"おいない"の京都最新情報

2018年 5月 19日(土)
     [京 の 季 節 の 花 だ よ り]



ヤマアジサイの変種「アマチャ」が植わる建仁寺塔頭・霊源院(東山区)で十九日、庭園「甘露庭」の特別公開が始まった。咲き始めたばかりのかれんな花が、新緑の古刹(こさつ)に彩りを添えている。
アマチャは釈迦の生誕を祝う仏教行事「花祭り」で仏像に注ぎ掛ける「甘茶」の原料。釈迦の一生を凝縮した甘露庭は菩提(ぼだい)樹や沙羅双樹(さらそうじゅ)などとともにゆかりの深いアマチャ約二五〇株が植わり、開花に合わせて約七〇〇0平方メートルの庭園を彩っている。
今年はアマチャの開花が遅く、現在は一部で青や白の小さな花が咲いている。寺では建仁寺の開祖・栄西や霊源院を開いた龍山徳見にちなんで、両者が日本に伝えたとされる茶とまんじゅうを提供する席も設け、訪れた人は甘味を堪能しながら庭園を眺めていた。
庭園の特別公開は六月十九日まで。五月二十七日にはホタルを放ち、午後八時から夜間拝観を行う。拝観料五〇〇円。



★国内外から煎茶道の諸流派が集う「第六十二回全国煎茶道大会」が十九日、宇治市五ケ庄の黄檗宗大本山・万福寺で始まった。
境内に国内外の流派の家元が茶席を設け、来訪客らに茶を振る舞った。
江戸期の黄檗宗僧侶で、急須で茶を入れる煎茶道を広めたとされる売茶翁(ばいさおう)(一六七五~一七六三年)にゆかりのある同寺で、全日本煎茶道連盟が毎年開いている。今年は国内二十二流派と台湾の二流派が集まる。茶席のほか、同寺の開祖・隠元(一五九二~一六七三年)や売茶翁への献茶も行われた。
煎茶道具の陶芸作品や木工品を展示する「日本煎茶工芸展」も開かれている。大会、工芸展とも二〇日まで。有料。


2018年 5月 17日(木)

  【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】  

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下京区高辻通室町西入ルの繁昌(はんじょう)神社は十七日に開催する例大祭「繁昌祭」で、「湯立(ゆたて)神楽」を行う。
戦時中に途絶えた同祭の神輿巡行が一昨年再開したのに続き、祭りをさらに盛り上げようと氏子らが企画した。
湯立神楽は、巫女(みこ)が釜の湯をササの葉で振りまき、無病息災を願う神事。神社には一九四一年の記録が残っているが、以降は神輿巡行とともに途絶えた。氏子らが、長く蔵に眠っていた湯立釜に光を当てることを企画し、知人の巫女に依頼して神楽を再興する。
当日は巫女が湯立ての後に舞を披露する。湯のしぶきを浴びると厄よけの効果があるという。湯立神楽は午前十時開始。午後一時からは神輿の巡行があり、堤灯や太刀を携えた隊列が綾小路、室町、松原、新町通に囲まれた地域を練り歩く。
           【葵 祭シリーズ】
葵祭を締めくくる行事。
前の神事の後、本殿の御籍舎で家元が濃茶・薄茶を点てて本殿に供えます。
表千家裏千家一年交代にて、(今年は表千家)御神前に献茶する神事です。 当日境内にてお茶席有り(有料)。
     2018年 5月 18日(金)
     
 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
 

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 上京区上御霊神社は、約四〇〇年前に天皇から寄進された牛車が十八日の御霊祭で、三基の神輿を先導して京都御苑内を巡行する。
神輿渡御の儀。
貞観五年の御霊会が起源であり、都で最古の祭礼といわれています。
御苑の北側にある上御霊神社は皇室との関係が深く、東京遷都直後の一八七〇年ごろまは神輿が京都御所へ渡御したと伝わる。
伝統的な祭りの姿を取り戻そうと、二〇〇九年に神輿の御苑巡行を復活させたが、牛車は今出川御門で待機していた。今年は神幸列の全員と牛車も加わり、平安装束の氏子、神職や担ぎ手など約五〇〇人とともに今出川御門から入る。神輿三基は京都御所北側の朔平(さくへい)門の前で並び、そろって担ぎ上げる。みこしの行列は〇時半に神社を出発し北区一帯を五時間近くかけて練り歩きます。
牛車は一六〇〇年ごろに後陽成天皇から寄進されたとされる。巡行では、道案内の神といわれる猿田彦大神の神体を載せる。

