"おいない"の京都最新情報
カキツバタは、鳥居近くの「大田ノ沢」(約二千平方㍍)に、約二万五千株が群生し、国の天然記念物に指定されている。平安時代の歌人、藤原俊成が紫一色に染まる様子をいちずな恋心に例えたこの地の花に託して和歌に詠むなど、古くから初夏の風物詩として親しまれてきた。
剣のような真っすぐの葉と、しなやかに垂れた花々のコントラストが、新緑の沢をすがすがしく彩っている
一株で三回花をさかせ、現在は「一番咲き」。見ごろを迎え、新緑の葉と紫色の可憐な気品に満ちた紫の花が水辺で咲き誇り、訪れる人たちを魅了している。
例年、見ごろは二十日前後まで続きそう。
長い間秘密の儀式として存在さえ知られていなかったが、昭和二十九年に初めて一般公開された。
鞍馬山全山に灯明を灯し、大杉の霊木で作った五智の宝冠の印を胸に着け、ロウソクを手にした参列者が魔王尊の「お力の宝棒」による祝福を受け、千手観音に供えた霊水を授かります。
呼び名は昭和二十二年この行事は起源は古くヒマラヤ山中や東南アジアにも同様の祭りが伝わるウエサク祭に似ていることからきています。灯明を持って鞍馬寺に祀られている本尊である魔王尊・毘沙門天・千手観音大魔王尊に世界の救済と平和と全ての幸福を祈願する。私語や勝手な行為を慎み、ひたすら祈りを捧げる厳粛な時間です。
「心のともし火」に火が点火され、一斉に尊天に捧げる光景は幻想的。
古式の秘儀(始まりは室町時代とも)なので、共に祈る心で参拝してくださいとのこと。かなり冷え込みますので防寒具などをお忘れなく。 雨天決行。写真撮影は不可です。
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
式包丁は、山蔭神社が創建され五十余年前から始まった儀式。
吉田神社の創建者藤原山蔭は包丁の技に優れ、料理の始祖として敬われています
料理に携われる事に感謝し、料理、飲食、包丁の神である藤原山陰に奉納される。
笙や篳篥の音色が鳴り響いた後、平安時代から続く料理の流派、生間流式包丁は包丁の技に優れ、料理の始祖として敬われています。手を触れずに包丁だけで魚をさばく古式ゆかしいものです
生間流の料理人たちが、舞のようなゆったりした動作で、包丁刀とまなばしで、優雅さと勢いを表すというタイとコイを、順に切り分け最後に豪快に包丁刀を振り下ろした。
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空手や合気道を学ぶ子どもたちや留学生、全国でも著名な古武術の師範らが、多くの見物客の前で日頃の鍛錬の成果を披露した。
境内の伴緒社(とものおしゃ)に平安時代後期の武将で武術や弓の名人と伝わる源為義・為朝親子がまつられていることから、武術の上達を祈願して毎年五月五日に奉納している。今年は同神宮で空手と合気道の稽古を積む子どもたちや、全国二十一流派の達人約一〇〇人が参加した。
合気道では親子や子ども同士で型と自由演武を奉納し、きびきびと無駄のない動きを披露した。空手では小学生の女の子も厚さ約一センチの板を拳で割り、観光客らを驚かせていた。
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丘陵にある同浄水場には、色とりどりのツツジ約四六〇〇本が、植えられており、毎年この時期に一般公開している。
市上下水道局によると、蹴上浄水場は一九一二(明治四十五)年に給水を始めた当時から、斜面の土砂崩れを防ぐためにツツジが植えられた。代々植え継がれ、今ではツツジの名所として知られるようになった。
ツツジのトンネルでは、大きな株の中を通り抜けることができ、行列ができていた。移設工事中の歴史的建造物の公開などもあり、観光客らが楽しんだ。
今年は例年より開花が一週間ほど早いといい、場内の斜面では赤紫や白の鮮やかな花が満開に咲き誇っている。ツツジのトンネルでは、大きな株の中を通り抜けることができ、行列ができていた。
今年は昨年より一日延長して七日までの五日間開催する。午前九時~午後四時(入場は午後三時半まで)。無料。
競馬は平安時代からの勇壮な神事で、平安中期・堀河天皇の寛治七(一〇九三)年に宮中武徳殿の儀式を移して上賀茂神社に奉納されて以来、九百年以上今日まで続いている。
