"おいない"の京都最新情報

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東山区京都霊山護国神社で、「維新の三傑」として知られる幕末の志士。木戸孝允(後の桂小五郎)の命日に当たる二十六日、「松菊祭」が営まれ、ファンが墓前で威徳を偲んだ。
護国神社木戸孝允顕彰会が、一八七七年に京都で死去した木戸の命日に合わせて開いている。
行事の名は、雅号「松菊」から付けた。
幕末の京で女性に人気だった木戸だけに、参列者もほとんどが若い女性で、墓前に花や玉串をささげて手を合わせていた。
 
 
平安時代末期の歌人で武将の源頼政をしのぶ「頼政忌」が命日にあたる二十六日、宇治・平等院境内であり子孫らが参列した。塔頭の最勝院内の墓で住職らが読経した後、頼政の木像が安置されている観音堂で供養をした。
頼政は治承四(一一八〇)年、以仁王(もちひとおう)の令旨を受けて平氏討伐の兵を挙げたが、宇治川の合戦で敗れ、平等院境内にある「扇の芝」で自害したと伝えられる。
京丹波町下山の尾長野地区にある祇園・八坂神社の分社、尾長野八坂神社の神饌(しんせん)田で二十六日、祇園祭などに使う稲の苗を植える「御田祭」が営まれた。
紅白の姿がまぶしい早乙女が田植えを行った。

八坂神社の分社がある下山では一九七〇年から毎年この時季に行われ、稲は祇園祭神幸祭還幸祭のみこしの屋根に飾る青苗、稲わらは八坂神社本殿のしめ縄に使われる。
尾長野地区の氏子ら八人が早乙女となり、すげがさと紅白の着物に身を包んだ。雅楽に合わせて巫女(みこ)が舞う中、早乙女が神前に供えられた一つ一つ苗を植え、苗は後日、地元住民が植える予定。
神事は厳かに進み、八人の早乙女が苗を神撰田の前に供えた。田植えを終えた後には雅楽の演奏に合わせ、巫女の演舞や稲の邪気をはらうとされる獅子舞や和太鼓の演奏もあり、にぎやかに五穀豊穣(ほうじょう)を祈った。
下山の神饌田には大勢の地元住民や観光客らが訪れた。