[祇園祭シリーズ]

  【祇 園 祭 シ リ ーズ】

 祇園祭短章
日本三大祭の一つ、祇園祭の起源は一一〇〇年以上前にさかのぼり、疫病退散を祈願して当時の国の数に当たる六十六本の矛(ほこ)を立てたことに由来し、平安時代中期から毎年、祭が行われている。
応仁の乱と昭和の戦時中に一時、巡行は中止されたが、町衆の力で祭は受け継がれた。
巡行する三十三基の鉾や山を飾る染織品など懸装品にはヨーロッパなどから伝来したものも多く、国の重要文化財に指定された品も多い。
正に山鉾行事は京都が誇る「動く美術館」とも言われる。
 
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祇園祭の夜を彩る宵山は二十四日の後祭(あとまつり)巡行が復活したのを受け、宵山も前祭(さきまつり)と分かれ、開催エリアも二つに分割される。前祭では歩行者天国が一日減って二日間となり、露店も減少する。近年、絶大な集客力を誇ってきた京都随一の観光イベントだが、客足や祭りの趣にも変化が見られそうだ。
山鉾巡行前の宵山期間には、各町で懸装品の展示や厄よけちまきの販売、祇園囃子の披露などを行っている。かつては前祭と後祭それぞれに伴っていたが、一九六六年に後祭が前祭に統合されて合同巡行となったのを機に宵山も一本化。歩行者天国が当初の一日から三日間に増え、時に一晩で四十万人を超える人であふれる観光行事となってきた。
後祭復活を受け、宵山も元の形に戻す。前祭は昨年までと同様、十四日~十六日に行われるが、開催エリアは十七日に巡行する山鉾二十三基の町内で、錦小路通より南が中心となる。後祭は二十一~二十三日に十町で行う。
前祭と後祭の山鉾が同時に立つことはなく、町会所での販売や展示も、後祭の鯉山を除いて、ともに当該の期間内でしか行わない。
露店と歩行者天国四条通烏丸通)はいずれも前祭の十五、十六日だけで例年より一日減らす。露店数は「六二〇店ほどの申請」という。狭い道路に露店がひしめき、身動きがとれないほどの混雑を招いてきたが、府警が規制に乗り出したことに加え、地元の祇園祭山鉾連合会からも露店の削減を求める要望が寄せられていた。
後祭では露店は出ず、歩行者天国の設定もない。前祭とは異なり、静かに風情を味わえる祭りとなりそうだ。
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 祇園祭・前祭(さきまつり)の山鉾巡行を控えた十五日、巡行前の恒例行事で左京区・聖護院(本山修験宗総本山)の山伏たちが修験道ゆかりのある二つの山を巡拝し、巡行の無事や町内の発展を祈願した。
巡行前の恒例行事。前祭と後祭に分割されたのに伴い、先に前祭の山伏山と霰(あられ)天神山を巡拝した。
山伏山では、山伏十人が町会所に祭られたご神体の「浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)」像を参拝した後、町内の一角に設けられた祭壇の前で護摩たきを行った。
炎天下の中、山伏たちが汗だくになりながら護摩木を燃やし、般若心経を唱えたり、ほら貝を吹き鳴らしたりする姿に、市民や観光客らが手を合わせて見守った。
 
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