"おいない"の京都最新情報
年 9月 17日(月)
[京 の 季 節 の 花 だ よ り]
〔京都の萩の花の名所〕
寺 名 所在地 見 頃 備 考
上賀茂神社 北区・上賀茂 九月下旬 境内の「ならの小川」に沿って珍しいピンク色
光悦寺 北区・鷹峯 九月中旬 夏萩が一足先に咲く
常照寺 北区・鷹峯 九月中旬 吉野太夫が偲ばれる
龍安寺 右京区・龍安寺 十月下旬 他の社寺よりも遅くまで見られる
天龍寺 右京区・嵯峨 九月中旬 百花苑に紅白の萩が可憐に咲く
二尊院 右京区・嵯峨 九月上旬~中旬 竹垣が龍がうねるように萩の花道となる
詩仙堂 左京区・一乗寺 九月中旬 回遊式の庭の白砂に美しい花姿が見られる
法然院 左京区・鹿ヶ谷 九月上旬~中旬 白萩の花が可憐に咲く
真如堂 左京区・浄土寺 九月中旬 境内の萩は隠れた名所
迎称寺 左京区・浄土寺 九月下旬 土塀に沿って見事な萩の花の列
下鴨神社 左京区・下鴨 九月中旬 境内の「糺の森」は平安の面影がいっぱい
常林寺 左京区・出町柳 九月中旬 「萩の寺」として有名
南禅寺 左京区・南禅寺 九月中旬 法堂の前に咲き誇る
平安神宮 左京区・岡崎 九月上旬~中旬 夏萩が早めに咲く
梨木神社 上京区・寺町広小路 九月中旬 十七日~十九日「萩まつり」
青蓮院 東山区・粟田口 九月中旬 西行ゆかりの萩の花
霊山観音 東山区・高台寺 九月中旬 九月十八日 「萩まつり」
城南宮 伏見区・中島 九月中旬 秋の七草が十月上旬まで見られる
三室戸寺 宇治・三室戸 九月中旬~末頃 境内に赤紫白いシラハギの萩が約千株植えられている。
★京都御苑の東南(寺町御門)の北側に位置する「萩の宮」として知られ、京の三名水で現存する唯一の「染井の水」で親しまれている梨木神社では、九月十七日と二十二日・二十三日恒例の「萩まつり」が催される。
参道には数百株におよぶ萩が植えられ、今年は猛暑で開花が遅れ気味だが、ようやくここえきて可憐な紅紫色や白色の花が咲きはじめ、風に揺れる細かな蝶型の花が愛らしく、境内を散策しながら秋の足音が感じられる。期間中献花や献句された短冊、紅白の萩の花を青竹に入れ、鈴虫の虫かごを神前に供える神事が行われ、弓術の披露、弓馬術礼法の奉納などがあり、観萩茶会が開かれる。
舞楽・大蔵流狂言・上方舞などの奉納行事奉納が行われる。
また、萩まつりに合わせて毎年恒例の「俳句大会」も開かれており、一般の参拝者がつづった俳句の短冊が赤紫色の花が咲いたハギの木の枝に飾り付けられ、萩まつりに風情を添えている。
参道には数百株におよぶ萩が植えられ、今年は猛暑で開花が遅れ気味だが、ようやくここえきて可憐な紅紫色や白色の花が咲きはじめ、風に揺れる細かな蝶型の花が愛らしく、境内を散策しながら秋の足音が感じられる。期間中献花や献句された短冊、紅白の萩の花を青竹に入れ、鈴虫の虫かごを神前に供える神事が行われ、弓術の披露、弓馬術礼法の奉納などがあり、観萩茶会が開かれる。
舞楽・大蔵流狂言・上方舞などの奉納行事奉納が行われる。
また、萩まつりに合わせて毎年恒例の「俳句大会」も開かれており、一般の参拝者がつづった俳句の短冊が赤紫色の花が咲いたハギの木の枝に飾り付けられ、萩まつりに風情を添えている。
2018年 9月 18日(火)
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
★東山区・豊国神社では例大祭が行われる。前関白太政大臣正一位豊臣秀吉公が祭神。
旧八月十八日が命日に当たることから、新暦の十八日から二日間に渡り営まれます。
祭典は招待者のみ参加ですが、初日の舞楽や巫女の神楽舞の奉納等は国宝である唐門下賽銭箱前から見ることができます。
墓所豊國廟では「豊國さんのおもしろ市」フリーマーケットが開催され(毎月十八日)にぎわいます。また十九日は藪内流家元による献茶祭もある。
出世開運の神様として全国より崇敬を集めている。
慶長三(一五九三)年八月十八日、天下統一を果たした英傑豊臣秀吉公は伏見城においてその波乱に満ちた生涯を終えられた。御遺骸は遺命により東山阿弥陀ヶ峯の頂に葬られ、翌慶長四年、中腹に秀吉公を祀る豊国社が創建された。朝廷からは正一位の神階と「豊国大明神」の御神号を賜り、社領一万石、境内域三十万坪を誇る壮麗かつ壮大な神社であった。
旧八月十八日が命日に当たることから、新暦の十八日から二日間に渡り営まれます。
祭典は招待者のみ参加ですが、初日の舞楽や巫女の神楽舞の奉納等は国宝である唐門下賽銭箱前から見ることができます。
墓所豊國廟では「豊國さんのおもしろ市」フリーマーケットが開催され(毎月十八日)にぎわいます。また十九日は藪内流家元による献茶祭もある。
出世開運の神様として全国より崇敬を集めている。
慶長三(一五九三)年八月十八日、天下統一を果たした英傑豊臣秀吉公は伏見城においてその波乱に満ちた生涯を終えられた。御遺骸は遺命により東山阿弥陀ヶ峯の頂に葬られ、翌慶長四年、中腹に秀吉公を祀る豊国社が創建された。朝廷からは正一位の神階と「豊国大明神」の御神号を賜り、社領一万石、境内域三十万坪を誇る壮麗かつ壮大な神社であった。