"おいない"の京都最新情報

   2018年 8月 1日(水)
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

 
 ★ユニークな妖怪たちの百鬼夜行をCG映像で表現する。「がしゃどくろ」や「牛鬼」といったおなじみの妖怪約五十種類が障子の中から飛び出し、七夕祭りを楽しむ様子を描いている。
世界遺産・二条城で、旧暦の七夕に合わせたライトアップイベントが八月一日から始まるのを前に、内覧会が開かれた。「妖怪」をテーマに、国宝二の丸御殿に映像を投影するプロジェクションマッピングなどがあり、幽玄な夏の夜を演出した。
市内一円で行われる観光イベント「京の七夕」(一~十六日)の一環で、市などが企画した。二の丸庭園(特別名勝)や唐門(重要文化財)、東大手門(同)などを涼しげな青色の照明を中心に約三三〇基で幻想的に彩る。
ライトアップは十五日まで。午後七時~九時半。入城料が必要。琴の生演奏や京都の特産品の販売などもある。
 
 ★芸舞妓が芸事の師匠やお茶屋に日ごろの感謝の思いを伝える夏の行事「八朔(はっさく)」が一日、京都市内の花街であった。
厳しい暑さが続く中、祇園周辺では、日傘を手にした黒紋付き姿の芸舞妓らが行き交い、訪問先でにこやかにあいさつした。
お茶屋では、芸舞妓が「おめでとうさんどす」「相変わりもせず、おたのもうします」とあいさつし、深々と頭を下げた。出迎えたおかみは「本当に暑いのにごくろうさん。気をつけて」とねぎらっていた。
 
   2018年 8月 6日(月)
 
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
 下鴨神社の伝統行事「夏越(なごし)神事」が六日夜、左京区の同神社で営まれた。氏子たちが無病息災を願い、御手洗(みたらし)池の中央に立てられた斎串(いぐし)を水しぶきを上げながら奪い合った。
毎年、立秋の前夜に営まれている。斎串は持ち帰ると厄よけや開運の御利益があると言われ、矢に見立てていることから「矢取り神事」とも呼ばれる。
夕闇迫る中、神職によるおはらいの後、裸男と呼ばれる上半身裸の氏子約四〇人が鉦(かね)の合図とともに池に飛び込み、われ先にと斎串五〇本を取り合った。
 
   2018年 8月 9日(金)
 
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
 ★一日の参拝で千日分の御利益があるとされる「千日詣(まい)り」が九日、東山区清水寺で始まった。本堂内々陣の特別拝観もあり、本尊・千手観音の厨子(ずし)の前に供えられたろうそくの炎が、暗がりの中で仏像を照らし出した。
秘仏の本尊の前では参拝者が「家内安全」や「良縁成就」などと書き、ろうそくを供えた。本尊と縁を結ぶ五色の綱もあり、参拝者は綱を手にしながら合掌し、願いがかなうよう祈っていた。
千日詣りは江戸時代に始まったとされる。明治期に廃れたが、一九九三年に復活した。十六日まで。十四~十六日には夜間拝観もある。拝観料が必要。
 
   2014年  8月 10日(金)
 
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
 上京区北野天満宮で十日、国宝の社殿の特別公開が始まった。本殿と拝殿をつなぐ廊下「石の間」では灯籠の明かりの下、宝物の虫干しも行われ、多くの人が神社に伝わる逸品を珍しそうに眺めながら歩いた。
社殿は一六〇七(慶長十二)年、豊臣秀頼により造営された。本殿、拝殿、石の間がある「権現造り」の代表として高く評価されている。通常は拝殿までしか進めないが、本殿の間近で参拝してもらおうと毎年八月に石の間を特別公開している。
虫干しでは祭神菅原道真の装束「黒袍(くろほう)」の複製品や江戸時代に大名が奉納した太刀、灯籠などが並んだ。
十二日までの午後四時~午後八時。初穂料千円。
 
  2018年 8月 13日(月)

    [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
 ★盆の入りの十三日、京都市内の墓地に多くの人がお参りに訪れた。東山区大谷本廟(ほんびょう)(西大谷)では早朝から家族連れらが墓前に手を合わせ、故人をしのんでいた。
東山に連なる傾斜地に約一万三千基の墓が並ぶ大谷本廟では、真新しい花を供えて、ろうそくをともし、線香を手向ける人の姿が見られた。
 
