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2017年 6月 1日(木)
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
火雷神をまつる摂社・火之御子(ひのみこ)社の例祭。「北野の雷公」と親しまれ、平安時代から雨ごいや豊作祈願の対象。最近は電気工事関係者などが安全祈願に訪れる。
古式通り火打ち石で火を起こして祈祷された雷よけのお札やお守りが授与される。雷が雨を呼ぶことから豊作のご利益もあるとされ、農業を営む人からの信仰があつい。
若葉いよいよ鮮やかに、初夏を思わせる爽やかな季節となってきました。
四季折々の風情を水面に映す鴨川もまた、すっかり初夏の装いをまとい、「鴨川納涼床本床開き」の到来を告げているかのようです。
古くは十六世紀に始まったとされ、長い歴史とともに歩んだきた「鴨川納涼床」。
川面にわたる風とせせらぎの音に涼をとり、夏の楽しみとして現代まで連綿と受け継がれてきました。
「本床」の期簡(六月一日~八月三十一日)は夕方からの営業のみ
「後涼み」の期簡(九月一日~九月三十日)は昼と夜の営業
http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
"おいない"の京都最新情報
2017年 6月 1日(木)
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
★嵯峨・車折神社は、六月一日より一ヶ月間に亘って、茅の輪くぐりができる唯一の神社で、境内には人形が置いてあり、半年の罪や汚れを移した人形(ひとがた)を献納して、いち早く身も心も清らかになり、下半期を無事に過ごせるよう祈願する。
神武天皇の皇母の玉依姫が黄船に乗って貴船川をさかのぼり、この地に祠を建てたことに始まるという。
かっては四月と十一月の両月に行われていた貴船御更衣祭に起源する。
特に四月の祭は、その昔参拝者がいたどり摘み競争を行っていたことから、俗に「いたどり祭」とも呼ばれた
乙女舞・御神輿発興祭・奥宮例祭・お千度詣・出雲神楽奉納がある。
火雷神をまつる摂社・火之御子(ひのみこ)社の例祭。「北野の雷公」と親しまれ、平安時代から雨ごいや豊作祈願の対象。最近は電気工事関係者などが安全祈願に訪れる。
古式通り火打ち石で火を起こして祈祷された雷よけのお札やお守りが授与される。雷が雨を呼ぶことから豊作のご利益もあるとされ、農業を営む人からの信仰があつい。
若葉いよいよ鮮やかに、初夏を思わせる爽やかな季節となってきました。
四季折々の風情を水面に映す鴨川もまた、すっかり初夏の装いをまとい、「鴨川納涼床本床開き」の到来を告げているかのようです。
古くは十六世紀に始まったとされ、長い歴史とともに歩んだきた「鴨川納涼床」。
川面にわたる風とせせらぎの音に涼をとり、夏の楽しみとして現代まで連綿と受け継がれてきました。
「本床」の期簡(六月一日~八月三十一日)は夕方からの営業のみ
「後涼み」の期簡(九月一日~九月三十日)は昼と夜の営業
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"おいない"の京都最新情報
2019年 5月 26日 (日)
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
桂の雅号「松菊」にちなむ同祭は、一八八七(明治一〇)年に京都で亡くなった桂の命日に合わせ、同神社と「木戸孝允先生顕彰会」が毎年行っている。
参列者たちが桂の墓前に献花した後、宮司が桂の功績を振り返る祝詞を読み上げた。最後に一人ずつ玉串をささげて手を合わせた。
嵯峨祭は大覚寺縁が深く、現在は地域住民がつくる嵯峨祭奉賛会が催している。午前一〇時、剣鉾五基が清凉寺南側の御旅所を出発。担ぎ手が
独特の足さばきで鉾についた鈴を鳴らすと、観客から大きな拍手歓声が沸いた。鉾に続き「ほいっと、ほいっと」の掛け声に合わせ、両神社の神輿が巡行。大覚寺で祈祷を受け、渡月橋を渡り、約一〇キロを歩いた。
このほか、子供御輿や稚児行列も祭を盛り上げ、多くの観客らを魅了した。
2019年 5 月 28(火)
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
十輪寺は業平が政略で離された恋人の二条后を思いながら晩年この地に住み、元経(八八〇)年五月二十八日、五十六歳で亡くなるまで、ここで塩を焼いて風情を楽しんだと伝わる。
業平忌は、一族の女性との仲を裂いた藤原氏が、たたりを恐れ供養したのが始まり。塩竃の跡や墓もある。
本堂前に特設した祈願道場で、三弦を奏でる独特の声明法要で、住職らが三弦を奏でながら独特の節回しで般若心経や天台声明を唱えた。
業平が好んだと云われるカキツバタや歌詠みである業平を慕って多くの俳人・歌人が集い、日本舞踊・京舞の奉納や、書や献花の奉納もあり、平安の歌人に思いをはせていた。
2019年 5月 30日(木)
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
