"おいない"の京都最新情報

 2018年 10月 21日(日)


     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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★曲水の宴で知られる伏見区・城南宮は、方除けの神として広く信仰を集めています。
城南宮神幸祭平安時代の末から盛大に行われていた歴史ある祭礼。

午前九時より本殿で祭典を執り行います。正午過ぎより、それぞれ重さ一.五トン近くある三基の豪華な神輿の渡御が始まり、氏子区域を練り歩きます。
夕刻、提灯と松明の明かりの中、神社に神輿が還御する様子は壮観です。
 
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 源平合戦壇ノ浦の戦いで知られる弓の名手・那須与一の墓がある東山区泉涌寺塔頭即成院では、毎年十月第三日曜日(今年は二十一日)に「二十五菩薩お練り供養大法会」が行われる。場所は源信ゆかりの寺院。
本堂を極楽浄土、境内の地蔵堂を現世とし、その間約六十㍍に高さ二㍍の橋を渡し、現世の衆生を二十五菩薩が極楽に迎えに来る姿を現す法要。
極楽浄土と現世にみたてゆっくり練り歩く姿は、独特の華やかな風景で、菩薩が現世に来迎して衆生を安楽浄土へ導くという平安末期からの来迎思想を仮装と音楽で分かりやすく表現したもの。
ホラ貝を吹き鳴らす修験者や僧が、まず稚児を先導。その後、金色の各菩薩の面をつけ、金襴の衣装をまとった二十五人の菩薩役の信者が橋を渡って、ご来迎を再現する。
最後に本堂内で観音、勢至、普賢の三菩薩が笙や篳篥の音色が響く中、優美な「極楽の舞」を舞いながらゆったり進み、ほかの菩薩も静かに続いた。
 
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 ★日本での競馬発祥の地と伝わる上賀茂神社で十月二十一日、平成十七年に復活した約八百年前から行われていた騎射の一種「笠懸(かさがけ)神事」が、伝統的な騎射を継承する「武田流馬術」(神奈川県)により奉納された。
笠懸は、日本書紀にも登場する日本古来の弓馬術で、地上に伏せて攻撃してくる敵の顔面を狙う実践的な騎射で、疾走する馬上から的を狙う。
約五㍍離れた四十㌢四方の的を射る遠笠懸と地面低くにたてられた二十㌢四方の小さな的を射る小笠懸がある。
境内の参道西側の芝生に約百八十㍍の直線路を設け、武者装束姿の騎手九人が順に南端からスタート。北端でUターンして駆け抜ける間に、馬場の左右両側に設けた大小五つの的に向けて射手は馬から身を乗り出す形で矢を放つ。
上賀茂神社では、建保二(一二一四)年、後鳥羽上皇行幸の際に行われたとの記録が「賀茂旧記」に残っているが、いつまで行われていたは不明。
 
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 ★朝廷が皇女を天皇のかわりに伊勢神宮に仕えた斎宮が、京から伊勢神宮に向かった様子を再現する故事にちなむ「斎宮行列」が十月二十一日、嵐山一帯で催され、十二単衣の斎宮や稚児ら約百五十人の行列が、秋風そよぐ嵯峨野の竹林をゆったりと厳かに練り歩く。
行列は斎宮代や騎乗の監送使、命婦役らが野々宮神社を出発し、途中で稚児が加わり、緩やかな足取りで渡月橋へと出発。
斎宮代は大堰川で手を洗い、身を清める「みそぎの儀」を行う壮麗な王朝絵巻行列。
南北朝時代までは、天皇の即位に合わせて、未婚の内親王から選ばれた皇女が斎宮として嵯峨野の地で営まれた野宮で潔斎の後、「群行」と称される大行列で伊勢神宮に向かった。野宮神社は、その昔に野宮が設けられた場所とされる
※ヒロインの斎宮代が乗る漆塗りの美しい牛車は上皇や皇后など高位の人が使った「唐車」。屋根が唐破風で、全長五.九㍍、幅二.七㍍、高さ三㍍。
 
 ★二条城最後の城主で、江戸幕府十五代将軍の徳川慶喜らがたしなんだ茶の湯を再現する取り組みが二十一日、二条城で初めて催される。通常公開していない重要文化財(重文)の「台所」と「御清所(おきよどころ)」で寸劇や解説を行い、将軍家の暮らしや慶喜の横顔をひもとく。
十二月九日までの観光行事「二条城まつり2018年」の一環として、市などが催す。舞台となる台所と御清所は、料理や配膳を行った江戸時代の重文建物。城内の国指定文化財で飲食イベントを行うのは初めてで、文化財を活用した観光振興をさらに進める。
午後一時、三時半からの二回で、定員各五〇人。入場料を含め、会費一〇〇〇〇円。事前申し込みが必要。