩薩も静かに続いた。
笠懸は、日本書紀にも登場する日本古来の弓馬術で、地上に伏せて攻撃してくる敵の顔面を狙う実践的な騎射で、疾走する馬上から的を狙う。
約五㍍離れた四十㌢四方の的を射る遠笠懸と地面低くにたてられた二十㌢四方の小さな的を射る小笠懸がある。
境内の参道西側の芝生に約百八十㍍の直線路を設け、武者装束姿の騎手九人が順に南端からスタート。北端でUターンして駆け抜ける間に、馬場の左右両側に設けた大小五つの的に向けて射手は馬から身を乗り出す形で矢を放つ。
※上賀茂神社では、建保二(一二一四)年、後鳥羽上皇の行幸の際に行われたとの記録が「賀茂旧記」に残っているが、いつまで行われていたは不明。
行列は斎宮代や騎乗の監送使、命婦役らが野々宮神社を出発し、途中で稚児が加わり、緩やかな足取りで渡月橋へと出発。
斎宮代は大堰川で手を洗い、身を清める「みそぎの儀」を行う壮麗な王朝絵巻行列。
南北朝時代までは、天皇の即位に合わせて、未婚の内親王から選ばれた皇女が斎宮として嵯峨野の地で営まれた野宮で潔斎の後、「群行」と称される大行列で伊勢神宮に向かった。野宮神社は、その昔に野宮が設けられた場所とされる
※ヒロインの斎宮代が乗る漆塗りの美しい牛車は上皇や皇后など高位の人が使った「唐車」。屋根が唐破風で、全長五.九㍍、幅二.七㍍、高さ三㍍。