"おいない"の京都最新情報

[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 平安時代から和歌の伝統を受け継ぐ歌道宗家・冷泉家歌会始が十四日、上京区冷泉家住宅であり、厳かな雰囲気の中、今年の兼題「初春」を詠んだ古式ゆかしく歌を披講して、新春をことほいだ。
歌会始、平安-鎌倉期の歌人藤原俊成・定家を遠祖とする同家の新年恒例行事。全国から約九十人の門人が集まった。障子越しに柔らかな光が差すなか、第二十五代当主の冷泉為人さんら狩衣(かりぎぬ)や袿袴(けいこ)姿の男女七人が儀式に臨み、事前に選ばれた門人の八首と、当主夫人貴実子さんが匂い立つ梅を読んだ「七十返り老木の梅も匂い出てて千代の影添ふ初春の庭」を独特の抑揚で詠み上げ、門人らも続いて唱和した。
きぬ擦れの音が聞こえるほどの静けさの中、即興で和歌を詠む当座式では、「冬月」の題に添い、華やいだ雰囲気の中、門人たちが思い思いの歌を和紙にしたため初詠みを楽しながら、和歌道の精進も誓っていた。
 
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右京区・平岡八幡宮で一月十五日、「左義長祭」が行われる。
「とんど」ともいい、注連縄、門松などで堆く燃やし、神前の鏡餅を焼いて食べながら一年の無病息災を祈ります。昔は正月遊戯に使う毬杖(ぎちょう)という長杖の槌を青竹と組んで焼いたので「三毬杖」とも呼びます。「吉書揚げ」といって、この火で書初めを燃やし、その燃えさしが高く舞い上がったら書の腕が上がるといいます。
 
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上賀茂神社下鴨神社小正月の一月十五日、「御粥神事」が営まれる。
野菜果物とともに小豆粥と大豆粥をお供えし、五穀豊穣、国家国民の安泰を祈願します。
由緒ある両神社での、ほのぼのとしたひと時です。
☆ あずのおかいさん
小豆粥を京都風に言うとこうなります。小正月と呼ぶこの日に小豆粥で祝い、邪気を払います。お粥の中に、それぞれ柔らかく煮いた小豆、餅を入れたもの。
 
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 ★新成人らが弓道の上達を誓う新春恒例の「通し矢」が十五日、東山区三十三間堂であり、晴れやかに着飾った男女約二〇〇〇人が気持ちを新たに矢を放った。
慶長年間に始まったと伝えられ、「三十三間堂の通し矢」とも呼ばれてい
ます。江戸時代、武士が一二〇メートルある三十三間堂の軒下で弓の技術を競ったのが始まりとされる。弓引き初めは、かつて三十三間堂の端 から端まで六十六間の距離を一昼夜で何本通せるかを競ったもの。戦後、
京都府弓道連盟などが「三十三間堂大的(おおまと)全国大会」として主催し、今年で六十七回目。
底冷えがする境内の射場で、あでやかな振り袖姿の女性たちが六〇メー トル先の的を狙った。静寂の中、かじかむ指先に神経を集中させながら弓を射ると、観光客たちがカメラのシャッターを切っていた。       
☆楊弓 小弓の一種で、もともと主に楊で作られていました。        
 室町時代には公家や武家の遊びとして、江戸時代には庶民のスポーツとしても親しまれ、祇園社や六角堂などの寺社付近に射場が設けられ、参詣者を集めたといいます。
                                       
 
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 ★同じ日「柳のお加持」が行われる。                             
正式には「楊枝浄水供」と呼ばれ、後白河天皇の病が浄水で治癒したことに由来します。
天台宗密教の修法で加持祈祷した浄水(清水に柳の枝を浸す)を当日妙法院門跡が浄水に柳の枝を浸してその水を参拝者の頭上に振りかける秘儀で功徳が分け与えられる。      特に頭痛に効くという。古くは平安時代に行われ、それによって柳にまつわる伝説が数多く生まれた。この日堂内は無料で開放されます。