"おいない"の京都最新情報

   【今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事】

 ★商売繁盛の大黒さんとして親しまれる左京区下鴨神社で十月九日、商売繁盛・五穀豊穣に感謝するお祭り「繁盛大黒秋祭(えと祈願祭)」が行われます。
舞楽や日本舞踊、琴の演奏などが奉納され、出店も多く、参詣者でにぎわいます。 
 
      
 ★京の都の秋を彩る大祭、右京区西院・春日神社の「春日祭」が毎年十月第二土曜日・日曜日の両日にわたって盛大に挙行される。今年は十月八日(宵宮)、九日(本宮)と催される。
奈良・春日神社よりご分霊を迎え、今年で千百七十九年の歴史を有し、第五十三代 淳和天皇が、淳和院離宮(西院とも称する)の守護神として祀られた事に始まる。

以後、皇室を始め、広く畿内の尊崇を集め、また西院村の産土社として崇め祀られてきた。九日の本宮は笛隊に続いて、平成十八年より女性だけで担ぐ女みこしも登場。
剣鉾差し回し・神輿の巴回り・差し上げと威勢のいい神輿巡幸や総勢約千人で構成する衣裳行列などで約四時間半をかけて西大路通四条通をゆったりと練り歩く。
 
 
 右京区・京北の秋を彩る第二十一回「山国さきがけフェスタ」が十月九日、山国神社周辺で開かれた。
毎年十月二十二日の時代祭の武者行列の先頭を歩き、その特有の鼓笛のしらべで知られる呼び物の維新勤皇山国隊の行進は、京北町の山国が発祥の地です。
農兵隊で明治維新に貢献した山国隊が、幕末の官軍に加わって錦の御旗を護衛して奮闘し、凱旋したその功績をたたえようと、昔ながらの様子で行進を披露している。
戦いを終えて帰郷したときに演奏したという鼓笛のリズムに合わせて、黒の羽織袴姿の七十人余りが参加、赤と白の錦の御旗が風になびき、子供たちの「ピーヒャ~ラ ドンドンドン」の鼓笛の音に合わせた鼓笛隊に続いて、大人の鉄砲隊などがゆっくりと練り歩き、山国神社を出発し、周辺の五カ所の神社を巡り、御霊神社に夕方、着いた。同時に神輿の行列が巡行した。
 
 
★平安~鎌倉時代に流行した歌謡(今様)を、当時の歌合せの形でゆかりの後白河上皇に奉納する「今様歌合せの会」が十月九日、上皇ゆかりの東山区・法住寺で催された。
後白河法皇が愛好した「今様」を雅な平安風俗で再現し、平安装束の狩衣を着た歌人が独特の声で今様を詠み、白の水干、緋袴の白拍子姿の舞人が優雅に舞う。
「今様歌」は平安中期に起こり鎌倉時代にかけて流行した新しい歌謡。
短歌形式のものや七・五の十二音の句四句からなるものなどがある。
白拍子・傀儡女(くぐつめ)・遊女などにより歌われたもので、貴族の間にも流行しました。
「今様歌合せ」は、承安四(一一七四)年九月一日から十五日間、毎夜法住寺で行われた。
後白河法皇愛好の今様の歌を保存し、復興するための行事で、法皇陵に参拝した後、阿弥陀堂で法要が営まれます。その日に出された課題から今様歌一首を歌人が即興で作り、平安貴族の装束に身を包んで今様を再現する様は、実に雅やか。しばし時を忘れてのタイムスリップ.。
 
 左京区洛北八瀬・秋元神社で十月の体育の日の前日、(今年は九日)に八瀬に伝わる珍しい伝統芸能「赦免地踊」が八瀬童子会によって行われる。
青年が花小袖・紅手甲・たすきがけの「灯籠着(とろぎ)」と呼ばれる女装をして、暗闇の中に武者や鳥、魚などの赤紙で作った透かし彫りの切子型灯籠を頭にのせ、着物姿の八人の女装した少年たちが行列し、音頭取りの太鼓に合わせて静かに踊り、八瀬八幡宮摂社・秋元神社に奉納する。仮屋の舞台では、友禅小袖に花笠の少女達も踊りを奉納。

この八瀬の地は、皇室との関わりが深く、一三三六年後醍醐天皇が御幸した際、村人達が無事警護を務めたことを讃え、永代地租免除の特権を与えられ赦免と呼んだ。
一七〇七年、八瀬の租税免除特権をめぐる比叡山延暦寺との土地争いで、特権を失いかけたが八瀬を守った江戸幕府の老中秋元但馬守に対する報恩のため、但馬守の没後、その報恩に感謝し、一七〇〇年代初めに「赦免地踊」を奉納するようになった。
洛北の奇祭で、京都市の登録無形民俗文化財となっている。