"おいない"の京都最新情報

2019年 1月 6日(日)
     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

 
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 ★伏見五福めぐり
初詣を兼ねて、散策の「伏見ご利益巡り」
酒蔵が並び、名水が流れ、城下町の香りが残る伏見を回る良い機会となるでしょう。
■場 所: 長建寺・藤森神社・大黒寺・乃木神社御香宮神社
■期 間: 1/1~/15(※毎年同じ日程です)
■料 金: 受印料300円(一ヵ所)
 (色紙授与の場合 1000円)
 
★京の底冷え
三つの山に囲まれた京都盆地では、風の無い快晴の夜に地面の表面から熱が放射されるという
放射冷却」という現象が起こり、これに伴った冷気が溜まってかなり冷え込みます。

 冷気湖、又は寒気湖と呼ばれる現象で、「京の底冷え」と言われる由縁です。
 今では都市化が進み、もう鴨川に氷が張ることは少なくなりました.
 
   2019年 1月 7日(月)
            [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 ★茶道裏千家の初釜式が七日、上京区今日庵で始まった。穏やかな日差しの中、招待された政財界人や文化人らが次々と訪れ、和やかに年始のあいさつを交わした。
初席は午前9時、平成茶室聴風(ちょうふう)の間に千宗左表千家家元や千宗守武者小路千家家元、西脇隆俊京都府知事、門川大作京都市長ら四十六人を迎えた。
千宗室家元が、好みの雪花三友皆具(かいぐ)や伝来の万代屋形(もずやがた)釜などの道具を調え、ゆったりと濃茶を練って列席者をもてなした。亥(い)年生まれで八回り目の年男となる玄室前家元が削った茶杓「一すじ」も用いられた。
千家元は、「『猪突(ちょとつ)猛進』の言葉のように、イノシシは突っ走るイメージがあるがその生態は地面を掘り、食物を得る。私たちも脚下照顧で歩みを進めていきたい」と語った。
十二日までに約二千人を招く。十六日からは東京で初釜式を催し、十九日までに約二三〇〇が出席する予定。
 
 ★小川流煎茶の初煮会は三清庵小川後楽堂で開かれた。床には、山階宮晃親王の「精神茗一杯」の軸が掛けられ、鮮やかな朱色が映える彩色高小川後楽欄付炉台などの道具がめでたさを醸した。
小川後楽家元が煎茶手前で滋味あふれる一煎入れ、約一五〇人にふるまった。
 
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 京の花街祇園甲部祇園東、先斗町、宮川町で七日、年頭恒例の始業式が営まれた。芸舞妓たちは「おめでとうさんどす」と新春をことほぎ、正装の黒紋付き姿で伎芸向上を誓い合った。
祇園甲部の式典は、祇園甲部歌舞練場が耐震化に向けて休館中のため、昨年に続き、隣接のギオンコーナーで催された。芸舞妓やお茶屋関係者など約一一〇人が出席した
式典後、京舞井上流家元の井上八千代さんが地唄「倭文(やまとぶみ)」を舞い、ロビーでは芸舞妓が晴れやかな表情で新酒を受けた。
上七軒は九日に始業式を催す予定。

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"おいない"の京都最新情報

   2019年 1月 2日(火)

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
 ★書道の上達を願い一年の目標や願いを書き初めする「天満書(てんまがき)」が二日、上京区北野天満宮で始まった。
朝から初詣でにぎわう境内で、親子連れらが筆を振るい、奉納した。
学問や書家として知られる祭神菅原道真にちなみ、毎年開かれている。絵馬所では子どもからお年寄りまでが、引き締まった表情で「戌(いぬ)年」「元旦」など新年にちなんだ言葉や文をしたためた。「初志貫徹」や「合格」、「夢」など目標に向けた決意を表現したり「えがお」や「平和」などで明るい一年を願う子どももいた。
 
 右京区広隆寺で一月二日に「釿始め」(ちょうなはじめ)が行われる。
建築関係者の一年の無事を願う古式ゆかしい仕事始めの儀式です。

「わ、き、ず、え、よぃ~と~」。響き渡る木遣り音頭は労働の喜びと施主の誇りを託したもの。音頭の流れる中、狩衣をつけた職人さんが宮大工さながらに古式にのっとり、木材の運搬・計測・荒削りといった所作を演じていきます。
番匠が行う斧始めは、奈良時代に起源を持つもの。一般の番匠の家でも昭和初期まで行われていましたが、まもなく消滅。番匠保存会が昭和五十六年に年頭儀式として釿始めを復興しました。儀式用の宮大工の道具が興味深い。
 
