"おいない"の京都最新情報

  【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事

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 左京区三千院では知らない内に重ねた日々の悪行を仏に懺悔して、心を清める恒例の「御懺法講」(おせんぼうこう)は本来、御所で行われていた天皇家の回向法要で毎年、五月三十日に営まれる
御懺法講は
一一五七(保元二)年に後白河天皇が宮中で催したのが始まりとされる。
雅楽演奏が流れる中、儀式が僧侶の声明に合わせて進むことから「声明懺法」とも呼ばれ、仏教音楽の伝統を今に伝えている。
伝統法要は境内奥の宸殿で行われ、導師の門主や大原と比叡山天台宗寺院の赤い法衣姿の僧侶約十人が笛や琴などの音色が響く中、座ったり殿内をゆっくり回りながら、紙の花をまく儀式などが約二時間にわたって独特の旋律に乗せて唱える「声明」と雅楽による華やかな平安絵巻さながらの伝統法要で、緑深い境内におごそかに響きわたる。

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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事  

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右京区愛宕神社野宮神社の例祭「嵯峨祭」の還幸祭が二十八日、同区の嵯峨嵐山地域で営まれた。
汗ばむ陽気の中、剣鉾(ぼこ)やみこしの行列が練り歩き、「ほいっと、ほいっと」と担ぎ手の勇ましい掛け声が新緑に包まれた観光地に響いた。
春の風物詩とされる同祭は大覚寺とゆかりが深く、現在は住民らでつくる奉賛会が継承している。
午前一〇時、一行は清凉寺南の御旅所から出発した。雅楽車を先導に剣鉾5基やみこし二基が続き、大覚寺などを巡って渡月橋を渡った。
巡行の途中、剣鉾を持つ男衆が独特の足裁きで左右に体をねじり、長さ六メートルの鉾をしならせた。鉾上部の鈴(りん)の音が響くと観客からは拍手と歓声が上がった。また、子どもみこしも一帯を巡り、祭を盛り上げた。

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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 

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 西京区・大原野の十輪寺で五月二十八日、平安時代六歌仙の一人、伊勢物語の主人公の在原業平をしのぶ法要が新緑のモミジが映え、鳴り響く三弦と声明に「業平忌秘密三弦法要」が営まれた。
十輪寺は業平が政略で離された恋人の二条后を思いながら晩年この地に住み、元経(八八〇)年五月二十八日、五十六歳で亡くなるまで、ここで塩を焼いて風情を楽しんだと伝わる。
業平忌は、一族の女性との仲を裂いた藤原氏が、たたりを恐れ供養したのが始まり。塩竃の跡や墓もある。
本堂前に特設した祈願道場で、三弦を奏でる独特の声明法要で、住職らが三弦を奏でながら独特の節回しで般若心経や天台声明を唱えた。
業平が好んだと云われるカキツバタや歌詠みである業平を慕って多くの俳人歌人が集い、日本舞踊・京舞の奉納や、書や献花の奉納もあり、平安の歌人に思いをはせていた。
 
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

 東山区京都霊山護国神社で、「維新の三傑」として知られる幕末の志士。木戸孝允(後の桂小五郎)の命日に当たる二十六日、「松菊祭」が営まれ、ファンが墓前で威徳を偲んだ。
護国神社木戸孝允顕彰会が、一八七七年に京都で死去した木戸の命日に合わせて開いている。
行事の名は、雅号「松菊」から付けた。
幕末の京で女性に人気だった木戸だけに、参列者もほとんどが若い女性で、墓前に花や玉串をささげて手を合わせていた。

 
宇治・平等院境内の「扇の芝」:「頼政忌」2012年
 平安時代末期の歌人で武将の源頼政をしのぶ「頼政忌」が命日にあたる二十六日、宇治・平等院境内であり子孫らが参列した。塔頭の最勝院内の墓で住職らが読経した後、頼政の木像が安置されている観音堂で供養をした。
頼政は治承四(一一八〇)年、以仁王(もちひとおう)の令旨を受けて平氏討伐の兵を挙げたが、宇治川の合戦で敗れ、平等院境内にある「扇の芝」で自害したと伝えられる。
 
丹波下山・尾長野八坂神社:「御田祭」11’神撰田の前に供えられた苗
 京丹波町下山の尾長野地区にある祇園・八坂神社の分社、尾長野八坂神社の神饌(しんせん)田で二十六日、祇園祭などに使う稲の苗を植える「御田祭」が営まれた。
紅白の姿がまぶしい早乙女が田植えを行った。

八坂神社の分社がある下山では一九七〇年から毎年この時季に行われ、稲は祇園祭神幸祭還幸祭のみこしの屋根に飾る青苗、稲わらは八坂神社本殿のしめ縄に使われる。
尾長野地区の氏子ら八人が早乙女となり、すげがさと紅白の着物に身を包んだ。雅楽に合わせて巫女(みこ)が舞う中、早乙女が神前に供えられた一つ一つ苗を植え、苗は後日、地元住民が植える予定。
神事は厳かに進み、八人の早乙女が苗を神撰田の前に供えた。田植えを終えた後には雅楽の演奏に合わせ、巫女の演舞や稲の邪気をはらうとされる獅子舞や和太鼓の演奏もあり、にぎやかに五穀豊穣(ほうじょう)を祈った。
下山の神饌田には大勢の地元住民や観光客らが訪れた。
丹波下山・尾長野八坂神社:「御田祭」
 
 

