"おいない"の京都最新情報

[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事

妙法院:「国宝・太い梁が縦横に走る庫裏の天井部」2014年

東山区妙法院門跡は五月十四日、国宝の庫裏や庭園など普段は非公開の境内を無料で拝観できる「五月会(さつきえ)」を開催する。
本尊の普賢菩薩(ふげんぼさつ)騎象像や不動明王立像など重要文化財に指定されている平安時代の貴重な仏像をはじめ、奥書院の玉座や御座之間、護摩堂の内部、大書院などを公開する。
庫裏は桃山時代の建築で、天井の梁(はり)などが見渡せる豪快な造りが特徴。かつては妙法院の庭園だった旧東山武田病院・積翠園の南端に位置する「奥庭」も見られる。
拝観は、当日午前九時半から本堂(普賢堂)で整理券を配布。
十時からの法要に参加した後、職員の案内で境内を見学して回る。

上賀茂三神社:「やすらい祭」

大田神社上賀茂神社・やすらい祭
桜の花びらが散る頃に、疫神も舞って疫病を撒き散らすと信じられていました。
その疫神を安らかに鎮めるお祭で、どうぞ桜も安らかに舞い散ってほしいという願をこめて、鐘や太鼓を打ち鳴らし「いんやすらいや…花や…」と歌いながら赤熊をつけた鬼や花笠が町内を練り歩きます。
国の重要無形民俗文化財に指定されています。

松尾大社:「還幸祭(おかえり)」
松尾大社の松尾祭・「神幸祭(おいで)」「還幸祭(おかえり)」
古くは松尾の国祭と称せられており、三月中卯日に出御、四月上酉日に祭礼となっていましたが、明治時代から以降は、四月下卯日に出御、五月上酉日に還御となり、さらに昭和三十六年からは現在の様に、四月二十日以後の第一日曜日に出御、それから二十一日目の日曜日に還御となっています。出御祭には松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の神輿(月読社は唐櫃)が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回廻った(拝殿廻し)後、順次社頭を出発し松尾・桂の里を通って、桂離宮の東北方から桂川を船で渡り、左岸堤防下で七社勢揃いし、古例の団子神饌を献じた後、四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は西京極の川勝寺と郡の御旅所に至り、そこに駐輦されます。
還幸祭には、三ヶ所の御旅所に駐輦されていた神輿と月読社の唐櫃とが、西寺跡の「旭の杜」に集合し、ここで古例による西ノ庄の粽の御供、赤飯座(あかいざ)の特殊神饌をお供えして祭典をした後、列を整えて 途中朱雀御旅所に立ち寄り、ここでも祭典、次いで七条通りを西に進み、西京極、川勝寺、郡、梅津の旧街道を経て、松尾橋を渡り、本社に還御されます。この還幸祭は神輿渡御祭の中心で、今でも氏子中で「おまつり」と言えば、この祭を意味します。本社でも本殿、楼門、社殿、各御旅所の本殿、神輿から供奉神職の冠・烏帽子に至るまで、葵と桂で飾るので、古くから「葵祭」とも言われてきました。賀茂両社の「葵祭」は観光名物としてあまりにも有名ですが、秦氏との関係の深い当社や伏見稲荷大社にも実は同様の伝統が存在しています。この神幸祭還幸祭には、いずれも吉祥院地区から二組の稚児が「榊御面(さかきごめん)」の役を奉仕する例で、翁・嫗の面をつけた榊の大枝を奉持して先導役を務めます。また還幸祭には下津林地区から選ばれた稚児が「松尾使」として奉仕します。

松尾大社・松尾祭:「神幸祭」

       [京 の 季 節 の 花 だ よ り]

古知谷阿弥陀寺:「クリンソウ」2016年

★仏塔の最上部にある飾り「九輪」に似た花をつけるクリンソウが、左京区大原の古知谷阿弥陀寺で見頃を迎えている。
紫や桃色、白などの花が涼やかに咲き、訪れた人たちを楽しませている。
クリンソウは山地の湿地に生えるサクラソウ科の多年草。五段程度に連なった花が、下から順に開いていく。京都府の準絶滅危惧種に指定されている。
同寺では中庭などに約四〇〇株を植えており、今年は例年より一〇日ほど早く、四月末から開花し始めた。訪れた観光客らは、山あいのかれんな花を楽しんでいる。見頃は月末ごろまで。拝観料が必要。

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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

新日吉祭で巡幸する行列
 
新日吉神宮:「神幸祭」
 
新日吉神宮:「神幸祭」001
★東山七条・新日吉(いまひえ)神宮で五月十四日、新日吉祭が行われる。
祭官が祝詞を述べ、門跡が読経する神仏混淆(こんこう)の珍しい行事です。
八五〇年もの歴史があり、妙法院の門跡による法楽の儀が行われます。
宮中にあった「小五月会」と呼ばれる行事を平安時代に後白川上皇が同神宮で復活させたことに由来するといわれている。
鳳輦(ほうれん)を中心に稚児武者などからなる約百五十人の隊列が氏子域を巡行します。鳳輦は、神輿に似ていますが、勇ましく担ぐと言うよりは、しずしずと引かれるのが特徴です。途中四カ所で神事を行い、地域住民の家内安全や健康を祈願した。
 [京 の 季 節 の 花 だ よ り]
 
