[祇園祭シリーズ]

    [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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★幕末に京の治安を守るために活動した新選組隊士をしのぶ慰霊供養祭が十六日、壬生寺であった。隊士の子孫や歴史愛好家ら約一四〇人が訪れ、在りし日の隊士の姿に思いをはせた。
供養祭は、新選組の屯所に近く、ゆかりの深かった壬生寺が主催した。新選組が長州や土佐などの志士の密談に討ち入った「池田屋事件」が一八六四年七月十六日の祇園祭宵山前日に起きたことにちなんで、毎年祇園祭宵山の日に営んでいる。
貫主が供養文を読み上げ、お経を唱える中、だんだら模様の羽織姿の京都新選組同好会の隊士をはじめとした参列者が次々と焼香していった。

                                 
    【祇 園 祭 シ リ ーズ】
祇園祭山鉾巡行が十七日、京都市中心部で行われる。
先頭の長刀鉾は午前九時に四条烏丸交差点を出発する。四条麸屋町で稚児が「注連縄(しめなわ)切り」を行い、山一番の占出山が続く。巡行順を確認する「くじ改め」は四条堺町、鉾や曳山(ひきやま)が豪快に進行方向を変える「辻回し」は四条河原町河原町御池と御池新町で見られる。
夕方からは神幸祭があり、三基の神輿(みこし)が東山区の八坂神社を出発する。午後六時半ごろに石段下で「差し上げ」をした後、氏子地域を練って四条通寺町の御旅所に向かう。
 
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山鉾巡行
祇園祭のクライマックス、山鉾巡行の二十三基の山鉾は、各鉾町を出発して四条烏丸に集結、俗界と神域への結界を解き放ち、巡行の始まりを告げる大役、注連縄切りを務める長刀鉾の生稚児は、金冠を頭に、金色・朱色のあでやかな振り袖に身を包み、四条通を横切るように縄が緩やかな曲線を描いて張られている。稚児がかざした太刀をきらめかせ、両手で一刀両断「注連縄切り」が行われた。左右に縄が落ちると固唾をのんで見守っていた沿道の観客か拍手とどよめきがわき、巡行が始まる。
   
 
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★くじ改め
巡行の見せ場の一つが、四条堺町の「くじ改め」で、各山鉾の渡し方はさまざまだ。
京都市長による巡行順位を確認する「くじ改め」のセレモニーの後、「動く美術館」といわれる通り、豪華に・優雅に三時間余りをかけて市内中心部、四条通から河原町通へと鉾の前方二人の音頭取りと屋根の上の人々との呼吸と技の見せ所
で巨体がゆっくりと進む。途中二ヵ所の交差点で方向転換する技術、見せ場「辻回し」に見物客は拍手喝采。
 
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★ 辻回し
次の山場、辻角での「辻回し」が行われる四条河原町交差点や河原町御池交差点では、竹を敷いて水をまき、車輪を乗せると山鉾が車方の技と掛け声と共に、曳き子が一気に向きを変える。直角に方向転換する豪快なシーン「勇ましく山鉾の向きを変える辻回しからのパワー」は観衆を魅了する。
 
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祇園祭のハイライト
山鉾巡行に囃される祗園囃子は各鉾によってその曲はそれぞれ異なる。
「渡り囃子」などと呼ばれる優雅で荘厳な奉納曲を奏で、四条通を進んできた山鉾は、四条河原町での交差点での見せ場、方向転換する「辻回し」で車輪を横滑りさせて、三回に分けて向きを変える時、辻回しの曲のテンポを次第に早め、辻回しの角度に合わせて、囃子が徐々に盛り上がる「唐子」が醍醐味。
河原町通で北を向くと囃子の曲調が一転して賑やかな「戻り囃子」に切り替わり、祭りを楽しむ開放感と活気がみなぎる。
終盤、地元鉾町に近づくと鉦や笛、太鼓の音色が一体となり、囃子は頂点に達する。各鉾とも奉納曲はいくつも用意されている
※午前九時にスタートして約二.八キロの巡行コースを約三時間半かけて祭礼絵巻が繰り広げられる。
 
 
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神幸祭(おいで) 御輿渡御
祇園祭平安時代初めの貞観十一年(八六九)全国に疫病が流行したとき、神泉苑祇園社のおみこしを迎えて素盞鳴尊(すさのおのみこと)をお祀りし、病気平癒・開運除災を祈ったことに始まる。
祇園祭山鉾巡行と共に終わるのではありません。山鉾巡行の後、夕方より久世駒形稚児の乗った馬が先導し、祭神を奉じた中御座、東御座、西御座の三基が八坂神社の石段下に集まった。三基の神輿が西門前に集結し一斉に差し上げられると祭ムードは最高潮。
差し上げを行った後、ご神宝捧持の行列を先頭に氏子地域を練り、四条新京極の御旅所まで「東御座」・「中御座」・「西御座」の三基の神輿が深夜まで渡御する。
蒸し暑さが残る中、三基は飾り金具の音を鳴らして祇園界わいや河原町通の商店街などを勇壮に進み、深夜には御旅所にそろった。祇園祭でもっとも重要な神事。山鉾の行事と一体となって成り立っている。
二十四日の還幸祭(おかえり)までお旅所に鎮座する。
 
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★《逸話》 おみこっさん(神輿)へ無言詣で
祇園界隈の花街では、お祭り期間中(おいで~おかえり)四条通・新京極の神霊の鎮座する御旅所へ無言で七日間毎日詣でると、願いがかなうと言う』。
花街(祇園・宮川町・先斗町)の芸舞妓さんたちがお座敷のあと、浴衣姿で無言参りにくる姿は京情緒あふれる祭りの夜の光景です。
 
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 祇園祭の後祭(あとまつり)巡行に復帰する大船鉾の「鉾建て」が十七日午後、下京区新町通四条下ルの四条町で始まった。.
幕末以来、一五〇余年ぶりに鉾を組む槌(つち)音が響き渡った。大船鉾は二十四日の巡行で最後尾を進む。
鉾建ての作業は通常、曳初(ひきぞ)めまでの二~三日間で終えるが、大船鉾には経験者がいないため、万全を期そうと前祭(さきまつり)巡行の直後から取りかかった。
午後、まだ香りが残るまっさらなヒノキ製の部材を運び込んだ。作事方と呼ばれる大工たちが手際よく組み上げ、船の形をした鉾の骨組みが姿を現した。
後祭で巡行する十基の山鉾のうち、大船鉾と北観音山、南観音山は二十日までに鉾を建てて同日午後に曳初めする。二十一日までに全ての山鉾が立ち並ぶ。