"おいない"の京都最新情報

    【今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事】
 
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 ★今宮神社例大祭・前夜祭
北区・今宮神社では八日の例祭前夜祭には御神楽「人長の舞」が行われます。
九九四に流行した、疫病の退散のため朝廷が神輿を造り、船岡山に祀ったのが創祀。
素盞鳴命が鎮座した日にちなんで行われるものです。
神楽人の長が舞うので人長の舞といいます。
手には採物(とりもの)に鏡を挨した白い輪を下げています。
九日の例大祭には「東遊び」が行われます。
東遊びとは、もともと東国地方の風俗歌に合わせて舞う民間舞踊が、平安時代に雅楽の一曲として形式が整えられたものです。
 
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★中京区・壬生寺では毎年秋の「大念仏会」に上演される狂言の草分けといえる国の重要無形民俗文化財「壬生大念仏狂言」の特別公開が大念仏堂で十月八日~十日(三日間)一日、狂言六番ずつを連日午後一時から上演。
『ガンデンガン』の囃子に合わせて演じられる軽妙な無言劇・壬生狂言は約七百余年の鎌倉時代に始まり、壬生寺を興隆させた円覚上人が、民衆に仏の教えを身振りで伝えたのが始まりとされ、庶民の娯楽として広まった無言劇は伝統を伝え、かね、太鼓、笛に合わせ、すべての演者が仮面をつけ、無言で狂言を演じる。
重要無形民族文化財を受け三十曲を受け継いでいる仏教無言劇。
初番は、人気の演目「炮烙割(ほうらくわり)」。太鼓売りと炮烙売りが、出店順を巡って争う内容で、勧善懲悪、因果応報を説いている。高さ約三メートルの舞台から約千枚の炮烙が豪快に落とされると、観客席から歓声が上がり、拍手が送られた。
毎年、人気の演目「賽の河原」や「餓鬼角力」、「愛宕詣」や「土蜘蛛」のクライマックスでは、源頼光の家来に退治された土蜘蛛が倒れ際に白い糸を勢いよく放つ演出や最後にかわらけに見立てたせんべいを出演者が舞台から投げると観客が競うように手を伸ばし受け取った。
   壬生狂言上演予定番組      毎日 13:00~17:30     
      十月 ~八 日(土曜)
   炮 烙 割・ 愛 宕 詣・ 土 蜘 蛛・ 桶 取・ 餓鬼角力・棒  振
      十月 九 日(日曜)
   炮 烙 割・  紅 葉 狩・  花 折・ 夜討曽我・  羅 生 門・ 棒 振
    十月 十 日(月)        
  炮 烙 割・ 賽の河原・土 蜘 蛛・橋 弁 慶・大 原 女・ 棒   振
  
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東山区粟田神社の大祭が、八日~十日と十五日に行われる。
粟田神社大祭は悪疫退散を願い長保三年(一〇〇一年)に始まったという。

十月十日の夜、大祭の一環「夜渡り神事」があり、二〇〇八年に約百八十年ぶりに復活した。
神仏や歴史上の人物をかたどった大型の灯籠「大燈呂(だいとうろう)」や青森のねぶたに似た大型の灯籠「大燈呂」が闇夜に浮かび上がり、色鮮やかな灯籠が引かれ、にぎやかな雰囲気に包まれ界隈を練り歩いた。 知恩院黒門前での神職と僧侶が参列する神仏融合の祭礼「れいけん」の後、高さ三~四㍍ほどの牛頭天王や八岐大蛇、出世えびす、浄土宗宗祖の法然上人、粟田神社近くの合槌稲荷神社のキツネなどをかたどった七基が次々と出発。
笛やかねを鳴らしながら氏子地域を練り歩く行列とともに、内部に仕込んだ電球に照らし出された灯籠がゆっくりと進んだ。
十八基の剣鉾は、「祇園祭」山鉾の原型といわれています。
平安時代の末頃のものや、足利義満寄進の鉾等があり、十二本の木で組み立てられた竿灯と呼ばれる提灯も行列します。また剣鉾巡行、
剣鉾差しもあります。
八日には神幸祭があり、剣鉾の巡行と神輿渡御がある。十五日は例大祭で、本殿で舞楽が奉納される。
 
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京の花街の一つ、上七軒の秋の舞踊公演「寿会」が八日、上京区上七軒歌舞練場で始まった。
第六十七回の今年は五演目で芸舞妓三十人が出演する。
演目      清 元   薫 る 寿
     長 唄    越後獅子
     大和楽   江島生島
        秋風さそふ
                  長 唄  女 茶 壺
       千穐楽
黒紋付きの舞妓七人と白の着付けの芸妓八人が格調高く舞う清元「薫る寿」で幕を開けた。長唄越後獅子」は、旅芸人の変化に富んだ舞を取り入れ、舞踊劇「江島生島」では、江戸時代の大奥の悲恋を情感豊かに描いた。
秋の情緒をしっとりと表現した「秋風さそふ」に続く、終幕の「女茶壺(ちゃつぼ)」は狂言の登場人物を女性に変えて再構成した演目。田舎娘と女すりがユーモラスな踊り比べを展開して招待客を楽しませた。
八日~十二日の午後四時開演(九日のみ午後一時との二回公演)。八千円。
 
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