智積院:鮮やかな赤紫色やピンク色の花を咲かせているツツジ
  東山区智積院ツツジが見頃を迎えた。赤紫、ピンク、白色のツツジが咲き誇り、新緑豊かな境内を彩っている。
智積院によると、ツツジはゴールデンウイーク頃から開花し、五月中旬に一斉に満開を迎えるという。今年も例年通りの時期に咲き進んだ。今月下旬からはサツキが一気に咲き始め、一週間ほど見頃が続く。

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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] 

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下京区・市比売神社で五月十三日、いちひめ祭(斎矢神事)が商売繁盛や厄よけを願って十二本の矢を放つ神事「試し弓」が営まれた。
試し弓は、氏子・崇敬者の招福を願い、平安時代に、藤原経清・源為家が神社境内で行った弓矢の勝負「競弓(くらべゆみ)」の故実に倣い「斎矢・試弓神事」が奉納されます。

毎年この日に行う春季大祭と併せて実施している。
直垂烏帽子姿で、商売繁盛や招福を願う人々の名を裏面 に記した約五㍍離れた的を目がけて六本ずつ矢を放ち、大きな音と共に矢が次々と的に突き刺さる。 矢の当たった人には一年間その矢が預けられ、願いが叶うという「斎矢神事」が行われます。いちひめ神社三種の御神物の一つ「霊爾の幸の御札」が授与されます。
この後、「いちひめ雅楽会」が雅楽演奏と舞を披露した。   
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東山区信州善光寺別院の得浄明院で十三日、芸事や商いの神としてまつる白天龍王の祭事があり、手を触れずに豆腐を切り分ける式包丁が奉納された。
式包丁は、料理人で「現代の名工」にも選ばれた一條庖勝(いちじょうほうしょう)流三代目富田家元が奉納した。通常は鮮魚や鶏肉をさばくが、寺院のため殺生を避け、特別に木綿豆腐が用意された。
豆腐の式包丁は、富田さんが平安時代から伝わる作法を基本に自ら文献を調べ再現。包丁と二本の真魚(まな)箸を巧みに使い、華麗な所作で豆腐切り分けた。切った豆腐を並べて「長命」の二文字をつくり、健康長寿を祈願した。
古式ゆかしい妙技を大勢の参拝者が見入った。
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 下京区仏光寺通新町西入るの菅大臣神社・(通称 管大臣天満宮)で五月十三日・十四日、平安初期の学問の神様・菅原道真を祭る例祭が営まれる。
山吹姿の行者がほら貝を吹き鳴らしながらゆっくりと地域を練り歩き、道真公を偲んだ。
この神社は、道真公の誕生の地で、もと道真の邸や菅原廊下といわれた学問所跡に建てられたとされ、天満宮誕浴の井が保存されている。
毎年五月上旬に二日間、例祭を行っている。
七日は山伏のお練りの後、境内で護摩木が焚かれ、八日には拝殿にて茂山千五郎社中による狂言が奉納される。
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   [葵 祭 シ リ ー ズ]  

葵祭・下鴨神社:「御蔭祭」.jpg
  葵祭の前儀となる「御蔭祭」は五月十二日、葵祭に先立ち、御蔭神社から御神霊を下鴨神社に移す重要な祭礼が行われる。新緑の森を進む神馬、その背中で揺れ動く錦蓋(きんがい)・・・。
葵祭りに先駆けて神霊を下鴨神社に迎える重要な神事だけに、神々しい風景です。
早朝、祭官、供奉者約百五十人が下鴨神社を出て、比叡山の八瀬御蔭神社に向かいます。左京区八瀬の御蔭神社は下鴨神社の摂社で、江戸後期の天保六(一八三五)年に現在の御蔭山中腹に移された。
境内に東西二つの本殿が並び建ち、玉依姫命(たまよりひめのみこと)と賀茂建角身命(かものたてつぬみのみこと)を祀る。
八瀬御蔭神社では、入り口を従者が固めつつ、社殿内で神移しが行われます。その様子は見学も拝むこともできない、神聖な儀。
御蔭神社での神事の後、狩衣や烏帽子姿の約百五十名の行列が、荒御魂(あらみたま)を、白馬に迎えられてから氏子町内をめぐり、糺の森の新緑のトンネルを練り歩く。この巡行は国内で最古の神幸列と伝えられる。下鴨神社の境内に到着後、雅楽の演奏に合わせて行列し、「切芝」と呼ばれる場所で、白馬を前に舞人六人が雅やかな舞「東遊の舞」を奉納して優雅な神事を行う。
葵祭・下鴨神社・「御蔭祭・東遊の舞」2012年.jpg 
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[京 の 季 節 の 花 だ よ り]
 
