"おいない"の京都最新情報
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市内の六ヶ所のお地蔵さんを巡り、授与されたお幡(おはた)を入り口に吊るして家内安全、無病息災をお願いする、八〇〇年も続いている伝統行事です。
また、お地蔵さんのある所は、それぞれ昔の街道の入り口にあたります。
一一五七(保元二)年、後白河天皇の勅命を受けた平清盛が街道の入り口に六地蔵を分置してから、庶民が六地蔵を巡拝するようになったといいます。
京の六地蔵尊像は人皇五十五代、文徳天皇に仕える参議左大辮、従三位小野篁(たかむら)の作と伝えられ、七十七代、後白河天皇は深くこの六地蔵をご信仰になり、宝祚長久、王城守護、厄病退散を祈願し、また都を従来する旅人たちの路上の安全を願い、また広く一般庶民に二世福楽の利益結縁の御心から、保元二年、平清盛に勅令し、清盛は西光法師に命じて都街道の入り口六ヶ所に六角堂を建てて、一体づつ御尊像を分置された。これにより京の宗教行事として広く庶民に親しまれ、その起源となるのが八百余年の伝統をもつ京の六地蔵めぐりの風習が起こったと伝えられている
また、お地蔵さんのある所は、それぞれ昔の街道の入り口にあたります。
一一五七(保元二)年、後白河天皇の勅命を受けた平清盛が街道の入り口に六地蔵を分置してから、庶民が六地蔵を巡拝するようになったといいます。
京の六地蔵尊像は人皇五十五代、文徳天皇に仕える参議左大辮、従三位小野篁(たかむら)の作と伝えられ、七十七代、後白河天皇は深くこの六地蔵をご信仰になり、宝祚長久、王城守護、厄病退散を祈願し、また都を従来する旅人たちの路上の安全を願い、また広く一般庶民に二世福楽の利益結縁の御心から、保元二年、平清盛に勅令し、清盛は西光法師に命じて都街道の入り口六ヶ所に六角堂を建てて、一体づつ御尊像を分置された。これにより京の宗教行事として広く庶民に親しまれ、その起源となるのが八百余年の伝統をもつ京の六地蔵めぐりの風習が起こったと伝えられている