"おいない"の京都最新情報
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
★京都薪能は平安神宮(京都市左京区)を会場に1950年にスタート。社殿を借景に、特設の能舞台で繰り広げられる幽玄の世界は人気を呼び、恒例行事として定着した。
大極殿をバックに特設の能舞台が組まれ、闇、かがり火の中で観世・金剛・大蔵の各流派の能・狂言・小舞・仕舞等が上演される初夏の宵の風物詩、夕闇が迫るころ、かがり火に優美な舞が映える幽玄の世界を彩る伝統芸能、恒例「京都薪能」は全国でも最も古い薪能の一つ、平安初期の八六九(貞観十一)年、奈良・興福寺の法会「修二会」で奉納された薪猿楽がルーツとされる。
京都薪能は一九五〇年に始まり、観世流・金剛流・狂言大蔵流など流派を超えて能楽師たちが一同に集い、古都・平安神宮の能舞台で開かれる。
愛好者や観光客、海の旅行者ら約一八〇〇人が幽玄の世界に親しんだ。
六十七回目の今回のテーマはは五輪開催年に復興と平和を祈るで幕開けした。
特設の能舞台と壮麗な社殿がかがり火や照明の光で浮かび上がった。咲き誇る菊花の中で、境内は幻想的な雰囲気に包まれた。
[会 期] 六月一日(水)、六月二日(木)※雨天の場合は翌日に順延。[会 場] 平安神宮(雨天の場合は京都会館第一ホール)
[開 演] 午後五時半
[入場料] 前売券…四〇〇〇円
当日券…五〇〇〇円(会場入り口でのみ発売)
大極殿をバックに特設の能舞台が組まれ、闇、かがり火の中で観世・金剛・大蔵の各流派の能・狂言・小舞・仕舞等が上演される初夏の宵の風物詩、夕闇が迫るころ、かがり火に優美な舞が映える幽玄の世界を彩る伝統芸能、恒例「京都薪能」は全国でも最も古い薪能の一つ、平安初期の八六九(貞観十一)年、奈良・興福寺の法会「修二会」で奉納された薪猿楽がルーツとされる。
京都薪能は一九五〇年に始まり、観世流・金剛流・狂言大蔵流など流派を超えて能楽師たちが一同に集い、古都・平安神宮の能舞台で開かれる。
愛好者や観光客、海の旅行者ら約一八〇〇人が幽玄の世界に親しんだ。
六十七回目の今回のテーマはは五輪開催年に復興と平和を祈るで幕開けした。
特設の能舞台と壮麗な社殿がかがり火や照明の光で浮かび上がった。咲き誇る菊花の中で、境内は幻想的な雰囲気に包まれた。
[会 期] 六月一日(水)、六月二日(木)※雨天の場合は翌日に順延。[会 場] 平安神宮(雨天の場合は京都会館第一ホール)
[開 演] 午後五時半
[入場料] 前売券…四〇〇〇円
当日券…五〇〇〇円(会場入り口でのみ発売)
[演 目]
[第一日目]
[第一日目]
■六月一日(水)
金剛流能 「翁」 金剛永謹
金剛流能 「翁」 金剛永謹
観世流能 「杜若・恋之舞」 吉浪壽晃
観世流能 「春日龍神・龍女之舞」 大江信行
[第二日目]
■六月二日(木)
観世流能 「翁」 井上裕久
観世流能 「養老・水波之伝」 味方 玄
大蔵流狂言「三本柱」 茂山良暢
金剛流能 「三輪」 豊嶋三千春
観世流能 「大瓶猩々」 河村博重
観世流能 「春日龍神・龍女之舞」 大江信行
[第二日目]
■六月二日(木)
観世流能 「翁」 井上裕久
観世流能 「養老・水波之伝」 味方 玄
大蔵流狂言「三本柱」 茂山良暢
金剛流能 「三輪」 豊嶋三千春
観世流能 「大瓶猩々」 河村博重
★戦国武将、「本能寺の変」で家臣の明智光秀に討たれた織田信長の命日に当たる六月二日、信長の本廟所がある上京区・寺町今出川上るの阿弥陀寺で追善供養「信長忌」が営まれた。
阿弥陀寺には信長、信忠親子ら一五八二(天正十)年六月二日の「本能寺の変」で討ち死にした百人以上の墓があるという。
追善供養は、浄土宗の僧侶有志による雅楽の調べが本堂に響き、読経、念仏やご詠歌の唱和もあり厳かに営まれた。
本堂には寺宝が展示され、信長の座像や位牌、信長が本能寺で自ら使ったといわれる手やり先や織田軍旗、明智光秀や豊臣秀吉らが連署した古文書など普段は一般公開されていない所蔵品が目を引いた。
※ 信長の時代、本能寺は油小路通蛸薬師下るの一帯にあったが、本能寺の変の後、豊臣秀吉の命で寺町御池下るの現在地に移転した。
阿弥陀寺には信長、信忠親子ら一五八二(天正十)年六月二日の「本能寺の変」で討ち死にした百人以上の墓があるという。
追善供養は、浄土宗の僧侶有志による雅楽の調べが本堂に響き、読経、念仏やご詠歌の唱和もあり厳かに営まれた。
本堂には寺宝が展示され、信長の座像や位牌、信長が本能寺で自ら使ったといわれる手やり先や織田軍旗、明智光秀や豊臣秀吉らが連署した古文書など普段は一般公開されていない所蔵品が目を引いた。
※ 信長の時代、本能寺は油小路通蛸薬師下るの一帯にあったが、本能寺の変の後、豊臣秀吉の命で寺町御池下るの現在地に移転した。