   2018年 8月 14日(火)
 
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
イメージ 7
★嵯峨・車折神社で「万灯祭」
願い事を託した紙灯籠を境内でともすお盆行事「万灯祭」が十四日、右京区車折神社で始まった。
日暮れからは灯籠約千基が暗夜に浮かび、幻想的なムードに包まれた。

商売繁盛、売り掛け回収の願いごとが多いこの神社、境内には芸能神社もあり、さまざまな願いごとが託された三面灯籠と言われる紙灯籠(一面五〇〇円)が吊り下げられます。
灯籠は高さ約三十センチで、願い事を書いた紙を三枚一組で組み立て、境内につるした。
参拝者らは、灯籠を形作る赤、白、黄、緑の四色の紙に「商売繁盛」「家内安全」などの祈りに加え、願い事を記した。
 
イメージ 8
 ★北区・千本えんま堂(引接寺)で午後七時半から「千本六斎会」による「六斎念仏」の奉納。獅子舞が見どころ。
六斎念仏のルーツは平安時代空也上人が民衆強化のために始めた踊り念仏。
大変珍しい伝統芸能です。
上演されるのは「四つ太鼓」など約十五曲
 
 ★大小約一万個の提灯が東山のふもとの墓地を照らす「東大谷万灯会」が十四日、東山区の大谷祖廟(そびょう)(東大谷)で始まった。ゆらめく明かりの下、墓参に訪れた人が静かに手を合わせた。
大谷祖廟には約一万基の墓がある。万灯会は少しでも涼しい時間にお参りしてもらおうと毎年、真宗大谷派(本山・東本願寺)が実施している。
西山の山並みに日が傾き、ヒグラシの鳴き声が響き渡る午後六時ごろから、職員たちが順次ろうそくをともしていった。一時間ほどすると、あかね色に染まる空の下に提灯の明かりがぼんやりと浮かび上がった。 万灯会は十六日までの午後六時~九時で、期間中に約五万人の参拝を見込む。
 

2018年 7月 24日(火)


     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
イメージ 1
 日本三景天橋立の夏を彩る「天橋立文殊堂出船祭」が二十四日夜、宮津市文珠の智恩寺周辺で行われた。同寺の伝承にちなんだ文殊菩薩(ぼさつ)と龍による幻想的で迫力ある海上絵巻が、大勢の観光客らを魅了した
出船祭は智恩寺海上安全祈願祭。文殊菩薩が中国の五台山から天橋立の九世(くせ)の戸(文珠)に迎えられ、地上で暴れ回る悪龍を千年の説法で善龍へと改心させた伝説「九世戸縁起」を再現する。
本堂で文殊菩薩を供養する「文殊会(え)」が営まれた後、午後八時すぎ、金と銀の悪龍二頭が荒々しく体をくねらせながら登場。太鼓や笛の音色に包まれる中、文珠水道に設けられた海上舞台に巫女姿の文殊菩薩が船に乗って現れ、優美な踊りを披露し悪龍を鎮めた。
約五〇〇発の打ち上げ花火や海面に浮かぶ灯籠(とうろう)も祭りムードを演出し、見物客らは幻想の世界に浸っていた。
      2018年 7月 25日(水)
              [京 の 季 節 の 花 だ よ り]
イメージ 2
 ★「ハスの寺」として知られる右京区の法金剛院で、色とりどりの花が見頃を迎えている。猛暑に響く蝉(せみ)時雨の中、極楽浄土で咲くとされる大輪に参拝者が見入っている。
平安時代の名残を伝える特別名勝「青女(せいじょ)の滝」や池のある庭園には、住職らが育てた国内外の約九十種がある。浄土に咲くとされる青、黄、赤、白のハスをそろえ、いまは華やかな薄紅色や気品漂う純白色の花が優雅に咲いている。


   2018年 7月 29日(日)

