"おいない"の京都最新情報

 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 

 東山区泉涌寺即成院で彼岸法要が行われる。
泉涌寺ゆかりの塔頭。寺名から「ぽっくり信仰」の寺、極楽往生祈願の寺として、また那須与一ゆかりの寺としても知られています。

源義経の家来であった那須与一は、義経の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れました。
伏見で療養していた際、与一は、熱心に即成院の阿弥陀さまを信仰したそうです。
そして、その霊験で病も癒え、「屋島の戦い」では、平家の船上に掲げた扇の的を見事一発の弓矢にて射抜くという素晴らしい武勲を立てたとされております。
与一はその後、即成院の阿弥陀さまの仏徳を感じ、京都に凱旋して戻り、すぐに出家し、残りの後半の人生を「源平の戦い」で、亡くなった方々の菩提を弔うという人生の選択肢をとり、京の地で平穏に暮らしましたが、最終的には即成院の阿弥陀さまの前で亡くなりました。
「長わずらいをしない」ことから信者も多く、法要は地方信者のため泊まり込みの法要として行われるものです。
御詠歌に始まり法要、法話が続きます。二十二日には中風除けの竹皮御仏飯が授与されます。
 
伏見区御香宮神社では、ろうそくの明かりの下で伝統芸能を鑑賞する「御香宮神能」が九月二十二日夜上演され、観客を幽玄の世界へといざなう。
御香宮神能は豊臣秀吉伏見城の守り神とした神社、鳥羽伏見の戦いでは、薩軍の屯所にもなった御香宮能舞台での能と仕舞、狂言で、室町時代から神事として続いており、毎年秋に境内の能舞台で、ろうそくの柔らかな光りが舞台を包み、虫の音が響く中、開かれている。
能楽が猿楽と呼ばれていた六百年以上前から催されている。
神能は、日没になると本殿と向かい合う形で設けられている御香宮能舞台で、舞台の回りのろうそくに灯が灯され、奉書紙を通して漏れる柔らかな光が舞台を照らし、ろうそくの明かりで演じる「蝋燭能」として親しまれている。
今年の演目 能  観世流 源氏供養 :  天鼓 弄鼓之舞
      狂言 大蔵流 清水
 
 
★歴史ある木屋町高瀬川の魅力を伝える「高瀬川舟まつり」が九月二十二日行われた。
木屋町二条下るの高瀬川には、江戸時代に使われた平底の舟(長さ十三.四メートル、幅二メートル)が新調復元されて、新しい高瀬舟の三代目の船体が新造され, まつりに合わせて岸から板を架けて乗り込めるようにされた。
舟まつりは、江戸時代に豪商角倉了以が開削し京都~伏見間の重要な物資輸送路となった高瀬川を、より多くの人に知ってもらおうと、高瀬舟の復元を機に、一九九一年から毎年行っています。今年で二十五回目
見物客は先斗町の舞妓が乗り込んだ高瀬舟に移ってお茶の接待や川面の風情を楽しんだり、舟を舞台に落語やささ舟に願い事を書いて流す催しが披露され、昔の水運の様子を描いて満喫。
なお、「高瀬舟」で知られる「一之船入」とは、高瀬川の水運の起点辺りを言います。