 

 
 
伏見区御香宮神社では五月十八日、江戸時代、伏見奉行の圧政に対し直訴で人々を救った七人をたたえる「伏見義民祭」が行われた。
一七八五年(天明五)、伏見の刃物鍛冶文殊九助や農家の丸屋九兵衛ら町人七人は、当時の伏見奉行小堀政方の悪政を幕府に直訴。小堀政方は罷免されたが、七人も取り調べ中、獄死や客死した。
この先人をしのぶ祭は、毎年開いており、今年で二百二十六回目。
神社境内に立つ石碑前で行われた祭では、神職の祭詞や詩吟の奉納に続き、子孫の参列者が玉串をささげた。

"おいない"の京都最新情報

 2018年 5月 13日(日)
     

  [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

 
 仁和寺門跡を家元とする御室流華道の流祖奉献全国挿花大会が十三日、右京区仁和寺で始まった。
初夏を迎え、鮮やかさを増した草木が、宸殿(しんでん)や書院を華やかに彩った。
雅を好んだ流祖の宇多天皇をしのび、毎年この時期に開いている。全国の門人約二〇〇人が、大作の合作も含め約一五〇点のいけばなを出品した。
伝統的な生花(せいか)は、青々としたイブキやキャラボク、若カエデなどが凜(りん)とした姿を見せたほか、薄緑色の葉をつけたヤマナシを巧みに生け分けた「七曲生け」も披露された。カラーやヒマワリ、ダリアなどの自由花も爽やかさを漂わせた。
十四日まで。仁和寺の拝観料が必要。
   2018年 5月 15日(火)
             [葵 祭 シ リ ー ズ]
 
 京都三大祭のトップを飾る葵祭が華やかに古都・京都で繰り広げられる。葵祭は凶作続いた六世紀に五穀豊穣と国家安泰を祈願したのが起源とされる。行列は下鴨神社上賀茂神社天皇が勅使を送った様子を今に伝える。
平安の世にいざなう典麗優雅な葵祭の見どころは、平安貴族の衣装に身を包んだ人々が巡行する「路頭の儀」で、行列(路頭の儀)は総勢五百名、勅使をはじめ倹非違使、内蔵使山城使、馬三十六頭、牛四頭、牛車二基、風流傘、斉王など、平安貴族そのままの姿で約一㌔にも及び、優雅な行列は全長八㌔市内を練り歩き、御所を出発して下鴨神社で「社頭の儀」を終え、賀茂街道を北上して上賀茂神社での「社頭の儀」が終了するのは夕暮れになります。
【本 列・第 一 列】 
検非違使・・・都の治安維持にあたった検非違使庁の役人。現在の警察官と裁判官を兼ねていました。
山城使・・・中央から山城国の地方行政を任された国司庁の次官(山城介)で、五位の文官。
【本 列・第 二 列】
御幣櫃・・・宮中から賀茂両社へ納める御幣物(お供え)を入れた唐櫃のこと。 白丁が担いで運びます。
馬寮使・・・走馬(御馬ともいう)の担当者である左馬寮の第三番目の役(左馬充)。六位の武官。
牛 車・・・勅使用の牛車で、一般に御所車という。現在は勅使が乗らず、行列の華として参加。軒を藤の花などで飾った壮麗な車です。
【本 列・第 三 列】
舞 人・・・神事などで奏される歌舞「東遊」を舞う、近衛府(内裏の警護などにあたった役所)の五位の武官。
勅 使・・・天皇の使いで、行列中最高位。四位近衛中将が任にあたったため、近衛使とも呼びます。現在は勅使は行列には加わらず、近衛使代が役を務めます。
【本 列・第 四 列】
陪 従・・・楽人装束を身にまとった近衛府の五位の武官。賀茂両社の社頭で歌をうたい、雅楽を奏します。
内蔵使・・・皇室の経済などを司った内蔵寮の次官で、五位の文武兼官。勅使が奏上するお祭文を棒持しています。
【斎 王 代 列】
斎王代・・・葵祭のヒロイン。衣装は十二単衣で、頭に金属製の飾り物・心葉を着用。
行列では、四方が開いた腰輿に乗って巡行します。
女 人・・・一般女官にあたる命婦、食事を司る女嬬、斎王付きの巫女である駒女と、「房車」と呼ばれる斎王の牛車などで構成される。
 
