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"おいない"の京都最新情報

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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伊根町の夏の風物詩「伊根祭」の本祭が三十一日、同町の亀島と平田両区で営まれた。真夏の日差しで水面が輝く中、祭礼船や神楽船が祭りばやしを響かせながら伊根湾を横断し、住民たちが海の安全や大漁、豊作を願った。
京都の祇園とゆかりの深い八坂神社(同町亀島)の祭礼で、江戸期に始まったとされる。豊漁の年には豪華な船屋台が登場して「海の祇園祭」とも呼ばれるが、魚価の低迷などで船屋台巡行は実施しなかった。
赤や青など色鮮やかなのぼりを立てた祭礼船と神楽船が伊根湾東側を出発。三十分ほどかけて同神社のある対岸に渡り、船上では子どもたちが笛や太鼓の音色に合わせて、かねを鳴らしたり太刀振りを披露したりした。
町内では子どもみこしの巡行もあり、観光客が盛んにシャッターを切っていた。
 
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 ★ 夏 華やぐ祇園町で八朔 (はっさく)
祇園の芸舞妓が日頃世話になっているお茶屋へ挨拶に回る「八朔」の行事が八月一日午前中、祇園町一帯で行われた。
絽の黒紋付き姿で正装した舞妓や芸妓衆が花街を行き交い、襟足のおしろいの塗り残しを二筋から三筋に変えたり、髪型を「奴島田」に結い直すのも舞妓の正装の約束で、始業式や店出し等の特別な日にしか見る事ができない晴れ姿です。
 改まった面持ちの中にも辺りは華やいだ風情に包まれた。
 舞の師匠や日ごろお世話になっているお茶屋に、数人づつ連れ立った芸舞妓らが次々と女将を訪ね、「おめでとうさんどす」「これからも相変わりませず、おたのもうします」などとかしこまっていた。
八朔とは八月一日のことで、古くは平安時代からあった風習。そもそもは農作物の豊穰を願ってのものでした。
 旧暦の八月一日に五穀豊穣を願って贈り物を交わす習わし。
この習慣が武家や公家にも広まり、主従の信頼関係を深める贈答の習慣として定着。
今も「お中元」として受け継がれている。 祇園町では今も古くからの伝統を受け継ぎ、新暦の八月一日に挨拶回りが行われている。※ 花街・祇園の夏の風物詩として知られ昨今は多くの観光客やカメラ愛好家が訪れる。
   
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 ★はけの材料となった動物の霊を慰める「刷毛供養会」が八月一日、左京区南禅寺境内の刷毛塚碑の前で営まれ、 西日本の表具業者が使い終えたはけに感謝した。
掛け軸や屏風、ふすまなど京表具の製作に欠かせない刷毛には、タヌキやシカ、ヤギ、ブタ、ウマなどの動物の毛が用いられる。
供養会は南禅寺の僧侶の読経が続く中、焼香を行い業界の発展と、伝統工芸の繁栄を祈ると共に、日頃感謝の気持で使い終えた刷毛の一部を刷毛塚碑前で燃やして弔った。
他府県から寄せられた刷毛約三〇〇本も火にくべて燃やし、動物の霊を慰めた。
京都表具協同組合が毎年この日に行っており、今年で五十八回目を迎える。
 
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