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2018年 4月 19日(木)
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建仁寺は建仁二年(一二〇二年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。
 創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。
その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(一二五八年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。
建仁寺で四頭式という珍しい伝統技法で茶会が開かれます。
もともと栄西禅師は中国から茶の種を持ち帰り、喫茶を広めたことで知られ、その生誕日に茶会で遺徳を偲ぶものです。
 
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右京区・清涼寺(嵯峨釈迦堂)で四月十九日、本尊・釈迦如来立像(国宝)のほこりを払う「御身拭式」が営まれた。
平安中期の僧・ちょう然が宋から請来した像で、インド・中国・日本と渡った「三国伝来の生身のお釈迦さま」と言われている。
約八百年前、後堀河上皇のきさきの母の生まれ変わりの牛が死んだ時、釈迦の体を拭ったとされる白い布で、きさきが経帷子を作り、牛に着せて火葬すると、往生したという言い伝えにちなみ、牛が死んだといわれる四月十九日に法要を営んでいる。式は双盤念仏の読経の最中に太鼓と鉦の音がなり、導師が厨子に上がって釈迦如来立像に一年間たまったほこりを丁寧に払った。
続いて毎年この日には身を清めた住職が西芳寺苔寺)の水に香を溶いた香水に浸した白い木綿の反物で、立像の頭から足までふき取った。拭ったあとの白布を往生浄土を望む参拝者に授与するようになったものです。
※ 式で使った反物は死出の旅路にもたせる経帷子(きょうかたびら)の起源であるともされています。事前に申し込んだ人が経帷子に仕立てるという。