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東山区京都霊山護国神社で、「維新の三傑」として知られる幕末の志士。木戸孝允(後の桂小五郎)の命日に当たる二十六日、「松菊祭」が営まれ、ファンが墓前で威徳を偲んだ。
護国神社木戸孝允顕彰会が、一八七七年に京都で死去した木戸の命日に合わせて開いている。
行事の名は、雅号「松菊」から付けた。
幕末の京で女性に人気だった木戸だけに、参列者もほとんどが若い女性で、墓前に花や玉串をささげて手を合わせていた。
 
 
平安時代末期の歌人で武将の源頼政をしのぶ「頼政忌」が命日にあたる二十六日、宇治・平等院境内であり子孫らが参列した。塔頭の最勝院内の墓で住職らが読経した後、頼政の木像が安置されている観音堂で供養をした。
頼政は治承四(一一八〇)年、以仁王(もちひとおう)の令旨を受けて平氏討伐の兵を挙げたが、宇治川の合戦で敗れ、平等院境内にある「扇の芝」で自害したと伝えられる。
京丹波町下山の尾長野地区にある祇園・八坂神社の分社、尾長野八坂神社の神饌(しんせん)田で二十六日、祇園祭などに使う稲の苗を植える「御田祭」が営まれた。
紅白の姿がまぶしい早乙女が田植えを行った。

八坂神社の分社がある下山では一九七〇年から毎年この時季に行われ、稲は祇園祭神幸祭還幸祭のみこしの屋根に飾る青苗、稲わらは八坂神社本殿のしめ縄に使われる。
尾長野地区の氏子ら八人が早乙女となり、すげがさと紅白の着物に身を包んだ。雅楽に合わせて巫女(みこ)が舞う中、早乙女が神前に供えられた一つ一つ苗を植え、苗は後日、地元住民が植える予定。
神事は厳かに進み、八人の早乙女が苗を神撰田の前に供えた。田植えを終えた後には雅楽の演奏に合わせ、巫女の演舞や稲の邪気をはらうとされる獅子舞や和太鼓の演奏もあり、にぎやかに五穀豊穣(ほうじょう)を祈った。
下山の神饌田には大勢の地元住民や観光客らが訪れた。
 
 

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 [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

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西京区嵐山・法輪寺の鎮守社の電電宮で五月二十三日、電気と電波をつかさどる神様が祀られており、神を拝む「電電宮大祭」が営まれた。
平安時代に空から明星が降り注いだという故事に由来する「電電明神」が祭られ、全国の電機関連企業の信仰を集め、業界の発展と安全を祈願する祭典です
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★一八六二年の伏見・寺田屋騒動で亡くなった「薩摩九烈士」をしのぶ追慕会が五月二十三日、伏見区の大黒寺で開かれる。
大阪の古武術・武器研究家が所蔵する九烈士の一人、橋口壮助の鉄扇や、箱に「直弼公天誅の短筒」と記され、一八六〇年に起きた桜田門外の変井伊直弼を狙撃したと伝わる拳銃も、この日のみ同寺で展示される。
寺田屋騒動は、公武合体運動に反対する尊皇派藩士たちが藩の送った説得の使者と争い死傷した事件。大黒寺は薩摩藩にゆかりが深く、事件で死亡・切腹した尊皇派九人の墓が建立されている。
追慕会は京都鹿児島県人会が主催。九烈士や、木曽川治水に尽力した薩摩藩家老平田靭負らの墓参りを行う。式典に続き、境内では、薩摩藩の武術を継承する剣術や弓術を披露し、木刀を持った薩摩日置(へき)流の演武や槍の付いた独特の弓矢による実演で在りし日の藩士を偲んでいた。
 

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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 浄土真宗本願寺派の宗祖親鸞の誕生を祝う、毎年恒例の降誕会(え)が二十一日、下京区の同派本山・西本願寺で営まれた。
重要文化財の南能舞台では祝賀能が上演され、一二〇〇人を楽しませた。
本願寺と能は室町時代本願寺八世蓮如のころから関係があるといい、十九世紀後半からは祝賀能が恒例となった。
世襲制門主の代替わりを祝う「伝灯奉告法要」が営まれていることから、父子をテーマにした演目となった。冒頭、現在では西本願寺でしか見られないという「お能始めませい」との「触れ」から始まった。観世流シテ方の片山九郎右衛門さんらが出演。優雅な天女の舞と山神の激しい舞いがある世阿弥作「養老」や、文殊菩薩の使いである獅子が変化に富んだ華麗な舞いを披露する「石橋(しゃっきょう)」などが披露された。観客たちは、日本最大級の屋外能舞台で演じられる能に見入っていた。
また、親鸞の木像を安置する御影(ごえい)堂で法要が営まれ、境内南側にある唐門が三十四年ぶりに開かれた。
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 [葵 祭 シ リ ー ズ]
 
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 葵祭を締めくくる小川流煎茶献茶祭が二十一日、左京区下鴨神社で行われた。七代家元を継承した小川後楽さんが、心を込めた一煎をいれ、神前にささげた。
祭の無事を奉告する恒例の行事。昨秋、六代家元が亡くなったことを受け、今年は神前に、家元襲名も合わせて奉告した。
神事に続き、本殿前の舞殿で新家元が厳かにお手前に臨んだ。流祖伝来の本格手前で二碗に静かに茶を注ぎ、東西の二神に献じた。
献茶式後、境内の供御所(くごしょ)に設けられた本格手前の茶席では、歴代家元の遺愛の品などで列席者をもてなした。直会(なおらい)殿にも文人手前席が設けられ、汗ばむ陽気の中、訪れた約三〇〇人は、趣向の違いとともに、喉を潤す煎茶の清味を味わっていた。