経文に旋律を付けて唱える独特の声明が境内に厳かに響き渡った。
御懴法講は一一五七年に後白河天皇が宮中の仁寿殿で営んだのが始まりとされ、門跡寺院などに伝わってきた。廃仏稀釈や戦争などの影響で何度か途絶えたが、一九七九年に復興し、今回で四十回位目を迎えた。 宸殿で法要が始まり、導師を務める三千院の門主をはじめとした僧侶たちが道内に入り、雅楽とともに高らかに声明を唱えた。花びらをかたどった紙を僧侶がまく「散華」など、儀式は約二時間営まれ、再現された宮中法会を参列者が見守っていた。
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"おいない"の京都最新情報
2019年 5月 25日 (土)
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
★宇治の平等院で二十五日、同院にゆかりの深い源頼政の八四〇回忌を記念した特別展「源の頼政―歴史と伝説の交叉(こうさ)」が始まった。公家と武家姿の頼政像のほか、初公開の絵図「頼政一代記」などが展示されている。
頼政は源氏再興のため挙兵したが一一八〇年の宇治橋での合戦で破れ、五月二十六日平等院境内で自刃した。御所での鵺(ぬえ)退治の伝説や、亡くなった後の魂が「源氏蛍」となり、「平家蛍」と入り乱れて宇治川を乱舞したという伝承も残る。
特別展では鵺を退治したと伝わる弓や実戦で使用していたとされるかぶとなど十六点を展示している。
二十五日は住職による特別展の開眼法要が営まれた。
展示は九月二十七日まで。期間中、展示品を一部入れ替える。拝観料が必要。
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"おいない"の京都最新情報
2019年 5月 20日 (月)
[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
本願寺と能は室町時代の本願寺八世蓮如のころから関係があるといい、十九世紀後半からは祝賀能が恒例となった。
世襲制の門主の代替わりを祝う「伝灯奉告法要」が営まれていることから、父子をテーマにした演目となった。冒頭、現在では西本願寺でしか見られないという「お能始めませい」との「触れ」から始まった。観世流シテ方の片山九郎右衛門さんらが出演。優雅な天女の舞と山神の激しい舞いがある世阿弥作「養老」や、文殊菩薩の使いである獅子が変化に富んだ華麗な舞いを披露する「石橋(しゃっきょう)」などが披露された。観客たちは、日本最大級の屋外能舞台で演じられる能に見入っていた。
また、親鸞の木像を安置する御影(ごえい)堂で法要が営まれ、境内南側にある唐門が三十五年ぶりに開かれた。
献茶式後、境内の供御所(くごしょ)に設けられた本格手前の茶席では、歴代家元の遺愛の品などで列席者をもてなした。直会(なおらい)殿にも文人手前席が設けられ、汗ばむ陽気の中、訪れた約三〇〇人は、趣向の違いとともに、喉を潤す煎茶の清味を味わってい
た。
2019年 5月 21(火)
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
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2019年 5月 19日 (日)
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
八九八年に宇多上皇が大堰川で船遊びをした故事にちなみ、一九二八年祭りの復活を望む地域住民らの声を受け、地元の商店や観光関係者が今年二月に「三船祭保存会」を発足した。より多くの人に祭りを楽しんでもらおうと清少納言役の女性を地元から公募し、華やかさを増して再出発を果たした。
時代装束姿の参加者は、府立嵐山公園中ノ島地区から十二単(ひとえ)に身を包んだ清少納言役の舞台女優、千葉吉美さんを先頭に行列をつくり川岸に到着。神事の後、午後二時に千葉さんや神職らが乗る御座船を先頭に、計七隻の船が川に進んだ。
供奉船からは舞楽や今様歌が奉納され、清少納言役の千葉さんはきらびやかな扇を流す「扇流し」を披露した。両岸は大勢の観光客で埋め尽くされ、みやびな光景を見入っていた。
嵯峨祭は室町時代から続き、神仏習合の名残をとどめている大覚寺の祭りとして始まったとされ、古くは約六百余年前の貴族の日記に登場し、元禄四年には、松尾芭蕉が落柿舎に滞在中この嵯峨祭を楽しんだという記録が嵯峨日記にあります。
愛宕神社みこしが一八一〇(文化十)年、野宮神社みこしが一七三七(元文二)年の製作で、前回の修復が一八四四(天保十五)で両みこし共、痛みが激しく老朽化したので修復された。
還幸祭は二十四日、嵯峨・嵐山一帯で繰り広げられる。
午前中に御旅所出発後、嵯峨の町内を一巡。午後に嵐山出発。稚児行列、子供神輿剣鉾巡行。随行、愛宕神輿、野宮神輿、神酒車などが巡行。
大行列や長さ約五㍍、重さ四十㌔近い、剣鉾を持った男衆が鉾上部の鈴を鳴らしながら勇壮な剣鉾差しが披露され、その後を二基の神輿が北嵯峨から渡月橋至る初夏の嵯峨野路を練り歩き、こちらも盛大です。