 
  2018年 1月 3日(水)

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
 東山区の八坂神社で三日、新春恒例の「かるた始め式」が行われた。
平安装束を身にまとった「かるた姫」たちが、境内の能舞台で初手合わせを奉納し、参拝者らが優雅な札さばきに見入った。

八坂神社が日本最古の和歌を詠んだと伝わる素戔嗚尊スサノオノミコト)を祭っていることにちなんだ行事で、今年で四十八回目。近畿の各かるた会に所属する六歳から二十七歳までの男女計十四人が舞台に上がった。
かるた姫たちは、緋袴(ひばかま)に袿(うちき)姿で二人一組となり、ゆっくりとした所作で札を取る古式の手合わせを披露。色とりどりの豪華な衣装と、読み手が歌う百人一首の響きに、初詣客らは迎春のおもむきを堪能した。
 
   2019年 1月4日(金)

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
 ★新春恒例の蹴鞠初(けまりはじ)めが四日、左京区下鴨神社で行われた。平安装束を身に着けた「鞠足(まりあし)」と呼ばれる人たちが優雅に鞠を蹴り上げ、四方を囲んだ見物客が歓声を上げた。蹴鞠は飛鳥時代に日本に伝わり、貴族の間で流行した。現在は一九〇三(三十六)年に発足した「蹴鞠(しゅうきく)保存会」が伝承。同神社の蹴鞠初めは昭和三十年代から同保存会が奉納している。
鞠をおはらいした後、境内に設けられた正方形の鞠庭で行われた。烏帽子(えぼし)に水干、はかま姿の鞠足が「アリ」「ヤア」「オウ」と掛け声を発し、鹿と馬の皮で作られた直径約二〇センチ、重さ約一五〇グラムの鞠を右足で蹴り上げた。
周囲には人垣ができ、鞠を続けて蹴り上げると歓声が湧き、落とすとため息が漏れた。
 
   2019年 1月 5日(土)

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
 左京区赤山禅院で五日、天台宗総本山・延暦寺大津市)の荒行「千日回峰行」を満行した僧侶による「八千枚大護摩供(ごまく)」があり、参拝者が新年の安寧を祈願した。
願い事が書かれた多数の護摩木をたく行事で、毎年営まれている。境内にある雲母不動堂で午前九時から始まり、叡南俊照、上原行照、叡南浩元の三人のの大阿闍梨あじゃり)が不動明王像の前で護摩木を次々と炎にくべていった。
参拝者たちは煙の立ちこめる堂の中で不動真言を唱え、燃え上がる炎を見つめながらそれぞれの願いを祈った。
 
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 2019年 1月 1日(火)


     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 京都府内の社寺は元日から二日にかけ、大勢の初詣客でにぎわった。平成最後の新年は両日とも好天に恵まれ、人々は心穏やかに手を合わせ、幸せな年となるよう願った。
伏見稲荷大社では、元日から人波がとぎれることなく続いた。二日も朝から参拝者が本殿前に列をなし、観光客に人気の千本鳥居も人であふれた。屋台で買った食べ物をほおばる家族連れや、キツネの面をかぶり写真を撮る外国人らが笑顔で行き交い、境内は活気に満ちた。
同神社は、二月二日の初午(はつうま)祭までにぎわいが続くとしている。
 
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 ★正月の京都は各社寺への初詣から始まりますが、何と言っても伏見のお稲荷さん詣りです。全国に約四万あると言われる稲荷大社のの総本社で、京都における最も古い神社の一つであり、古くから五穀豊穣、商売繁盛の神として朝野の崇敬を集め、参拝者は絶えることがなく、一年中全国から多くの参拝でに賑わいます。
特に正月三ヶ日の伏見稲荷大社では初詣客が参道から本殿まで長い列を作り、昨年は大晦日から三日までの人出は伏見稲荷大社:約三百万人、全国で四位の人・人・人でひしめき合った。
伏見稲荷大社について一言】
創建時代は不詳で定かではないが和銅四年に秦伊呂具が稲荷山の三ヵ峰に三社を創祀したという。
秦伊呂具が餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛んで行き、そこに稲が生えたので、イナリの社名になったと伝わる。
平安遷都後、稲荷信仰の中心的存在となった。また、天長四年(八二七)空海が東寺の塔材用として、神材を伐ったことから真言宗と結びつき、益々繁盛した。