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  北区上賀茂神社の南・大田神社で、国の天然記念物「大田ノ沢のカキツバタ」が見ごろを迎え、水辺一面が紫色に彩る花々で染まってしまう。新緑の境内に紫の花が鮮やかに映えていた。
カキツバタは、鳥居近くの「大田ノ沢」(約二千平方㍍)に、約二万五千株が群生し、国の天然記念物に指定されている。平安時代歌人藤原俊成が紫一色に染まる様子をいちずな恋心に例えたこの地の花に託して和歌に詠むなど、古くから初夏の風物詩として親しまれてきた。
剣のような真っすぐの葉と、しなやかに垂れた花々のコントラストが、新緑の沢をすがすがしく彩っている
一株で三回花をさかせ、現在は「一番咲き」。見ごろを迎え、新緑の葉と紫色の可憐な気品に満ちた紫の花が水辺で咲き誇り、訪れる人たちを魅了している。
例年、見ごろは二十日前後まで続きそう。
 
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    [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 ★「縁切り」で知られる東山区・安井金毘羅宮で春季大祭。
境内祭場に願い事が書かれたお札が無数に貼られた「縁切り縁結び碑」の前に、護摩壇を設けて、切実な願いの込められた「けがや病気と縁が切れますように」「夫の浮気相手ときれますように」などと書かれた護摩木を焚き上げます。
お火焚きと言えば十一月ですが、この時期にも行なわれる春の火焚き祭。
交通安全・家内安全・無病息災などを祈願します。
神職が点火すると、強い風にあおられ活き勢いよく煙が上がった。三千本以上の護摩木が投げ入れられた。当日はお茶席やおでんの模擬店、盆石の展示もあります
 
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左京区鞍馬寺では、毎年五月の満月の夜(今年は十日)に五月満月祭(「ウエサクさい」と読む)が行われています。
長い間秘密の儀式として存在さえ知られていなかったが、昭和二十九年に初めて一般公開された。

鞍馬山全山に灯明を灯し、大杉の霊木で作った五智の宝冠の印を胸に着け、ロウソクを手にした参列者が魔王尊の「お力の宝棒」による祝福を受け、千手観音に供えた霊水を授かります。
呼び名は昭和二十二年この行事は起源は古くヒマラヤ山中や東南アジアにも同様の祭りが伝わるウエサク祭に似ていることからきています。灯明を持って鞍馬寺に祀られている本尊である魔王尊・毘沙門天・千手観音大魔王尊に世界の救済と平和と全ての幸福を祈願する。私語や勝手な行為を慎み、ひたすら祈りを捧げる厳粛な時間です。
「心のともし火」に火が点火され、一斉に尊天に捧げる光景は幻想的。
古式の秘儀(始まりは室町時代とも)なので、共に祈る心で参拝してくださいとのこと。かなり冷え込みますので防寒具などをお忘れなく。 雨天決行。写真撮影は不可です。
 

 

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 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

 
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 左京区吉田神社境内の山蔭神社で五月八日、包丁刀とまなばしだけでタイとコイを切り分ける「式包丁」が料理店関係者や国内外の観光客が見守る中、厳かな儀式が奉納された。
式包丁は、山蔭神社が創建され五十余年前から始まった儀式。
吉田神社の創建者藤原山蔭は包丁の技に優れ、料理の始祖として敬われています
料理に携われる事に感謝し、料理、飲食、包丁の神である藤原山陰に奉納される。
笙や篳篥の音色が鳴り響いた後、平安時代から続く料理の流派、生間流式包丁は包丁の技に優れ、料理の始祖として敬われています。手を触れずに包丁だけで魚をさばく古式ゆかしいものです
生間流の料理人たちが、舞のようなゆったりした動作で、包丁刀とまなばしで、優雅さと勢いを表すというタイとコイを、順に切り分け最後に豪快に包丁刀を振り下ろした。
 
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 ★「武道の神」をまつる上京区白峯神宮で五日、古武道の奉納演武があった。
空手や合気道を学ぶ子どもたちや留学生、全国でも著名な古武術の師範らが、多くの見物客の前で日頃の鍛錬の成果を披露した。
境内の伴緒社(とものおしゃ)に平安時代後期の武将で武術や弓の名人と伝わる源為義・為朝親子がまつられていることから、武術の上達を祈願して毎年五月五日に奉納している。今年は同神宮で空手と合気道の稽古を積む子どもたちや、全国二十一流派の達人約一〇〇人が参加した。
合気道では親子や子ども同士で型と自由演武を奉納し、きびきびと無駄のない動きを披露した。空手では小学生の女の子も厚さ約一センチの板を拳で割り、観光客らを驚かせていた。
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