"おいない"の京都最新情報

 

 2018年 11月 6日(火)

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
 ★今春、十五代を継承した茶道表千家の猶有斎(ゆうゆうさい)千宗左家元の襲名祝賀茶会が六日、北区の大徳寺などで始まった。全国の門人らが集い、新家元の節目の茶会を楽しんだ。
門人らで作る同門会が主催し、各地の支部や職家などが、同寺の塔頭表千家北山会館に懸釜(かけがま)席九席と呈茶席三席を設けた。八日まで催し、合わせて四千人が列席する予定となっている。
初日のこの日、千家元を正客に迎えた本坊の濃茶席では、内弟子が丁寧に練った一碗を味わった。
六日夜には、京都市内のホテルで、家元襲名と十四代の而妙斎(じみょうさい)千宗旦改名披露の晩さん会が開かれる。
  2018年 11月 7日(水)
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 ★酒造りの神として知られる松尾大社
「上卯祭」は、毎年十一月、“上の卯の日”に執り行われる醸造安全祈願のお祭りです。

本殿裏手の「亀井の水」を酒に加えると酒が腐らないとの言い伝えから、醸造関係者の厚い信仰を集めています。
神事の後、茂山社中による狂言「福の神」が奉納されます。
神前には伏見の銘酒はじめ、全国各地から奉納された酒や醤油がズラリと並び、醸造の安全・商売繁盛が祈られます。
お火焚きとは?
十一月に入ると、京都の各神社から煙が立ち昇ります。
お火焚きと呼ばれ、江戸時代から京都地方などで行われる神事で、 陰暦十一月に社前において火を焚き、祝詞や神楽でもって神意を慰めるものです。
秋の収穫感謝の新嘗祭(しんじょうさい・にいなめさい)の一種、または古くから庭燎(にわび)を焚いて神楽を舞ったものの名残であるとも言われており、神社だけでなく民間でも行われ、みかんや饅頭、おこしなどを供え、神社が参詣者に授与したり、民間の子供たちに与えたりします。
また鍛冶屋の鞴(ふいご)祭りなどが行われることもあったようで、火を用いる業種(鍛冶屋や染物屋、造酒屋など)でこの様なお火焚きの日が決まっていることが多くあります。
 
 左京区洛北・貴船神社では、祭神の水の神に命の水や火の恵みを願って徳をたたへ恩恵を感謝する「御火焚祭」が十一月七日に行われる。
まず本殿で、ロクロヒキリと呼ばれる古来からの火をおこす道具で神聖な火をおこし、境内斎場の約一万本の火焚き串を円柱に汲み上げた護摩壇が築かれ、神官の祝詞が奉上する神事の後、点火されます。別名は「貴船もみじ祭」。
六月は水の霊力で、十一月は火の霊力で人々の罪穢を取り除く、お清めの神事。
水の神様は火の神様から生まれたという貴船大神出現の故事を今に伝える重要な神事です。
 
    2018年 11月 8日(木)
     【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
 
 ★祗園をこよなく愛した有名な情熱の歌人吉井勇(1886~1960)が詠んだ「かにかくに祗園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」の歌碑の前(祗園新橋・白川がせせらぐ巽橋のたもと)で、毎年十一月八日に「かにかくに祭」が営まれる。
故人の遺徳を偲んで、ゆかりの人や舞妓さん、芸妓さんたちが歌碑に黄菊白菊が献花され、野点の釜がかけられ、抹茶や蕎麦の接待があり、深まり行く秋に祇園ならではのゆかしい行事です。
この歌が彫り込まれた石碑は東山三十六峰の形になぞらえたもので、吉井勇の古希を祝ったのが始まりで昭和三十年代に建てられた。
 
 伏見稲荷大社で十一月八日、秋の実りを感謝し、神を天に返す「神送り」の一環で、農耕の神を祀る「お稲荷さん」の伝統行事として親しまれている晩秋恒例の「火焚神事」が行われた。
本殿での祭典の後、神苑祭場に設けられた三基の火床に、起こされた忌火で収穫したばかりの稲わらが焚かれ、全国の崇敬者から集まった約十万本の火焚ぐしを火床(縦三㍍、高さ一.五㍍)に神職が次々と投げ入れると約五㍍まで炎が燃え上がり、万福招来や家内安全を祈った。