"おいない"の京都最新情報

     [京 の 季 節 の 花 だ よ り]

 

京都市内で最終盤に花見を楽しめる右京区京北宮町の「黒田百年桜」が見頃を迎え、十六日に桜まつりが開かれた。
鮮やかな大輪の花が手まりの様に咲き誇る姿を一目見ようと、大勢の家族連れでにぎわった。
百年桜は樹齢三〇〇年以上を誇り、八重の中に一重が混じる突然変異種のヤマザクラ。今年は例年より十日ほど早く咲き始め、まつりでは満開の桜の下、地元住民がよもぎ餅の販売や音楽ステージで見物客をもてなした。
まつりは十七日午前九~午後五時にも開催し、開花期間中は夜間ライトアップも実施する。京北ではほかにも宝泉寺や常照皇寺で桜が見頃となり、各地の桜巡りを楽しむ人でにぎわった。

     【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

 

★浄土真宗中興の祖・蓮如(一四一五~九九年)の肖像画「御影」とともに、真宗大谷派本山・東本願寺から福井県あわら市・吉崎別院まで往復五百二十㌔ある全行程を歩いて往復する恒例行事「蓮如上人御影道中」の一行が四月十七日、東本願寺を出発した。
蓮如(一四一五~九九)が他宗から迫害され、一四七一年、京都を追われ越前・吉崎を拠点に教化した苦労をしのぶとともに、その遺徳を伝えるため、吉崎別院で毎年二十三日から営まれる法要に合わせて一七五二(宝暦二)年(約二百五十年前)から続く伝統行事。 今回で三百四十一回目を数える。
今年は引率役の僧侶一人と供奉人(ぐぶにん)と呼ばれる門信徒の八人計九人が、東本願寺の修復が完了した阿弥陀堂で五年ぶりに「御下向式」が営まれ、御影が輿に納められた後、リヤカーに載せて「蓮如上人さま、東本願寺をおたーちー」のかけ声を合図に一般参加者も随行、約三十人が台車を引き始め、福井県に向けてお寺を出発した。
滋賀県湖西地域を経て二十三日に吉崎別院に到着。往路は琵琶湖西岸など約二百四十㌔を一週間かけて歩き、蓮如上人御忌法要の後、別の僧侶や門信徒たちが五月二日に吉崎を発ち、復路は琵琶湖東岸沿い湖北、湖東地域を通って五月九日に御影が東本願寺に戻る。
 
 

木津川市山城町綺田(かばた)の「蟹の恩返し」の物語で知られる蟹満寺で四月十八日、カニに一年間の感謝をし、商売繁盛や豊漁を祈願する「蟹供養放生会」が営まれた。
平安時代後期の今昔物語などに記される「蟹満寺縁起」は、カエルを飲み込もうとしていたヘビに、父が「放したら娘を嫁にやる」と言ったためヘビに迫られた娘が、自分がかって助けたカニによって救われた、と
堂で山伏や僧侶計九人が護摩を焚いた。
祭壇にはタラバカニ二匹を供え、読経が響くなか、全国のカニを扱う関係者や水産業者らが約三百匹のサワガニを次々と放した。

 

 
 
東山区・浄土宗総本山:知恩院で四月十八日から開祖法然の遺徳を偲ぶ忌日法要「御忌大会」(ぎょきだいえ)が始まった。
御忌は、法然が八十歳で死去して約三百年後の一五二四(大永四)年に始まったとされる。
戦国時代から続く「法然忌」とも呼ばれる知恩院最大の法要で、命日の二十五日まで連日、ご詠歌の奉納や音楽法要などが続く。
法然は一月二十五日に亡くなったが、本来は一月に営む法要が一八七七年から四月になった。
全国から集まった僧侶や壇信徒たちの唱える念仏が、国宝・御影堂に響き、法然の遺徳を偲んだ。
十八日の逮夜法要では、約百人の僧侶が内陣を歩き回りながら念仏を唱える「笏念仏行道」が営まれ、堂内を埋めた約千人の参拝者が手を合わせていた。
夜からは、三門上層の仏堂で「ミッドナイト念仏in御忌」があり、僧侶らは仏像の前にろうそくをともし、朝まで厳かな雰囲気の中で念仏を唱える。