"おいない"の京都最新情報

2019年 1月 12日(土)


     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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★茶道武者小路千家の初釜が十二日、上京区官休庵で催された。
着物姿の招待客が次々と訪れ、新春の一碗を楽しんだ。午前十時に始まった初席には、各界の二十四人が席入り。茶室環翠園には正月飾りの「綰柳」(ワンリュウ)や干支にちなんだ香台が調えられ、列席者は千宗守家元が練った濃茶を服した。宗屋家元後嗣の結婚が六月に予定されていることから、正客を務めた伊吹文明衆議院議員が祝いの言葉を述べた。
床には四代一翁宗守の軸「茶道有無雪塵」が掛けられ、宗左家元と宗旦前家元がそろって「明けましておめでとうございます」とあいさつした。
えとにちなんだ新調の水指や六代覚々斎作の茶杓「猪ノ子」などで、宗左家元がふくよかな濃茶を練った。炉縁や食籠(じきろう)など宗旦前家元好みの道具も多く用いられ、継承を感じさせた。
正客の千宗室裏千家家元は「(宗左)家元の初のお茶をいただき、縁起良くありがたい。而妙斎(じみょうさい)宗匠(前家元)と猶有斎(ゆうゆうさい)宗匠(家元)とで、ちょっとずつお茶の味に幅があるように感じられます」と話しかけた。
十四日まで続き、約一五〇〇人を迎える。十七~二十日の東京初釜には、約千人が訪れる予定。
 
   2019年 1月 13日(日)  
                                 
      [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] 
 
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煎茶道二条流の「初煎会」が十三日、中京区のホテルで開かれた。
今年は二条雅荘家元の孫紀文さんも初めてお運びを担い、親子三代で各界の招待客や門人ら約二〇〇人をもてなした。二条家元が「初春をことほぎ、一煎つとめさせていただきます」と挨拶。家元雅荘嗣がまろやかな玉露を入れるかたわら、列席者は和やかに年始の言葉を交わした。家元席には、黄檗宗の近藤博道管長が記し力強い「無事」の軸が掛けられ、一年の平穏を祈った。また、香煎席なども設けられた。宗屋家元後嗣は「茶の道は清浄なまっすぐな一筋の道であり、御代の変わる今年、原点に返る意味を込めた」と語った。君が代の楽譜の蒔絵が施された棗も用い、新たな時代の到来を祝った。薄茶席には有隣斎前家元の結婚に際し表千家から贈られた花入も飾られ、一層喜ばしい雰囲気に包まれた。
十一日~十四日の四日間で約八六〇人を迎える。
 
★皇風煎茶禮宗家も北区の清風苑道場で初茶会を催し、門下生らが一年無病息災を祈る大福茶を味わった。
 
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★新成人らが弓道の上達を誓う新春恒例の「通し矢」が十三日、東山区 の三十三間堂であり、晴れやかに着飾った男女約一六〇〇人が気持ちを新たに矢を放った。
慶長年間に始まったと伝えられ、「三十三間堂の通し矢」とも呼ばれています。江戸時代、武士が一二〇メートルある三十三間堂の軒下で弓の技術を競ったのが始まりとされる。弓引き初めは、かつて三十三間堂の端から端まで六十六間の距離を一昼夜で何本通せるかを競ったもの。戦後、京都府弓道連盟などが「三十三間堂大的(おおまと)全国大会」として主催し、今年で六十六回目。
底冷えがする境内の射場で、あでやかな振り袖姿の女性たちが六〇メー トル先の的を狙った。静寂の中、かじかむ指先に神経を集中させながら弓を射ると、観光客たちがカメラのシャッターを切っていた。       
☆楊弓 小弓の一種で、もともと主に楊で作られていました。        
室町時代には公家や武家の遊びとして、江戸時代には庶民のスポーツとしても親しまれ、祇園社や六角堂などの寺社付近に射場が設けられ、参詣者を集めたといいます。
      
 
                                 
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★同じ日「柳のお加持」が行われる。                             
正式には「楊枝浄水供」と呼ばれ、後白河天皇の病が浄水で治癒したことに由来します
天台宗密教の修法で加持祈祷した浄水(清水に柳の枝を浸す)を当日妙法院門跡が浄水に柳の枝を浸してその水を参拝者の頭上に振りかける秘儀で功徳が分け与えられる。      特に頭痛に効くという。古くは平安時代に行われ、それによって柳にまつわる伝説が数多く生まれた。この日堂内は無料で開放されます。
  
 
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