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 八幡市八幡の石清水八幡宮で十九日、正月に納められたお札などを焼いて厄けを願う「焼納(しょうのう)神事」が営まれた。
参拝者は冬の青空に向かって立ち上る炎を見つめながら、一年の無病息災を祈った。
十五日から始まった厄除大祭の最終日に行われる。
境内に設営された焼納場に、古い御神矢やお守りなどが高さ二メートルほどに積み上げられ、たいまつを持った神職が点火、炎が渦を巻くように燃え盛った。
巫女(みこ)が神楽を奉納し、神職祝詞を唱える中、炎であぶられた「厄除餅」が参拝者に振る舞われた。

伏見区・城南宮で大寒の一月二十日、恒例の釜の湯をササの葉で散らして無病息災を祈る「湯立神楽」が営まれる。
年頭の恒例行事で、一八二三年「文政六年」の銘がある直径約七〇㌢の大釜が置かれ、「天から下された」とされる水を湯立てて行われる。

江戸時代中期の元禄年間の大釜も残っており、神事は、少なくともそのころから行われていたと言われる
拝殿では祓神楽、灼取りの儀、御幣舞、笹舞を四人の巫女が笛や太鼓の音色に合わせ、扇や鈴を手にのびやかな神楽を披露、悪霊退散、無病息災,願望成就を祈る.
続いて本殿前で、別の巫女一人が釜を塩で清め、湯気を立てる釜に米や神酒を注いだあと、両手に持った笹の束を湯に浸し、左右に勢いよく振りまいた。
周囲の参拝者は頭を垂れて無病息災へ沸き立つ願いを込めて湯がかかるのを待ち受けた。湯立が終わると、神事で用いた笹を持ち帰る人の列ができた。

   ★京の骨正月
歳事を重んじる京都の一部地区でこの日を骨正月と呼んでいます

昔は、お商売をしている家では年末に食料を買いだめしておき、注連(しめ)のうちは商いを休みました。その休みの間、新巻き鮭や鰤の切り身などを食べているうちに二十日頃になるとすっかり骨ぐらいしか残らなくなるので、この日にそのあらでだしを取り、粕汁にしたり、大根を煮いたことから、こんな奇妙な名称が生まれたようです