"おいない"の京都最新情報

 2018年  4月 13日(金)
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

 浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺で十三日、「春の法要」が始まり、宗祖親鸞の妻・恵信尼七百五十回忌が営まれた。
僧侶や門信徒たち約二千人が御影堂内で「南無阿弥陀仏」の声を響かせた。普段は非公開の書院(国宝)などの特別公開も行われ、多くの参拝者が訪れた。
西本願寺恵信尼の法要は、一九七〇年に営まれた七百回忌以来。この日は大谷光真門主が座り、女性僧侶二人が初めて法要の始まりに唱える声明を先導する「散華頭」を務めた。この後、僧侶を含めた参拝者たちが、親鸞の書き残した「正信偈(しょうしんげ)」を一斉に唱和し、宗祖の伝道を支えた恵信尼の生涯を語る法話もあった。
安土桃山時代に発達した書院造の代表とされ、現存最古の能舞台を備えた書院や回転する八角形の棚が特徴的な経蔵(重要文化財)、時を知らせる太鼓を収納した太鼓楼・御成門(同)と旧仏飯所も特別公開する。
十六日まで。同日は書院は非公開にする。
   2018年 4月 14日(土)                                         
 
         【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
 ★球技の神様として知られ、蹴鞠や和歌の宗家飛鳥井家の別邸があったところで、守護神である精大明神を境内末社の地主神に祀っている上京区白峯神宮で四月十四日、春の例祭「淳仁天皇祭」が催され、神事と舞楽奉納の後、桜の花びらが舞い散る境内
烏帽子姿と着物姿の蹴鞠保存会のメンバーにより、威勢の良いかけ声を出しながら、右足で白いまりを蹴り蹴鞠を披露する。 同宮に祀られている淳仁天皇(七三三~七六五)の命日に毎年開催されている。
     
§蹴鞠について§
                   
日清戦争の際、広島の大本営で京都在住の公家が明治天皇に蹴鞠を披露した。その後、天皇から蹴鞠を保存せよとの御下賜があり、明治三十六(1903)年に蹴鞠保存会が出来た(今年で創立百十四年目)。雅な王朝風の遊戯であり、サッカーの元祖とも言われる。     
蹴鞠の歴史は、約千四百年ほど前に中国から仏教とともに日本に伝わった。鎌倉時代には後鳥羽天皇のバックアップもあり、「蹴鞠道」として出来上がった。     
公家は「歌鞠両道」といって、和歌と共に蹴鞠は必要条件だった。蹴鞠は勝ち負けがないのが特徴で、使うのは右足だけで、ひざを曲げず、靴を地面に擦るようにして蹴る。鞠を受けたら三回目に上半身は動かさずに相手に渡すのが基本。 蹴鞠の際の掛け声「アリ」・「ヤウ」・「オウ」の意味は神様の名前を呼んで応援を請うている。アリは夏安林、ヤウは春陽花、オウは秋園。鞠の製法は裏返しにした二枚の鹿皮を、馬の背皮で縫い合わせている。蹴鞠を行う庭は約十五㍍四方の大きさで、四隅に掛かり木があり、神様が宿っているとされ、鞠庭に入るのは、神仏に祈るような心境。装束にも特色があり、装束や烏帽子は位によって色や形が違う。袴は張りがある葛で作られる。鞠靴は革の靴と足袋をくっつけ形で、脱げにくい。
※「逸 話」 蹴鞠で脱げた中大兄王子の靴を藤原鎌足が拾ったことで二人が接近し、六四五年の大化の改新につながったと言われる。