一〇九三年、内裏の女官達が菖蒲の根の長短を競う遊びで賀茂社の菖蒲の根が長く、勝利を射止めたため、その御礼として競馬を奉納したのが始まりとされる
早朝より頓宮遷御(とんぐうせんぎょ)、菖蒲根合わせの儀などが行われる。
本殿祭の後、午後から乗尻は左右に分かれ、左方は打毬(たぎゅう)、右方は狛鉾(こまぼこ)の舞樂装束を着け、馬に乗って社頭に参進します。
勧盃、日形乗、月形乗、修祓、奉幣の儀を行い、次いで馬場にて順次競馳(きょうち)します。(京都市登録無形民俗文化財に登録)
その様子は『徒然草』等にも書かれており、蓋し天下の壮観です
メーンの競馬会の儀では、二頭の馬が一馬身差でスタートし差が広がったか狭まったかで勝敗が決まる。
「馬出しの桜」から「勝負の紅葉」までの勝負を競い、判定役が赤扇を挙げると左方の勝ち、青扇を挙げると右方の勝ちです。
一の鳥居からニの鳥居にかけて芝生西側の馬場で赤色の「左方」と黒色の「右方」の組に分かれ、二馬ずつ六回勝負する。左方の勝ち数が多い年は豊作とされている。
宮中古式により弦や鏑矢で邪気を祓い、弓矢で葵祭りの沿道を清め無事を祈る神事。
まずは射手が弓を鳴らす「蟇目式(ひきめしき)」で四方の邪気を祓います。
二本の矢を楼門の屋根を越えて飛ばす「屋越し式」、大きな的を射る「大的式」、連続で矢を射る「百矢式」などが執り行われる。
以上四つで「鳴玄蟇目神事(めいげんひきめしんじ)」と呼ばれ、これもまた葵祭りの安全祈願とされています。
家内安全・土地守護・事業繁栄・良縁達成を祈願するお祭りで、約千年前の天禄元年、円融天皇行幸の際、勅命により行われた臨時祭がその起源。
雅楽、白川女、武者、稚児などの行列は時代絵巻さながらです。かつて地主桜を御所に献上した様子を、白川女が当時そのままに伝えます。
《神幸祭》
『地主神社』ののぼりを先頭に、神宮、巫女、白川女などの列が、地主神社本殿前を出発します。そして子供みこし、稚児、武者などと合流して、雅楽の調べも賑やかに清水坂、三年坂、茶碗坂などを練り歩きます。神社に戻り、そこで家内安全、無病息災、事業繁盛、世界平和などを祈願する祭典が行われます。
藤森神社は「菖蒲(しょうぶ)の節句」発祥の地と伝わり、転じて「勝負」の神として信仰を集める。江戸時代には各藩の馬術指南役や町衆が、曲芸的な馬術を競うようになったという。
駆馬神事は、七八一年、早良親王が陸奥の反乱へ出陣する際、藤森神社で必勝を祈願したことにちなむ。
新緑に覆われた鳥居から拝殿までの参道約百八十㍍の馬場で疾走する馬の上で、乗子が逆立ちして敵をあざける「杉立ち」、敵の矢を避けて前傾姿勢で駆ける「手綱潜り」、や敵矢が当たったと見せかけて身をのけぞらせる大技「藤下がり」、馬上で文字を書く妙技などアクロバティックな技が魅力を見せ、観客を驚嘆させた。事前の練習はなく、乗子はぶっつけ本番で技に挑む。
境内では、巫女(みこ)や武者姿の時代行列もにぎやかに練り歩いた。
藤森神社駈馬神事
◇ 駈馬の技(わざ)は下記の通り。◇
一、 手綱潜り 敵矢の降りしきる中、駈ける技
二、 逆乗り(地藏) 敵の動静を見ながら、駈ける技
三、 矢払い 敵矢を打払いながら、駈ける技
四、 横乗り 敵に姿を隠して、駈ける技
五、 逆立ち(杉立ち) 敵を嘲りながら、駈ける技
六、 藤下がり 敵矢の当たったと見せて、駈ける技
七、 一字書き 前線より後方へ情報を送りながら、駈ける技
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
煎茶の会は毎春実施され、今年で六十三回目。
新緑の美しい庭園を眺めながら、煎茶各流派の御茶席を楽しめる。
五月三日 玉川ぎょくせん遠州流えんしゅうりゅう,皇風煎茶禮式こうふうせんちゃれいしき
五月四日 泰山流たいざんりゅう,賣ばい茶さ本流ほんりゅう
五月五日、瑞芳菴流ずいほうあんりゅう,小川流おがわりゅう
煎茶六流派が五日まで三日間、普段は公開していない香雲亭と和楽庵で点前を披露する。茶席券 一枚 二〇〇〇円
一席につき約二十人の参加者に、家元と弟子が流派のいわれや軸、花を説明した。
観光客や市民が初夏のさわやかな風を感じながら煎茶の香りを楽しみ、若葉がまぶしい庭園を眺めながら、優雅なひとときを過ごした。
当日は国宝の二の丸御殿、狩野派の襖絵、二の丸庭園も公開中です。
拝観料 大人 五百円。 別途 一食 五百円が必要。