 
 
 
 

"おいない"の京都最新情報

2018年 5月 11 (金)
     [京 の 季 節 の 花 だ よ り]
 
 左京区大原古知平町の阿弥陀寺で、クリンソウがかれんな花を咲かせている。山あいの湿地で紫や白、桃色の花が風に揺れ、訪れた参拝者たちを楽しませている。
クリンソウサクラソウ科の多年草。同寺では約三〇年前から育て、約三〇〇株が植えられている。今年は例年より一週間ほど早く五月上旬から咲き始め、はや満開になった。高さ六〇センチほどに伸びた茎から重なるように花を咲かせ、訪れた人たちがじっくり見入っている。
拝観料四〇〇円で、午前九時~午後四時。六月初旬まで楽しめそうという。

"おいない"の京都最新情報

   2018年 5月 10日(木)

    [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 ★「縁切り」で知られる東山区・安井金毘羅宮で春季大祭。
境内祭場に願い事が書かれたお札が無数に貼られた「縁切り縁結び碑」の前に、護摩壇を設けて、切実な願いの込められた「けがや病気と縁が切れますように」「夫の浮気相手ときれますように」などと書かれた護摩木を焚き上げます。
お火焚きと言えば十一月ですが、この時期にも行なわれる春の火焚き祭。
交通安全・家内安全・無病息災などを祈願します。
神職が点火すると、強い風にあおられ活き勢いよく煙が上がった。三千本以上の護摩木が投げ入れられた。当日はお茶席やおでんの模擬店、盆石の展示もあります。
 
 
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"おいない"の京都最新情報

  2018年 5月 8日(火)


     【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
 
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 ★左京区吉田神社境内の山蔭神社で五月八日、包丁刀とまなばしだけでタイとコイを切り分ける「式包丁」が料理店関係者や国内外の観光客が見守る中、厳かな儀式が奉納された。
式包丁は、山蔭神社が創建され五十余年前から始まった儀式。
吉田神社の創建者藤原山蔭は包丁の技に優れ、料理の始祖として敬われています
料理に携われる事に感謝し、料理、飲食、包丁の神である藤原山陰に奉納される。
笙や篳篥の音色が鳴り響いた後、平安時代から続く料理の流派、生間流式包丁は包丁の技に優れ、料理の始祖として敬われています。手を触れずに包丁だけで魚をさばく古式ゆかしいものです
生間流の料理人たちが、舞のようなゆったりした動作で、包丁刀とまなばしで、優雅さと勢いを表すというタイとコイを、順に切り分け最後に豪快に包丁刀を振り下ろした。
 
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"おいない"の京都最新情報

2018年 5月 5日(土)


      [葵 祭シリーズ] 
 
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 ★北区・上賀茂神社では五月五日、一日の足汰式で決まった出走馬がいよいよ登場し、天下泰平と五穀豊穣を祈願する行事「賀茂競馬会(くらべうまえ)神事」が行われた。
 競馬は平安時代からの勇壮な神事で、平安中期・堀河天皇の寛治七(一〇九三)年に宮中武徳殿の儀式を移して上賀茂神社に奉納されて以来、九百年以上今日まで続いている。
一〇九三年、内裏の女官達が菖蒲の根の長短を競う遊びで賀茂社の菖蒲の根が長く、勝利を射止めたため、その御礼として競馬を奉納したのが始まりとされる
早朝より頓宮遷御(とんぐうせんぎょ)、菖蒲根合わせの儀などが行われる本殿祭の後、午後から乗尻は左右に分かれ、左方は打毬(たぎゅう)、右方は狛鉾(こまぼこ)の舞樂装束を着け、馬に乗って社頭に参進します。
勧盃、日形乗、月形乗、修祓、奉幣の儀を行い、次いで馬場にて順次競馳(きょうち)します。(京都市登録無形民俗文化財に登録)
その様子は『徒然草』等にも書かれており、蓋し天下の壮観です
メーンの競馬会の儀では、二頭の馬が一馬身差でスタートし差が広がったか狭まったかで勝敗が決まる。
「馬出しの桜」から「勝負の紅葉」までの勝負を競い、判定役が赤扇を挙げると左方の勝ち、青扇を挙げると右方の勝ちです。
 一の鳥居からニの鳥居にかけて芝生西側の馬場で赤色の「左方」と黒色の「右方」の組に分かれ、二馬ずつ六回勝負する。左方の勝ち数が多い年は豊作とされている。
 
