"おいない"の京都最新情報
今年は芸舞妓八十五人が出演する。温習会は六日まで。連日午後四時開演。
指定席 八五〇〇円、自由席 四〇〇〇円。
茶の発展に尽くした栄西・明恵・千利休の供養祭です。宇治茶祭奉賛会の主催。
宇治橋三の間での「名水汲み上げの儀」でスタート。
名水が運ばれた興聖寺では茶つぼの口切り式や献茶式と、茶せんの供養も行われる。
茶席は興聖寺と宇治神社、点心席は市観光センターに設けられる。宇治公園では、茶香服を簡略にした「お茶のみコンクール」や、茶器や茶葉などが当たる抽選会もある。
祭の由来になったずいき(里芋の茎)など食物で飾った御輿のお祭りで、一年の五穀豊穣を感謝し、神前に新穀、野菜、果実などを供えたのが始まりで、室町時代から続くとされています。
毎年九月初旬から地元の人々によって手作りされ、屋根と四本柱をすべて瑞饋(ずいき)を使い、鬼瓦をかしら芋、瓔珞(ようらく)を茄子や唐辛子、ほおずきなどで飾った鳳輦(ほうれん)というずいき神輿に御霊を移す出御祭が行われた後、導山を始め三基の鳳輦と松鉾他が北野天満宮の本社を出て、宮司など神職を始め氏子崇敬者らが供奉、約百五十人余が祭列を整え氏子区内を巡行して、約四㌔離れた西ノ京の御旅所まで華やかに練り歩く。
着御祭に引き続き氏子地域より選ばれた女児による「八乙女田舞(やおとめたまい)」が奉納されます。
鳳輦は還幸祭の四日までずいき神輿とともにお旅所に駐輦され、その間お旅所には多くの出店が連日、軒を並べ祭り気分で賑わいます。
西ノ京七保会による甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)が行われます。
一五二七年、阿波の三好長基が都に攻め入った時、たまたま入洛していた越前の守護職朝倉敏景が、西ノ京の神人と協力して長基を阿波に追い落としました。将軍足利義晴は、神人の功を賞し北野天満宮に甲の御供を定めたのが始まりです。一時中絶されましたが、明治四十年旧神人(七保会)の努力により復活し今日に至っています。
拝殿前にて「八乙女田舞」が奉納されます。八人の乙女たちが鈴を持って舞を舞うというもの。拝観者は外で見学できます。
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温習会は、祇園甲部の芸舞妓が京舞の精進の成果を披露する恒例の舞台。
京舞井上流五世家元の井上八千代さんに指導を受ける芸舞妓八十八人が、精進の成果を披露する。今年は、祇園甲部歌舞練場が耐震化に向けて休館中のため、春秋座で公演する。
この日、華やかな舞台衣装の芸舞妓たちが、井上八千代さんが見守る中、所作や立ち位置を入念に確かめていた。
井上流の歴代家元が振り付けた一〇演目を上演する。初代による女心をあでやかに表現した地唄「黒髪」や、二世が手掛けた上方唄「近江八景」などを日替わりで披露する。
連日午後四時開演。全席指定八五〇〇円。
花傘は伏見九郷の氏子らが競って風流傘を飾り立てたのが始まりとされています。
氏子町内の花傘や神輿がお祓いを受ける「花傘総参宮」が行われ,約二〇の町内の氏子たちが直径約三メートルもの色鮮やかな花傘や神輿を揺らしながら大手筋商店街などを練り歩きます。
神幸祭では、獅子若行列、猿田彦行列、神輿の巡行に、稚児・武者行列を見ることができます.
今年が没後千年にあたる、浄土教の祖、恵心僧都源信が開いた寺や、皇女ゆかりの門跡寺院などが拝観できる。
心僧都源信が開いた蔵林寺(宇治市) が初参加し、源信自ら刻んだとされる阿弥陀如来像のほか平安後期の薬師如来像などを公開する。
尼門跡寺院とて知られる三時知恩寺(上京区)では江戸期の妖怪絵巻が並び、「狸寺」の別名もある西運寺(伏見区)では数百点のタヌキの置物コレクションを見学できる。
特別大公開は、寺院ごとに公開日や拝観料の有無が異なる。
詳しくはホームページ http://www.jodo-kyoto.jp/ をご覧ください。
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
★上京区の相国寺が重要文化財の法堂(はっとう)などを特別公開している。真下で手を打つと堂内に独特の響きが生まれることから「鳴き龍(りゅう)」と呼ばれる巨大な龍の天井画を見ることができ、参拝者が音の響きを確認したり、龍の目を眺めたりしながら堂内を歩いていた。
法堂は一六〇五(慶長一〇)年に豊臣秀頼が寄進して再建された。狩野光信筆の天井画「蟠龍(ばんりゅう)図」は高さ約十一メートルにあり、直径約九メートルの円に龍がとぐろをまく姿が描かれている。春と秋の年二回、公開している。
方丈の中央にある「室中の間」で、細かなお経の文字を並べて観音菩薩(ぼさつ)を描いた、江戸時代中期の「法華観音図」の掛け軸を掲げているほか、「御所移しの間」で、京都御所の清涼殿から譲り受けたふすま絵を見ることができる。同寺を開いた夢窓疎石をまつる開山堂も公開している。