     [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
イメージ 3
 ★女性の囃子(はやし)方グループ平成女鉾清音(おんなぼこさやね)会が二十九日、東山区の八坂神社で恒例の奉納演奏を行った。涼やかな白い浴衣姿の会員が祇園囃子を奏でた。
同神社の舞殿に会員四十六人が上り、「ハーヨーイヨイ」の掛け声とともにオリジナルの「清音」など十六曲を披露した。参拝者らは足を止め、華やかですがすがしい音色に聞き入った。
同会は祇園祭への参加を目指して一九九六年に発足。一〇~七〇代の六十二人が在籍して練習に取り組んでいる。
 
イメージ 4
★真夏の伊根湾(京都府)の風物詩「伊根祭」の本祭が二十九日、伊根町亀島と平田両区で営まれた。色鮮やかなのぼりで飾られた祭礼船が笛や太鼓の音に包まれて伊根湾を渡り、海上の安全を祈願した。
京都の祇園とゆかりの深い八坂神社(同町亀島)の祭礼で、江戸時代に始まったとされる。豊漁の年などには豪華な船屋台が登場することから「海の祇園祭」とも呼ばれる。今年は台風の影響もあり、平田地区の祭礼船は湾内での巡行を見合わせた。
午後〇時半ごろ、亀島地区の祭礼船と神楽船が対岸の八坂神社に向けて湾をゆっくりと横断。船上では子どもらによる太刀振りや囃子(はやし)が披露された。
   2018年 7月 31日(火)
     [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
イメージ 5
★一カ月間にわたる祇園祭を締めくくる「夏越(なごし)祭」が三十一日、東山区の八坂神社境内にある疫(えき)神社で行われた。約三〇〇人の参列者が、祭りの無事に感謝の念と酷暑の夏を乗り切れるように願いを込めて茅の輪をくぐった。
夏越祭は八坂神社の祭神素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、疫神社の祭神、蘇民(そみん)将来のもてなしに対する返礼として、「蘇民将来子孫也」の護符を持つ者を疫病から守ると約束した言い伝えにちなむ。
午前十時前、神社の氏子組織や山鉾、神輿(みこし)の関係者が参列して始まった。八坂神社の宮司は「多くの方の支援で祇園祭を終えることができた」とあいさつした。
約三〇分の神事の後、雅楽の演奏と神事の祝詞を読み上げる声が響き渡る中、参列者が順次、参拝した。参列者は直径約二メートルの茅の輪をくぐり、社殿に手を合わせた後、長さ約一・五メートルのカヤを持ち帰っていた。
 
イメージ 6
 ★火伏せの神」で知られる京都市右京区愛宕神社で三十一日、恒例の「千日詣(まいり)」が行われた。大勢の参拝者が山頂まで約四キロの参道を登り、火よけを祈願した。
正式には「千日通夜祭(せんにちつうやさい)」といい、三十一日夜から翌朝にかけて参拝すると千日分の御利益があるといわれる。
蒸し暑さが残る夕方、麓の清滝から同神社まで続く参道沿いには電灯がともった。すれ違う人たちは、つえやタオルを手に「おのぼりやす」「おくだりやす」と声を掛け合いながら、歩みを進めていた。
 
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
イメージ 8
 東山区三十三間堂で三十一日、中央にある千手観音坐(ざ)像の周りに配置されている「二十八部衆像」や「風神・雷神像」の配置が変更され、一般公開が始まった。
絵画や学術的知見を参考に約八〇年ぶりに本来の姿が「平成の配列」で再現された。
三十三間堂の一〇〇一体に及ぶ「木造千手観音立像」が新たに国宝に指定される記念事業の一環。この機会に他の像の配置も原点に立ち返ろうと、伊東史朗和歌山県立博物館館長らの協力を得て配列を再編した。
 
イメージ 7
世界遺産・二条城で三十日夜、旧暦の七夕に合わせたライトアップイベントが八月一日から始まるのを前に、報道陣向けの内覧会が開かれた。「妖怪」をテーマに、国宝二の丸御殿に映像を投影するプロジェクションマッピングなどがあり、幽玄な夏の夜を演出した。
 

"おいない"の京都最新情報

  2018年 7月 22日(日)


