"おいない"の京都最新情報

今年の漢字

平成28年 今年の漢字

★京都は日本漢字能力検定制度の発祥地でもあることにちなみ、毎年十二月にその年の世相をひと文字で表現する漢字を全国から一般公募しています。 十二月十二日を「いい字一字」と読み、毎年「いい字」を少なくとも「一字」は覚えてほしいという願いを込めています。 一年の出来事を清めるとともに、新年が明るい年になることを願い清水寺に奉納する儀式が行われた。 二十二回目の今年は十五万三千五百六十二票で、最多の「金」は六千六百五十五票を集めて今年の漢字に決定した。金が選ばれるのは三度目で、史上最多のメダルを獲得したリオデジャネイロ五輪での日本選手の活躍や、舛添要一東京都知事の政治資金流用など「政治とカネ」の問題を反映した。 午後二時、恒例により清水寺森清範貫主奥の院の舞台で太筆で縦一.五㍍、横一.三㍍の特大和紙に力強く揮ごうし、一気に墨書きした「金」を書き上げた。 二位は米大統領選や英国のEU離脱の国民投票、選挙権年齢引き下げ後初の国政選挙が行われたことから「選」、三位に熊本地震や東北地方の大雨被害など天変地異を受け「変」が入った。続いて「震」「驚」「米」「輪」「不」「倫」の順。    

[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

祇園甲部:「事始め」'07

★師走の風物詩として、迎春の準備に入る節目の行事「事始め」が十二月十三日に行われる。京都の古い商家や花街などでは、師匠や主家筋に鏡餅を持参して一年の挨拶をし、お正月の準備を始める日。 花街祇園では芸舞妓が京舞井上流家元・五世八千代さん宅を訪れて、一年の感謝をこめて旧年の礼と新年の挨拶を交わし合うしきたりです。 稽古場には赤いひな壇に白い鏡餅が並び、すっかり新春のととのえ、家元よりご祝儀の舞扇を受けて精進を誓う。 他の花街でも日頃お世話になっている各師匠にご挨拶をします。 花街では、年末にかけては「おこと(お事多)うさんどす」と声を掛け合うようになる。 事始めの「事」とは正月を迎えるための様々な仕事の意味。 京都では江戸時代以降、商家などで分家が本家の繁栄を祈って続けた風習で、現在でも花街や西陣、室町の旧家などで守り続けられています。

北野天満宮:「大福梅授与」’07

上京区北野天満宮では十二月十三日より、「大福梅の授与」が行われる。 境内の二千本の梅の木から収穫した実を塩漬けにし、神職が天日干しして作った。 平安中期の村上天皇の天暦五(九五一)年に疫病が流行し、かかってしまった天皇御脳が、カラカラに干し上げた梅の実を白湯にいれたお茶を飲んで平癒したことから、王服(おおふく)と称して、毎年元旦の朝に茶の中に入れて飲むと邪気を払い一年を健康で無病息災でいられるといわれています。 干した梅の実を六粒位ずつ、手のひら程の大きさに切りそろえた縁起物の裏白(ウラジロ科のシダ植物)とともに奉書に包んで授与される縁起物。 今年は三万袋用意される。

六波羅蜜寺:「かくれ念仏」05’

東山区六波羅蜜寺で十二月十三日、師走恒例の「かくれ念仏」が始まった。 踊りながら念仏を唱えて、今年一年の人々の罪業(ザイゴウ)が消えるように念じる仏事で、大晦日まで毎日、日暮れ時から奉納される。

※ 大晦日は非公開。 正式には「空也踊躍念仏」といい、平安中期に同寺を開いた空也上人が、天暦五年に京都で疫病が流行した際、その救済を願って退散させるために始まったと伝えられる 鎌倉時代に念仏信仰が禁止された時、外に漏れないよう工夫した独特の所作で僧侶が念仏を唱え、本堂の内部を屏風で囲って営んだことから「かくれ念仏」の名が付いた。 約千五百年前、空也上人が疫病や天災に苦しむ民衆の心の救済として始めた念仏は、鎌倉幕府に弾圧されてが、六波羅蜜寺ではひそかに続けてきた。 毎夕、午後四時から四人の僧侶が鉦を鳴らしながら「南無阿弥陀仏」と聞き取れないように「モーダナンマイトー」「ノーボーオミトー」と発音をぼかした念仏を唱えながら体を前後に揺らして導師の周りを歩く厳かな仏事。 一年の罪を消滅させ新年が良い年であるように祈る。 念仏弾圧の名残で、途中で僧が隠れる所作も披露され、見物客は見入っていた。


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