"おいない"の京都最新情報
神無月の名を欺いて、京都の十月はお祭り月。春とは一味違う別の華やかさが街に満たされます。
【今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事】
★花街・祇園甲部歌舞会の秋恒例の「温習会」が祇園甲部歌舞練場で十月一日から始まった。温習会は、芸舞妓が精進を重ね、日頃の稽古の成果を披露する舞台。
今年は芸舞妓八十五人が出演する。温習会は六日まで。連日午後四時開演。
指定席 八五〇〇円、自由席 四〇〇〇円。
今年は芸舞妓八十五人が出演する。温習会は六日まで。連日午後四時開演。
指定席 八五〇〇円、自由席 四〇〇〇円。
★秋恒例の「宇治茶まつり」が十月一日、宇治市の府立宇治公園(中の島)一帯で催される。
茶の発展に尽くした栄西・明恵・千利休の供養祭です。宇治茶祭奉賛会の主催。
宇治橋三の間での「名水汲み上げの儀」でスタート。
名水が運ばれた興聖寺では茶つぼの口切り式や献茶式と、茶せんの供養も行われる。
茶席は興聖寺と宇治神社、点心席は市観光センターに設けられる。宇治公園では、茶香服を簡略にした「お茶のみコンクール」や、茶器や茶葉などが当たる抽選会もある。
茶の発展に尽くした栄西・明恵・千利休の供養祭です。宇治茶祭奉賛会の主催。
宇治橋三の間での「名水汲み上げの儀」でスタート。
名水が運ばれた興聖寺では茶つぼの口切り式や献茶式と、茶せんの供養も行われる。
茶席は興聖寺と宇治神社、点心席は市観光センターに設けられる。宇治公園では、茶香服を簡略にした「お茶のみコンクール」や、茶器や茶葉などが当たる抽選会もある。
★学業の神・菅原道真公が祀られる上京区・北野天満宮で、秋の大祭「ずいき祭り」が十月一日から五日まで行われる。
祭の由来になったずいき(里芋の茎)など食物で飾った御輿のお祭りで、一年の五穀豊穣を感謝し、神前に新穀、野菜、果実などを供えたのが始まりで、室町時代から続くとされています。
毎年九月初旬から地元の人々によって手作りされ、屋根と四本柱をすべて瑞饋(ずいき)を使い、鬼瓦をかしら芋、瓔珞(ようらく)を茄子や唐辛子、ほおずきなどで飾った鳳輦(ほうれん)というずいき神輿に御霊を移す出御祭が行われた後、導山を始め三基の鳳輦と松鉾他が北野天満宮の本社を出て、宮司など神職を始め氏子崇敬者らが供奉、約百五十人余が祭列を整え氏子区内を巡行して、約四㌔離れた西ノ京の御旅所まで華やかに練り歩く。
着御祭に引き続き氏子地域より選ばれた女児による「八乙女田舞(やおとめたまい)」が奉納されます。
鳳輦は還幸祭の四日までずいき神輿とともにお旅所に駐輦され、その間お旅所には多くの出店が連日、軒を並べ祭り気分で賑わいます。
祭の由来になったずいき(里芋の茎)など食物で飾った御輿のお祭りで、一年の五穀豊穣を感謝し、神前に新穀、野菜、果実などを供えたのが始まりで、室町時代から続くとされています。
毎年九月初旬から地元の人々によって手作りされ、屋根と四本柱をすべて瑞饋(ずいき)を使い、鬼瓦をかしら芋、瓔珞(ようらく)を茄子や唐辛子、ほおずきなどで飾った鳳輦(ほうれん)というずいき神輿に御霊を移す出御祭が行われた後、導山を始め三基の鳳輦と松鉾他が北野天満宮の本社を出て、宮司など神職を始め氏子崇敬者らが供奉、約百五十人余が祭列を整え氏子区内を巡行して、約四㌔離れた西ノ京の御旅所まで華やかに練り歩く。
着御祭に引き続き氏子地域より選ばれた女児による「八乙女田舞(やおとめたまい)」が奉納されます。
鳳輦は還幸祭の四日までずいき神輿とともにお旅所に駐輦され、その間お旅所には多くの出店が連日、軒を並べ祭り気分で賑わいます。
★ 三日 ずいき祭・甲御供奉鐉
西ノ京七保会による甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)が行われます。
一五二七年、阿波の三好長基が都に攻め入った時、たまたま入洛していた越前の守護職朝倉敏景が、西ノ京の神人と協力して長基を阿波に追い落としました。将軍足利義晴は、神人の功を賞し北野天満宮に甲の御供を定めたのが始まりです。一時中絶されましたが、明治四十年旧神人(七保会)の努力により復活し今日に至っています。
西ノ京七保会による甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)が行われます。
一五二七年、阿波の三好長基が都に攻め入った時、たまたま入洛していた越前の守護職朝倉敏景が、西ノ京の神人と協力して長基を阿波に追い落としました。将軍足利義晴は、神人の功を賞し北野天満宮に甲の御供を定めたのが始まりです。一時中絶されましたが、明治四十年旧神人(七保会)の努力により復活し今日に至っています。
★ 五日 ずいき祭・后宴祭
拝殿前にて「八乙女田舞」が奉納されます。八人の乙女たちが鈴を持って舞を舞うというもの。拝観者は外で見学できます。
拝殿前にて「八乙女田舞」が奉納されます。八人の乙女たちが鈴を持って舞を舞うというもの。拝観者は外で見学できます。