     [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
イメージ 1
 祇園祭の後祭(あとまつり)は二十二日、宵々山を迎えた。土、日曜も猛暑が続いた中心部には、夜になると心地よい風が吹き抜けた。月明かりと提灯が山鉾町を照らし出し、落ち着いた後祭の風情を漂わせた。
新町通では夜の深まりとともに祇園囃子の音色が高まり、観光客らがそぞろ歩きを楽しんだ。室町通の各会所では、授与品を売る子どもたちの愛らしい歌声が響き渡った。黒主山会所では御神体や懸装(けそう)品についての解説に多くの人が集まり、耳を傾けていた。
 
   2018年 7月 23日(月)

     [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
イメージ 2
 祇園祭後祭(あとまつり)の山鉾巡行(二十四日)を控えた二十三日、京都市中心部の山鉾町は宵山を迎えた。多くの人々が風に乗って聞こえる祇園囃子(ばやし)を耳にしながら、最後の祭りの夜を楽しんだ。
北観音山(新町通六角下ル)では、訪れた人たちが響き渡る囃子方の演奏に聞き入りカメラやスマートフォンを向けてその様子を写真に収めていた。
近くの八幡山新町通三条下ル)では浴衣姿の子どもたちが「あすは出ません、今晩限り」と独特の節回しで歌い、ろうそくの献灯や授与品購入を勧めていた。町内の家々の窓際には代々伝わる美術品や屏風(びょうぶ)が置かれ、見物客が目を凝らして見入っていた。
二十三日の人出は昨年より約一万人少ない約一万人(午後九時半現在、
 
   2018年 7月 24日(火)

     [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
 祇園祭後祭(あとまつり)の山鉾巡行が二十四日、京都市中心部で行われた。「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)の音とともに豪華な懸装品(けそうひん)をまとった一〇基の山鉾が炎暑の都大路を進んだ。
午前九時半、弁慶と牛若丸のご神体人形を載せた「くじ取らず」の橋弁慶山が中京区御池通烏丸を出発した。さらに真松を揺らしながら曳山(ひきやま)の北観音山が進み、その後には今年「山一番」を引き当てた黒主山が続いた。
市役所前のくじ改めでは、各山鉾の代表者が扇子だけで箱のひもを解き、くじ札を奉行役の京都市長に示した。手で直接ひもを触れない鮮やかな動きに、観衆からは拍手と歓声が沸き起こった。
夜には神輿(みこし)が八坂神社に戻る還幸祭がある。
 
イメージ 4
 ★二十四日に京都市内で行われた祇園祭後祭(あとまつり)の山鉾巡行には猛暑の中、四万二千人の見物客が集まった。「山一番」の黒主山は、しだれ桜の造花で山を飾り、注目を集めた。
黒主山は、先頭の橋弁慶山、北観音山に続く「山一番」を五年ぶりに務めた。山の上でひときわ目立つ造花のしだれ桜は、今年で見納めとなる。満開の桜を揺らしながら、保存会役員やかき手たちは大通りを歩いた。
山のトレードマークである桜は、桜の木に枝付きの造花を巻き付けて作っている。来年からは新たに、ご神体である歌人大伴黒主が仰ぎ見たとされる山桜の造花がお目見えする予定で、五年前の山一番でデビューを飾った現在のしだれ桜は、この巡行で引退となった。遠目にも鮮やかなしだれ桜を、たくさんの人が見上げていた。
酷暑が続く中、黒主山保存会は熱中症予防のため、例年全行程を歩く子どもたちの参加を、くじ改めまでに切り上げた。保存会の代表理事は「みんな無事に帰ってきてほっとした」と言い「桜が新しくなる来年も力合わせて頑張りたい」と意気込んだ。
 
イメージ 5
 ★猛暑で子ども神輿などの花傘巡行は取りやめになったが、舞踊奉納は八坂神社で従来通り営まれた。六斎念仏や鷺踊(さぎおどり)、祇園東と先斗町の芸舞妓の踊りなどが披露された。
舞踊奉納は正午から始まり、太鼓や獅子舞も行われた。
花傘巡行は一九六六年、前祭(さきまつり)と後祭が合同巡行になったのをきっかけに始まった。例年は約八五〇人が八坂神社発着で氏子地域約四キロを練り歩くが、猛暑が見込まれたため、前日の雨のため取りやめた二〇〇三年以来の中止となった。
 

 

"おいない"の京都最新情報

  2018年 7月 22日(日)