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 左京区下鴨神社で「歩射神事」が行われる。
宮中古式により弦や鏑矢で邪気を祓い、弓矢で葵祭りの沿道を清め無事を祈る神事。
まずは射手が弓を鳴らす「蟇目式(ひきめしき)」で四方の邪気を祓います。
二本の矢を楼門の屋根を越えて飛ばす「屋越し式」、大きな的を射る「大的式」、連続で矢を射る「百矢式」などが執り行われる。
以上四つで「鳴玄蟇目神事(めいげんひきめしんじ)」と呼ばれ、これもまた葵祭りの安全祈願とされています。 
 
    [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]     
 
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 ★縁結びの神として知られる東山区清水寺境内地主神社で五月五日、例大祭「地主祭」が営まれた。
家内安全・土地守護・事業繁栄・良縁達成を祈願するお祭りで、約千年前の天禄元年、円融天皇行幸の際、勅命により行われた臨時祭がその起源。
雅楽、白川女、武者、稚児などの行列は時代絵巻さながらです。かつて地主桜を御所に献上した様子を、白川女が当時そのままに伝えます。
 《神幸祭
地主神社』ののぼりを先頭に、神宮、巫女、白川女などの列が、地主神社本殿前を出発します。そして子供みこし、稚児、武者などと合流して、雅楽の調べも賑やかに清水坂、三年坂、茶碗坂などを練り歩きます。神社に戻り、そこで家内安全、無病息災、事業繁盛、世界平和などを祈願する祭典が行われます。
 
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 ★「馬の神様」として知られる伏見区・藤森神社で(五月一日~五日)、藤森祭があり、五日には「駆馬神事」(京都市登録無形民俗文化財)が奉納される。
藤森神社は「菖蒲(しょうぶ)の節句」発祥の地と伝わり、転じて「勝負」の神として信仰を集める。江戸時代には各藩の馬術指南役や町衆が、曲芸的な馬術を競うようになったという。
駆馬神事は、七八一年、早良親王陸奥の反乱へ出陣する際、藤森神社で必勝を祈願したことにちなむ。
新緑に覆われた鳥居から拝殿までの参道約百八十㍍の馬場で疾走する馬の上で、乗子が逆立ちして敵をあざける「杉立ち」、敵の矢を避けて前傾姿勢で駆ける「手綱潜り」、や敵矢が当たったと見せかけて身をのけぞらせる大技「藤下がり」、馬上で文字を書く妙技などアクロバティックな技が魅力を見せ、観客を驚嘆させた。事前の練習はなく、乗子はぶっつけ本番で技に挑む。
境内では、巫女(みこ)や武者姿の時代行列もにぎやかに練り歩いた 
藤森神社駈馬神事
◇ 駈馬の技(わざ)は下記の通り。◇
一、 手綱潜り 敵矢の降りしきる中、駈ける技
二、 逆乗り(地藏) 敵の動静を見ながら、駈ける技
三、 矢払い 敵矢を打払いながら、駈ける技
四、 横乗り 敵に姿を隠して、駈ける技
五、 逆立ち(杉立ち) 敵を嘲りながら、駈ける技
六、 藤下がり 敵矢の当たったと見せて、駈ける技
七、 一字書き 前線より後方へ情報を送りながら、駈ける技
 
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 ★「西陣の祭」として知られる今宮神社が五日、始まった。
千年以上前に今宮社が創建された平安時代に、疫病退散を祈願した「御霊会」に由来する
華麗に飾られたみこし三基と氏子ら約八〇〇人の行列が、御旅所まで練り歩いた。
「八乙女」と呼ばれる童女が神社で舞を奉納した後、行列が御旅所を目指した。先頭の太鼓に合わせて牛車や祭鉾が華やかに進んだ。参拝者にお茶を振りかける「湯立祭」は六日、還幸祭は十一日に行われる。