"おいない"の京都最新情報

2018年 12月 14日(金)

    【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
 
 東山区三十三間堂境内、後白河上皇が造営した法住寺には忠臣蔵大石良雄が仇討ちの祈願をした身代わり不動が祀られており、四十七士の木像を安置する。
毎年十二月十四日の討ち入りの日に義士をしのんで「義士会法要」が営まれる。
境内では、討ち入りそばの接待、書院では宮川町の舞妓のお点前による茶会が行われ、本懐を遂げて散った義士たちの思いをはせる。
 
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 ★元禄十五年(一七〇二)十二月十五日、午前三時半ころ、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしました。
それから三〇〇年。『山科義士まつり』は、大石内蔵助がお家再興の運動や吉良上野介討ち入りを決意する間、この地に隠棲した史実にちなんで大石内蔵助を偲んで昭和四十九年から始められた祭りです。
赤穂義士が討ち入りを果たした十二月十四日、大石内蔵助が討ち入り前に山科の地に隠せいしたとされる、ゆかりの山科区一帯では四十四回目となる「山科義士まつり」は、区民が時代装束の義士の衣装に身を包み四十七士らの行列約二百人がまちを勇壮に練り歩き、「忠臣蔵」の世界へいざなった。
毘沙門堂で出発式をしてから瑞光院(同士が毎月十四日に参拝、密議を行った場所で、討ち入り後に切腹した赤穂義士四十七士の遺髪塔がある)・山科区役所・岩屋寺(良雄らの遺品の公開)と義士列を、最後の勝ちどきを上げる大石良雄を祭神として祀った大石神社(大石良雄彼の手紙や掛軸、四十七士の屏風などの名品を宝物殿で鑑賞できます)まで当時を思い出して雄々しく練り歩き、忠臣蔵の勇壮な雰囲気が年末の京都の風物詩として漂った。
 
 
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