     [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
イメージ 1
 祇園祭の後祭(あとまつり)は二十二日、宵々山を迎えた。土、日曜も猛暑が続いた中心部には、夜になると心地よい風が吹き抜けた。月明かりと提灯が山鉾町を照らし出し、落ち着いた後祭の風情を漂わせた。
新町通では夜の深まりとともに祇園囃子の音色が高まり、観光客らがそぞろ歩きを楽しんだ。室町通の各会所では、授与品を売る子どもたちの愛らしい歌声が響き渡った。黒主山会所では御神体や懸装(けそう)品についての解説に多くの人が集まり、耳を傾けていた。
   2018年 7月 23日(月)

     [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
イメージ 2
 祇園祭後祭(あとまつり)の山鉾巡行(二十四日)を控えた二十三日、京都市中心部の山鉾町は宵山を迎えた。多くの人々が風に乗って聞こえる祇園囃子(ばやし)を耳にしながら、最後の祭りの夜を楽しんだ。
北観音山(新町通六角下ル)では、訪れた人たちが響き渡る囃子方の演奏に聞き入りカメラやスマートフォンを向けてその様子を写真に収めていた。
近くの八幡山新町通三条下ル)では浴衣姿の子どもたちが「あすは出ません、今晩限り」と独特の節回しで歌い、ろうそくの献灯や授与品購入を勧めていた。町内の家々の窓際には代々伝わる美術品や屏風(びょうぶ)が置かれ、見物客が目を凝らして見入っていた。
二十三日の人出は昨年より約一万人少ない約一万人(午後九時半現在、
 
   2018年 7月 24日(火)

     [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
 祇園祭後祭(あとまつり)の山鉾巡行が二十四日、京都市中心部で行われた。「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)の音とともに豪華な懸装品(けそうひん)をまとった一〇基の山鉾が炎暑の都大路を進んだ。
午前九時半、弁慶と牛若丸のご神体人形を載せた「くじ取らず」の橋弁慶山が中京区御池通烏丸を出発した。さらに真松を揺らしながら曳山(ひきやま)の北観音山が進み、その後には今年「山一番」を引き当てた黒主山が続いた。
市役所前のくじ改めでは、各山鉾の代表者が扇子だけで箱のひもを解き、くじ札を奉行役の京都市長に示した。手で直接ひもを触れない鮮やかな動きに、観衆からは拍手と歓声が沸き起こった。
夜には神輿(みこし)が八坂神社に戻る還幸祭がある。
 
イメージ 4
 ★二十四日に京都市内で行われた祇園祭後祭(あとまつり)の山鉾巡行には猛暑の中、四万二千人の見物客が集まった。「山一番」の黒主山は、しだれ桜の造花で山を飾り、注目を集めた。
黒主山は、先頭の橋弁慶山、北観音山に続く「山一番」を五年ぶりに務めた。山の上でひときわ目立つ造花のしだれ桜は、今年で見納めとなる。満開の桜を揺らしながら、保存会役員やかき手たちは大通りを歩いた。
山のトレードマークである桜は、桜の木に枝付きの造花を巻き付けて作っている。来年からは新たに、ご神体である歌人大伴黒主が仰ぎ見たとされる山桜の造花がお目見えする予定で、五年前の山一番でデビューを飾った現在のしだれ桜は、この巡行で引退となった。遠目にも鮮やかなしだれ桜を、たくさんの人が見上げていた。
酷暑が続く中、黒主山保存会は熱中症予防のため、例年全行程を歩く子どもたちの参加を、くじ改めまでに切り上げた。保存会の代表理事は「みんな無事に帰ってきてほっとした」と言い「桜が新しくなる来年も力合わせて頑張りたい」と意気込んだ。
 
イメージ 5
 ★猛暑で子ども神輿などの花傘巡行は取りやめになったが、舞踊奉納は八坂神社で従来通り営まれた。六斎念仏や鷺踊(さぎおどり)、祇園東と先斗町の芸舞妓の踊りなどが披露された。
舞踊奉納は正午から始まり、太鼓や獅子舞も行われた。
花傘巡行は一九六六年、前祭(さきまつり)と後祭が合同巡行になったのをきっかけに始まった。例年は約八五〇人が八坂神社発着で氏子地域約四キロを練り歩くが、猛暑が見込まれたため、前日の雨のため取りやめた二〇〇三年以来の中止となった。
 

