"おいない"の京都最新情報

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宇治川:「鵜飼」川面にかがり火が揺らめく中、自在に綱をさばく鵜匠
★宇治の夏の風物詩・宇治川に夏の訪れを告げる「宇治川の鵜飼」シーズン開幕の川開きが七月一日夜、宇治市・宇治公園の塔の島周辺で行われ、シーズンが開幕した。
かがり火の炎が川面を染め上げ、周囲を幻想的に彩る中での鵜と鵜匠の繰り出す巧みな伝統の技が繰り広げられる。
鵜飼は、早瀬の魚を捕るための漁法で、宇治川では平安時代には行われていたとされる伝統行事。平安時代蜻蛉日記にも記録が残る伝統的な漁法。
平安後期に衰退したが、一九二六(大正十五)年に地元観光業者らが再興した。
平成十七年から全国で四人しかいない女性鵜匠の二人が加わり、風折烏帽子姿、黒装束に、紫色の稲穂を織り交ぜた腰みのに身を包んだ鵜匠らが約五㍍の手綱をさばき、十二羽の鵜を操ると、水しぶきを上げて勢いよく潜り、アユなど川魚を捕らえる鵜の妙技が楽しめる。
揺れるかがり火の下で澤木万理子さんと江崎洋子さんの女性鵜匠二人が舟の縁をたたいて魚をおびき寄せ、「ホゥー、ホゥー」と声を掛けて巧みな綱さばきで六羽の鵜を巧みに操った。鵜がのみ込んだ魚を鵜匠が吐かせると、観覧客から歓声が上がった。
七月一日川開きで、九月三〇日まで開催。
毎晩午後六時から受付、六時半ごろから七時ごろまでに宇治公園中の島喜撰橋畔から出船する。(悪天候、増水時の場合は中止)
大人 二〇〇〇円、小学生 一〇〇〇円。貸切船は十人乗り二万五千円から。

 
嵐山の鵜飼(タイトル)
★京都の夏の風物詩、嵐山の幽玄「京の鵜飼」が七月一日夜から渡月橋上流の大堰川で始まった。
今年で六十七回目。午後七時すぎ、夕闇が迫る水面にかがり火が映える中、川開きの神事に続いて、五羽づつ鵜を従えた鵜匠二人がそれぞれ黒装束に腰みの姿で船に乗り、川面へ滑り出した。
かがり火が川面を赤く照らすなか、「それ行けっ」という鵜匠の掛け声に合わせて鵜が水中に潜り、アユやハヤなどを捕って戻るたび、鵜匠の鮮やかな技、巧みな手綱さばきで鵜が舟の上で魚を吐き出すと、大勢の観客が歓声をあげ、盛んな拍手が送られた。
白い装束の船頭が御簾や灯籠をつるした見物船の屋形船を操った。
外国人鵜匠見習の女性が全国で初めてデビューした。
囃子方が船上で奏でる祇園囃子が嵐山鵜飼の幻想をかりたてた。
独特の低い音色でトン・トン・トーン、トン・トン・トーン 船べりを叩く音が谷間に木霊する嵐山の鵜飼、夏の夜の風情を演出し、京都の夏の風物詩となっている。
九月二十三日まで。 
鵜飼乗合い屋形船 一人 千八百円、小学生以下 一人 九百円、   
八月は午後七時と八時、九月は午後六時半と七時半に出船する。

    [祇園祭シリーズ]
 
祇園祭:くじ取り式

祇園祭山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が三十四基ある山鉾の巡行順を決めるくじ取り式が毎年七月二日、京都市役所市会議場で門川大作市長の立ち会いで行われた。
一五〇〇(明応九)年に始まったくじ取りは、江戸時代は六角堂、
 明治時代は京都府庁や市役所など、終戦直後は八坂神社で行われていましたが、巡行順をめぐり山鉾町の争いが絶えなかったため、一九五三年からは市議会議場が会場になっています。
巡行は、十七日の前祭(さきまつり)と二十四日の後祭(あとまつり)に分かれる。前祭巡行で先頭の長刀鉾に続く「山一番」は占出山(うらでやま)が引き当てた。
大船鉾は、慣例であらかじめ順番が決まっている「くじ取らず」で後祭の最後尾を進む。
山鉾町の代表者たちは羽織はかま姿で儀式に臨んだ。「くじ取らず」の八基を除き、前祭の十八基と後祭の六基の代表が予備くじ順に登壇し、くじを取った。
後祭では、くじ取らずの橋弁慶山、北観音山に続く「山一番」は、二十四日の後祭巡行は、鯉山(こいやま)が山一番を取った。
くじ取り式では、前祭の二十四基と後祭の十基それぞれがグループ内で進む順番を決める。巡行の先陣争いによる混乱を避けるため、一五〇〇(明応九)年に始まった。 
くじ取り式は、巡行の先陣争いが絶えなかったことから一五〇〇(明応九)年に始まったといわれる

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