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"おいない"の京都最新情報

   [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] 

 
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★鴨川をどり(五月一日~二十四日)で、木曽(源)義仲を支えた巴(ともえ)御前ら女性の活躍を描く演目「源平女人譚(にょにんものがたり)」に出演する先斗町の芸妓が大津市の義仲ゆかりの義仲寺を参拝し、舞台の成功を祈願した。
平安時代末期の武将義仲は、源頼朝との政争に敗れて大津で討ち死にして、義仲寺のある場所に墓が建てられた。巴御前が墓近くに草庵(そうあん)を結び、供養したのが寺の由緒とされる。
      
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 ★京の春を彩る例祭として、古くは松尾の国祭と称せられており、西の葵祭りとも呼ばれる勇壮な船渡御で知られる神輿が船に乗ってレンゲ咲く桂川の清流を渡ることで有名な「松尾の祭り」の神幸祭で六基のみこしが「ホイット、ホイット」の威勢のいい掛け声と春風に乗って順番に桂川を渡った。
平安時代前期の貞観年間から始まったとされ、一千年以上の歴史を持ち、氏子の安全を祈願する神幸祭(おいで)は松尾大社を出発し、桂離宮の辺りで川を渡り、祭典を行い、六基のみこしは各御旅所に納まる。
神事を終えた神輿六基が拝殿廻しの後露払いをする榊御面との面合わせを行い、榊御面、大榊行列等を前列として上桂一帯の氏子地域を巡行。
やがて桂大橋西岸上流で一基ずつ神輿船に載せられ、ゆっくりと川を下ります。
桜が散り、若葉が萌え出で、菜の花が岸を染める春の香気の中、桂大橋東岸での神輿の陸揚げがまた見事。(陸揚げは桂離宮東側から見学するのが一番)
還幸祭(おかえり)は五月十日に松尾大社に還幸する。 
昔は三月中卯日に出御、四月上酉日に祭礼となっていましたが、明治以後四月下卯日に出御、五月上酉日に還御となり、さらに昭和三十六年からは、四月二十日以後の第一日曜日に出御、それから二十一目の日曜日に還御となっています。
出御祭には松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の神輿(月読社は唐櫃)が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回まわった(拝殿廻し)後、順次社頭を出発し、松尾・桂の里を通って桂離宮の東北方から桂川を船で渡り、左岸堤防下で七社勢揃いし、古例の団子神饌を献じた後、四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は川勝寺と郡の末社に至り、そこに駐輦されます。
 
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 伏見稲荷大社では稲荷大神が年に一度氏子区域をご巡幸になり、広くご神徳を垂れたまう大社最重要の祭儀です。
宮司以下の祭員および奉仕者の全員が冠・烏帽子に杉の小枝を挿した後神幸祭が斎行され、五基のお神輿にご神璽が奉遷されます。
神輿の前後に供奉・奉賛列を整え本社を出発、氏子区域を巡幸してJR京都駅南西方、西九条にあるお旅所へ向かい、奉安殿に納められます。
五月三日の還幸までの間、お旅所は連日氏子の人々で賑わいます。
 
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