秋だけ公開される開山堂の前庭は、本来は表と裏で分かれる禅宗の庭が一つになった珍しい庭で、かつて御所に水を供給していた水路の跡も残っている。観光客らは白砂が敷き詰められた静かな空間を眺め、ひとときを過ごしていた。
十二月十五日まで。一〇月十八~二十一日は拝観中止。
一般八〇〇円、六十五歳以上と中高生は七〇〇円。
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使い古した櫛やかんざしに、感謝を込めてお清めし供養するお祭りです。
昭和十六年九月に境内北側に久志塚(櫛塚)が建立されてより、女性の命である髪の美しさを引き立てる櫛をお祀りし、女性の美容美顔美髪にご利益があります。
櫛供養のあと舞が奉納され、「元禄島田」や「耳かくし」など古墳時代から現代までの四十五の髪型に結い上げた女性ら四十人余が、各時代の髪型とあでやかな衣装の女人風俗行列で神社境内を出発して、祇園界隈・四條通、川端通、新橋通、から花見小路を練り歩く。以前は「くし」の語呂合わせで九月四日にあったが、現在は美容師の休日の九月第四月曜日に行われるようになった。
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
地元住民による銅駝(どうだ)高瀬川保勝会が幅広い団体の協力を得て、毎年秋分の日に合わせて催している。
水運の主役だった平底形状の高瀬舟に乗船できるほか、芸舞妓との船上撮影会、茶の接待(有料)を催す。ステージイベントとして音楽や落語、バルーンアートなどが披露され、チャンバラ教室などを開く。
角倉了以と子の素庵によって慶長年間に開削された高瀬川は、京の市中と伏見を結び、各藩が屋敷を構えた。舟荷の積み下ろしなどに利用された「舟入」は、現在でも「一之舟入」が二条橋付近で国史跡に指定されている。舟まつり会場の南にはかつて角倉邸があった。
舟まつりは、江戸時代に豪商角倉了以が開削し京都~伏見間の重要な物資輸送路となった高瀬川を、より多くの人に知ってもらおうと、高瀬舟の復元を機に、一九九一年から毎年行っています。
見物客は先斗町の舞妓が乗り込んだ高瀬舟に移ってお茶の接待や川面の風情を楽しんだり、舟を舞台に落語やささ舟に願い事を書いて流す催しが披露され、昔の水運の様子を描いて満喫。
なお、「高瀬舟」で知られる「一之船入」とは、高瀬川の水運の起点辺りを言います。
御香宮神能は豊臣秀吉が伏見城の守り神とした神社、鳥羽伏見の戦いでは、薩軍の屯所にもなった御香宮の能舞台での能と仕舞、狂言で、室町時代から神事として続いており、毎年秋に境内の能舞台で、ろうそくの柔らかな光りが舞台を包み、虫の音が響く中、開かれている。
能楽が猿楽と呼ばれていた六百年以上前から催されている。
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
★江戸期に角倉了以による開削の歴史をしのんで、高瀬川の二条-御池間で「第二十八回高瀬川舟まつり」が二十三日に催される。
地元住民による銅駝(どうだ)高瀬川保勝会が幅広い団体の協力を得て、毎年秋分の日に合わせて催している。
水運の主役だった平底形状の高瀬舟に乗船できるほか、芸舞妓との船上撮影会、茶の接待(有料)を催す。ステージイベントとして音楽や落語、バルーンアートなどが披露され、チャンバラ教室などを開く。
角倉了以と子の素庵によって慶長年間に開削された高瀬川は、京の市中と伏見を結び、各藩が屋敷を構えた。舟荷の積み下ろしなどに利用された「舟入」は、現在でも「一之舟入」が二条橋付近で国史跡に指定されている。舟まつり会場の南にはかつて角倉邸があった。
舟まつりは、江戸時代に豪商角倉了以が開削し京都~伏見間の重要な物資輸送路となった高瀬川を、より多くの人に知ってもらおうと、高瀬舟の復元を機に、一九九一年から毎年行っています。
見物客は先斗町の舞妓が乗り込んだ高瀬舟に移ってお茶の接待や川面の風情を楽しんだり、舟を舞台に落語やささ舟に願い事を書いて流す催しが披露され、昔の水運の様子を描いて満喫。
なお、「高瀬舟」で知られる「一之船入」とは、高瀬川の水運の起点辺りを言います。
★伏見区・御香宮神社では、ろうそくの明かりの下で伝統芸能を鑑賞する「御香宮神能」が九月二十三日夜上演され、観客を幽玄の世界へといざなう。
御香宮神能は豊臣秀吉が伏見城の守り神とした神社、鳥羽伏見の戦いでは、薩軍の屯所にもなった御香宮の能舞台での能と仕舞、狂言で、室町時代から神事として続いており、毎年秋に境内の能舞台で、ろうそくの柔らかな光りが舞台を包み、虫の音が響く中、開かれている。
能楽が猿楽と呼ばれていた六百年以上前から催されている。
神能は、日没になると本殿と向かい合う形で設けられている御香宮能舞台で、舞台の回りのろうそくに灯が灯され、奉書紙を通して漏れる柔らかな光が舞台を照らし、ろうそくの明かりで演じる「蝋燭能」として親しまれている。
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