 

"おいない"の京都最新情報

2018年 7月20日(金)

     [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]

画像

祇園祭後祭(あとまつり)の山鉾巡行(二十四日)を前に、組み上がって懸装(けそう)品を飾り付けた山や鉾を試しに動かす「曳初(ひきぞ)め」が二十日、中心部の山鉾町であった。酷暑のまちなかで大勢の市民らが汗を流しながら綱を手にした。
炎暑真っただ中の午後三時、北観音山(新町通六角下ル)では、音頭取りの「エンヤラヤー」の掛け声とともに参加者が綱を引いた。祇園囃子(ばやし)が奏でられる中、山はゆっくりと動きだし、新町通の錦小路と三条通の間を往復した。
この日は、南観音山や大船鉾などでも曳初めが行われた。


      [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] 

画像

清らかな水に足をつけて無病息災を願う「御手洗(みたらし)祭」が二〇日、左京区下鴨神社で始まった。厳しい日差しが照りつける中、参拝者が御手洗池に入り、涼を感じながらろうそくで献灯した。
同行事は平安時代の貴族が夏の疫病やけがれをはらったのが始まりとされる。「足つけ神事」と呼ばれ、毎年土用の丑(うし)の日のころに行われる。
厳しい暑さが続き、朝から気温が上昇。午前十一時には気温が三十四・五度に達したが、午前中から多くの人たちが訪れた。参拝者はひんやりとした水に素足を浸して池の中を歩き、ろうそくを置いて手を合わせた。
二十九日まで。午前九時~午後九時。

画像

★キュウリを使って健康を祈る「きゅうり封じ」が二十日、北区の神光院であり、参拝者が病気平癒と無病息災を願った。願いを書いた札をキュウリに差し込んで祈祷し、患部をそのキュウリでさすってから土に埋めると、土に返るころには病気が治っているという信仰。弘法大師が中国から伝えたとされる。
神光院では、毎年、土用の丑の日に合わせて行われており、この日は千本が用意された。参拝者は祈祷を受けながら、名前入りの半紙に包まれたキュウリの山を前に、真剣な表情で手を合せていた。

画像

右京区鳴滝・三宝寺で土用の丑の日(今年は二十〇日)に行われる夏越行事「炮烙(ほうろく)灸祈祷」がある。
最も暑いこの時期に行う日蓮宗に伝わる独特の秘法で、頭痛など諸病を封じるといわれている。
住職が祈祷する中、呪文を書いた直径二十㌢の土製の焙烙を頭の上にのせ、もぐさをのせて僧侶にお灸をすえてもらう。
そして木剣で九字を切られると平癒するというもの。一年で最も暑いとされる土用の丑の日に行われる日蓮宗の祈祷で、暑気払い、中風封じに効くと言われていますが、今では、祈とうが頭の魔を封じることから、学力向上を願い受験の合格祈願に訪れる母子が増えているそうです。
一九四二年から始めた。毎年、全国から大勢の人が訪れる。


画像

左京区・妙雲院で「土用の丑」の二十日、頭にかぶせた直径二十㌢の素焼の皿「炮烙」の上でもぐさを燃やす「炮烙呪灸」が、早朝から信徒や市民が次々と訪れ、健康増進を願った。住職が法華経を唱え、本堂が煙に包まれる中、頭上の熱さをグッとこらえていた。
お灸の熱で頭のツボを居激すると、夏バテや頭痛に効くといわれており、妙雲院は「耐熱修業」として、一九四三年から始めた。
住職の祈祷の後、一人一人の頭の上に健康祈願の呪文を記した炮烙を置き、もぐさに火を付けて、火が消えるまで、じっと暑さに耐えていた。

"おいない"の京都最新情報

2018年 7月 17日(火)

 
     [祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
イメージ 1
 ★日本三大祭りの一つ、祇園祭・前祭(さきまつり)のハイライトとなる山鉾巡行が十七日、京都市中心部で行われた。三連休明けの平日にあたるため、見物客は祝日だった昨年より五万五千人少ない十六万五千人(午後一時、京都府警調べ)となり、炎天下の都大路をきらびやかな懸装品(けそうひん)で彩られた二十三基の山と鉾が進んだ。
 
