"おいない"の京都最新情報

  2018年 7 月 7 日(土)
           【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事
 §「七夕」の七日、京都市内の神社では、ササ飾りが並ぶ境内で、さまざまな七夕行事があり、大勢の参拝客でにぎわった。
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 地主神社と言えば本殿前の「恋占いの石」が有名ですが、今日は七夕の日。紙の「七夕こけし」に、自分の名前と相手の名前をそれぞれ仲良く書いて笹竹に吊し、良縁達成・恋の成就祈願をします。
縁むすびの神さま、大国主命主祭神として祀っており、境内にある一対の「恋占いの石」。一方の石からもう一方の石へと、目を閉じたまま歩いて無事に辿り着く事ができれば恋が叶うと言われています。
 
      [京 の 季 節 の 花 だ よ り]
 
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 東山区東福寺塔頭・勝林寺で五日、一本の茎に二つの花を付ける「双頭蓮(れん)」が咲き始めた。同寺は「古くから良いことが起きる前触れとされる。幸福をもたらしてくれそう」と話す。
同寺は、二〇〇〇年ごろから、約二〇鉢のハスを栽培している。六月三十日に住職が一本の茎に二つのつぼみが付いているのを見つけた。同寺で双頭蓮が開花するのは初めて。
花は白色でかすかに甘い香りを漂わせる。野住職は「本尊は毘沙門天、吉祥天のご夫婦なので、ハスを見て夫婦円満の福徳をさずかってほしい」と話す。五日まで見頃が続きそうだ。
「花芽がつく際に異変が起きたとみられる。一般的には、肥料が多いとなりうる」と話す。
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 ★「七夕」の七月七日、平安時代に蹴鞠を大成した公家・飛鳥井家が守護神として「球技や技芸の神様」として知られる精大明神を祀る上京区白峯神宮で、恒例の「精大明神例祭」が催され、境内では蹴鞠保存会による蹴鞠奉納と「織り姫」「彦星」役の他、地元の五歳から十二歳までの女児二十人が、元禄時代の鮮やかな衣装に身を包んでおしろいに紅を差し、太鼓を打ち鳴らし、短冊で飾ったササの周囲を音頭に合わせて優美な七夕小町踊「織姫舞」を奉納する。
小町踊りは、元禄年間に西陣の少女が芸能の上達を祈り踊り歩いたことや、公家が七夕の日に詠んだ歌を御所に届ける文使の共が、道中で舞った踊りが始まりとされる。同神宮では元禄時代の衣装を復元し、一九六二年から毎年この日に披露される。蹴鞠の奉納も行われる。
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  §蹴鞠について§
日清戦争の際、広島の大本営で京都在住の公家が明治天皇に蹴鞠を披露した。その後、天皇から蹴鞠を保存せよとの御下賜があり、明治三十六(一九〇三)年に蹴鞠保存会が出来た(今年で創立百十五年目)。
雅な王朝風の遊戯であり、サッカーの元祖とも言われる。

蹴鞠の歴史は、約千四百年前に中国から仏教とともに日本に伝わった。
鎌倉時代には後鳥羽天皇のバックアップもあり、「蹴鞠道」として出来上がった。
公家は「歌鞠両道」といって、和歌と共に蹴鞠は必要条件だった。
蹴鞠は勝ち負けがないのが特徴で、使うのは右足だけで、ひざを曲げず、靴を地面に擦るようにして蹴る。鞠を受けたら三回目に上半身は動かさずに相手に渡すのが基本。
蹴鞠の際の掛け声「アリ」・「ヤウ」・「オウ」の意味は神様の名前を呼んで応援を請うている。アリは夏安林、ヤウは春陽花、オウは秋園。鞠の製法は裏返しにした二枚の鹿皮を、馬の背皮で縫い合わせている。
蹴鞠を行う庭は約十五㍍四方の大きさで、四隅に掛かり木があり、神様が宿っているとされ、鞠庭に入るのは、神仏に祈るような心境。装束にも特色があり、装束や烏帽子は位によって色や形が違う。袴は張りがある葛で作られる。鞠靴は革の靴と足袋をくっつけ形で、脱げにくい。
「逸 話」… 蹴鞠で脱げた中大兄王子の靴を藤原鎌足が拾ったことで二人が接近し、六四五年の大化の改新につながったと言われる。