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【葵 祭 シリーズ
新緑の糺の森のトンネルを駆け抜ける馬上から射手が矢を放ち的を射抜く。
「カーン」という的が割れ飛ぶ音と共に、観衆の拍手と歓声で盛り上がる。この流鏑馬は、飛鳥時代の伝統を受け継ぐとされる。
平安装束や江戸時代の平騎射(ひらきしゃ)の装束を身につけた射手が、全力疾走の馬上から、「インヨウイ」(陰陽射)、「ヤーオ」(矢追う)の矢声(やごえ)を発し、一〇〇メートルごとに置かれた三つの的に矢を放った。木製の的に当たると「カーン」と甲高い音を響かせ、観客席から大きな拍手と歓声が上がった。
明治時代から途絶えていたのが一九七三年(昭和四十八)年の式年遷宮を記念して復興した。
葵祭の道中の安全を願う神事で、古式ゆかしい公家装束姿の弓馬術礼法小笠原流一門が全長約四百メートルの馬場を疾走し、途中百メートル間隔に三ヶ所設けられた五十センチ四方の杉板の的をめがけて馬上から次々と矢を放ち、射終わるまでわずか二十秒足らずの、一瞬の業に集中する迫力いっぱいの神事。本殿で社頭(しゃとう)の儀があり、葵祭の道中の無事と天下太平を祈った後、神職が射手に弓矢を手渡した。
下鴨神社が宮内庁から譲り受けた馬車が登場する。
稲荷祭は平安時代に始まったとされる。稲荷大神が年に一度、氏子が住む地域を巡り、一年の無事を願う同大社最大の祭事。
四月十九日の神幸祭で御旅所(南区)に運ばれた五基の神輿は、午後二時にトラックに乗り出発した。近くの東寺では僧侶が読経する「神供(じんく)」の儀式があった。時代装束姿の氏子ら約一三〇人が乗るトラック約三十台を伴い、五条通や竹田街道など氏子地域を巡り、午後四時すぎに本殿に到着した。
大勢の参拝者が見守る中、神輿に乗った神は「錦蓋(きんがい)」と呼ばれる祭具に覆われ、本殿にうつされた。
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
京都の初夏も川面の涼風はや夏情緒!一日から鴨川納涼床の「床開き」
★京都も風薫る素晴らしい季節となってきました。 京都の夏の風物詩として数えられ広く親しまれている「鴨川の床」が今年も早々と、みそそぎ川(鴨川の右畔に沿って流ている人工の浅瀬の川)の上に立ち並び、木屋町の二条→五条間の九十八店の料理屋・各種飲食店・喫茶店や三条→四条間の先斗町お茶屋さんの川床が五月一日より開床!!!。
みそそぎ川のせせらぎの音も優しく、四季折々の自然を映して、京都の町中を流れる鴨川。いにしえの都人は、加茂の河原に桟敷や几を配し、遠来の客を遇しました。
こうした風情を現代伝えたのが「鴨川の床」です。
ずっと以前は六月一日~八月三十一日まの期間を本床「鴨川の納涼床」と呼び賑っておりましたが、近年「皐月の床」五月一日~五月三十一日:「後涼み」九月一日~九月三十日となり、五ヶ月の長期間にわる京の風物詩となりました。 爽やかな五月に催している「皐月の床」この時節は新緑の東山を眺め、川面をわたる爽風に吹かれながらのお昼のひとときを、又夕食の京料理をと古都ならではの贅沢を堪能されては如何ですか…… (但し、雨の日は床は楽しめません)。
木屋町御池の料理旅館「幾松」では、島原の太夫や宮川町の芸舞妓が舞を披露。客は太夫や芸舞妓のもてなしを受けながら、旬の食材を使った料理や酒を楽しんだ。
長刀鉾祇園囃子保存会が今夏初めて「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)を奏で、舞妓が来客をもてなした。
※ 「鴨川納涼床」は特許庁により地域ブンド商標(登録商標)として認定され、全国的にもますます知名度が向上しているようです。
★立春から数えて八十八日目にあたる二日、宇治市宇治の茶園で、新茶シーズンの幕開けを告げる「宇治新茶・八十八夜茶摘みの集い」が開かれた。
集いは、茶摘みの目安とされる八十八夜に京都府茶業会議所などが毎年、主催している。今年は大型連休中の日曜日の開催となり、大勢の市民や観光客でにぎわった。
茶業センター隣の茶園では「宇治茶レディ」ら十四人が、かすりに手ぬぐいをかぶった昔ながらの「摘み娘(こ)」の姿で青々と育った十五センチほどの玉露の新芽を一つずつ手摘みした.