 祇園祭神幸祭が十七日夜、京都市中心部で行われた。東山区の八坂神社前に三基の神輿(みこし)が集結し、「輿丁(よちょう)」と呼ばれる担ぎ手の男性たちが「ホイット、ホイット」の勇ましい掛け声を響かせた。
午後六時すぎ、神社石段下に中御座、東御座、西御座の三基の神輿がそろい、神職のおはらいを受けた。輿丁たちが神輿を高く掲げる「差し上げ」や、回転させる「差し回し」を行うと祭りのムードは最高潮に達した。
沿道には多くの見物客が集まり、掛け声に合わせて手拍子をしたり、勇壮な男たちの姿を写真に収めたりしていた。
神輿は順次出発し、三条大橋寺町通などを進み、十七日深夜までに四条御旅所(四条通寺町東入ル)に着いた。三基は二十四日の還幸祭で八坂神社に戻る。
祇園祭山鉾巡行が十七日、京都市中心部で行われる。
先頭の長刀鉾は午前九時に四条烏丸交差点を出発する。四条麸屋町で稚児が「注連縄(しめなわ)切り」を行い、山一番の占出山が続く。巡行順を確認する「くじ改め」は四条堺町、鉾や曳山(ひきやま)が豪快に進行方向を変える「辻回し」は四条河原町河原町御池と御池新町で見られる。
夕方からは神幸祭があり、三基の神輿(みこし)が東山区の八坂神社を出発する。午後六時半ごろに石段下で「差し上げ」をした後、氏子地域を練って四条通寺町の御旅所に向かう。
イメージ 3
山鉾巡行
祇園祭のクライマックス、山鉾巡行の二十三基の山鉾は、各鉾町を出発して四条烏丸に集結、俗界と神域への結界を解き放ち、巡行の始まりを告げる大役、注連縄切りを務める長刀鉾の生稚児は、金冠を頭に、金色・朱色のあでやかな振り袖に身を包み、四条通を横切るように縄が緩やかな曲線を描いて張られている。稚児がかざした太刀をきらめかせ、両手で一刀両断「注連縄切り」が行われた。左右に縄が落ちると固唾をのんで見守っていた沿道の観客か拍手とどよめきがわき、巡行が始まる。
 
イメージ 4
 ★くじ改
巡行の見せ場の一つが、四条堺町の「くじ改め」で、各山鉾の渡し方はさまざまだ。
京都市長による巡行順位を確認する「くじ改め」のセレモニーの後、「動く美術館」といわれる通り、豪華に・優雅に三時間余りをかけて市内中心部、四条通から河原町通へと鉾の前方二人の音頭取りと屋根の上の人々との呼吸と技の見せ所
で巨体がゆっくりと進む。途中二ヵ所の交差点で方向転換する技術、見せ場「辻回し」に見物客は拍手喝采。
 
イメージ 5
 ★ 辻回し
次の山場、辻角での「辻回し」が行われる四条河原町交差点や河原町御池交差点では、竹を敷いて水をまき、車輪を乗せると山鉾が車方の技と掛け声と共に、曳き子が一気に向きを変える。直角に方向転換する豪快なシーン「勇ましく山鉾の向きを変える辻回しからのパワー」は観衆を魅了する。
 
祇園祭のハイライト
山鉾巡行に囃される祗園囃子は各鉾によってその曲はそれぞれ異なる。
「渡り囃子」などと呼ばれる優雅で荘厳な奉納曲を奏で、四条通を進んできた山鉾は、四条河原町での交差点での見せ場、方向転換する「辻回し」で車輪を横滑りさせて、三回に分けて向きを変える時、辻回しの曲のテンポを次第に早め、辻回しの角度に合わせて、囃子が徐々に盛り上がる「唐子」が醍醐味。
河原町通で北を向くと囃子の曲調が一転して賑やかな「戻り囃子」に切り替わり、祭りを楽しむ開放感と活気がみなぎる。
終盤、地元鉾町に近づくと鉦や笛、太鼓の音色が一体となり、囃子は頂点に達する。各鉾とも奉納曲はいくつも用意されている
※午前九時にスタートして約二.八㌔の巡行コースを約三時間半かけて祭礼絵巻が繰り広げられる。
 
イメージ 6
 祇園祭神幸祭が十七日夜、京都市中心部で行われた。東山区の八坂神社前に三基の神輿(みこし)が集結し、「輿丁(よちょう)」と呼ばれる担ぎ手の男性たちが「ホイット、ホイット」の勇ましい掛け声を響かせた。
午後六時すぎ、神社石段下に中御座、東御座、西御座の三基の神輿がそろい、神職のおはらいを受けた。輿丁たちが神輿を高く掲げる「差し上げ」や、回転させる「差し回し」を行うと祭りのムードは最高潮に達した。
沿道には多くの見物客が集まり、掛け声に合わせて手拍子をしたり、勇壮な男たちの姿を写真に収めたりしていた。
神輿は順次出発し、三条大橋寺町通などを進み、十七日深夜までに四条御旅所(四条通寺町東入ル)に着いた。三基は二十四日の還幸祭で八坂神社に戻る。
 

"おいない"の京都最新情報

   2014年  7月  14日(土)
    [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
 祇園祭の前祭(さきまつり)巡行(十七日)を前に十四日、宵山期間が始まった。中心部の山鉾町では、三連休の初日とあって多くの家族連れや浴衣を着た男女が繰り出し、駒形提灯の明かりの下をそぞろ歩いた。
「宵々々山」にあたるこの日、山や鉾の周囲では豪華な懸装品(けそうひん)を間近で見ようとしたり、授与品を手に入れようとする観光客の人垣ができた。
 
   2018年 7月 15日(日)

     [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
祇園祭の前祭(さきまつり)は十五日、宵々山を迎え、京都市中心部の四条通烏丸通の一部が車が入れない「歩行者天国」となった。
うちわを手にした多くの人々が暑さが残るまちなかへと繰り出し、市内中心部は人波による熱気に包まれた。
午後六時、烏丸通四条通歩行者天国が始まると、浴衣姿の若者や家族連れが露店が並ぶ道路を一斉に歩き出し、にぎわいをみせた。室町通新町通などの狭い通りは一時身動きができないほどに混雑した。
京都府警によると、午後十時半現在の人出は、昨年より一万二千人少ない約十七万八千人だった。
   [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]  
 
 西京区松尾大社で十五日、市無形民俗文化財の「御田祭(おんださい)」が開かれた。猛暑の中、涼やかな若草色の打ち掛けや花笠をまとった「植女(うえめ)」らが、早苗をささげ持ち、五穀豊穣を祈った。
植女は毎年、氏子地域から選ばれている。

植女たちは、本殿での祭典で早苗を授けられた。地域住民や観光客らが見守る中、父親の肩の上で早苗を両手で掲げながら拝殿を三周した。その後、境内の神饌(しんせん)田で虫よけ行事などに臨んだ。
拝殿には枝豆やキュウリなど地域の農家が奉納した野菜が並び、金剛流の金剛龍謹若宗家らによる「奉能」もあった。
 
   2018年 7月 16日(月)
     [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
イメージ 4 
★三連休最終日となった十六日、祇園祭の前祭(さきまつり)は宵山を迎えた。連日の猛暑日で夜になっても蒸し暑さが残る京都市内で、前日に引き続いて四条通烏丸通の一部が歩行者天国となり、道路を埋め尽くした大勢の見物客が宵山の情緒を楽しんだ。
山や鉾、露店が立ち並ぶ四条通室町の「鉾の辻」近辺や新町通周辺では夜の深まりとともに多くの人が詰めかけて狭い通りが混み合った。授与品が並ぶ各山鉾町では売り子の子どもたちが「常は出ません、今晩限り」「ちまきどうどすか」と道行く人に元気に呼びかけていた。
 
   2018年 7月 17日(火)
     [祇 園 祭 シ リ ー ズ]
 
イメージ 5
 ★日本三大祭りの一つ、祇園祭・前祭(さきまつり)のハイライトとなる山鉾巡行が十七日、京都市中心部で行われた。三連休明けの平日にあたるため、見物客は祝日だった昨年より五万五千人少ない十六万五千人(午後一時、京都府警調べ)となり、炎天下の都大路をきらびやかな懸装品(けそうひん)で彩られた二十三基の山と鉾が進んだ。