 

 

 ★好天に恵まれた元日、京都府内の神社や寺院は、朝から大勢の初詣客でにぎわった。足腰の守護神として知られ、境内の「狛猪(こまいのしし)」にちなみ「いのしし神社」とも呼ばれ親しまれている上京区烏丸通下長者町下ルの護王神社では、亥年にあやかって多くの参拝者が訪れ、混雑した。
幅四メートル、高さ三メートルの大絵馬が飾られた境内は、午前十時を過ぎたころから混雑し始めた。お参りの行列が神社前の烏丸通にまで伸び、午後には三〇〇メートルほどの長さになった。同神社の本郷貴弘禰宜によると、十二年前の亥年の時は平年の十倍ほどの参拝者だったが、今年はそのときを上回る混雑といい、驚いた様子だった。
 
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 山科区日の岡・日向大神宮で暦が一月一日に変わって寅の刻(午前三時)闇の中を隠火の明かりを頼りに「朝日泉(アサヒイズミ)」の扉が開かれる。  
柄杓(ひしゃく)を下して若水を竹筒にくみ、内・外宮の神前に供えて一年最初の歳旦祭が営まれる。「京のお伊勢さん」と親しまれる日向大神宮は、東海道を往来した旅人たちが道中の安全を祈るなど、信仰を集めてきた。清和天皇(平安前期)の時代、貞観年間に疫病が流行した際、勅願が行われました
。「この宮地に湧きいづる清水の水を汲んで万民に与えよ」との神のお告げがあり、その通りを菅原の船津卿に命じて行わしめられたところ、たちまち疫病がおさまりましたのでこの泉を朝日泉と名づけ給うたと伝えられています。
この霊泉は、京の名泉の一つで、古儀にならい毎年元旦に若水を汲み神饌を調理し、両本宮に献供して世界平和、国家安泰、家運繁栄、無病息災の祈願祭が巌修されます。
元旦の朝に汲む水を「若水」といわれ、縁起が良く正月三が日に参詣者に授与されます。
大きな水がめにたっぷり入っているので、水筒などを持参して、お雑煮に、大福茶に使ってみましょう。一年始まりの朝の、清々しい神事です。
 
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 ★京都では、お正月の朝に汲む水を「若水」といわれ縁起がよく、東山区六波羅密寺では正月三が日元旦に汲んだ水を沸かし、結び昆布と小粒梅を若水でいれた煎茶「皇服茶」(大福茶)を飲む習わしがあり毎年、振舞われる。
平安時代開山である、空也上人が病人に薬茶をふるまって平癒させたという寺伝に基づいて始まった。村上天皇も服したことから「皇服茶」の名称が付いた。
京都では「大福茶」と言って、各家庭でも行われている。
先着三千名に稲穂が無料授与されます。
 
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 ★元旦より、新年の縁結び開運招福を願い、東山区地主神社では、えんむすび初大国祭が行わる。
古代縄文より伝わる石笛を奏し、新年のご利益のある神さまを呼び申し上げます

厄除け開運お祓いのあと、縁結び良縁達成の祝詞(のりと)を読み上げます。
お祭りに参加された方には「開運こづち」を無料授与。
片方の石からもう一方の石へと目を閉じたまま歩いて無事にたどり着けると恋の願いが叶うという、本殿前の「恋占いの石」のお祓いが行われます。
また恋占いおみくじやえんむすびお守り、新年エト絵馬、破魔矢を求める参拝者で例年最高の人出となります。新春のえんむすび祈願の受付もしている。

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"おいない"の京都最新情報

2018年 12月31日(月)


     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事】    
 
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 ★大晦日の除夜の鐘の音に誘われながら、元旦の朝にかけての迎春行事として全国的に知られている、祗園・八坂神社の「をけら詣り」。参拝後、境内の鉄灯籠に鑚火式で灯された「をけら火」(をけらは古く日本書紀にも記載されている薬草で、疫病を祓うとされる)から竹の繊維で編んだ「吉兆縄」に点火し、火が消えないようにくるくると回しながら家路につき、持ち帰った火で神棚の灯明を灯し、元旦の大福茶やお雑煮の種火にすると、一年の無病息災や心願成就を祈るとご利益があると言われてれている。
午後七時一〇分ごろ、境内三カ所の灯籠に火がともされ、くべられた木札が勢いよく炎を上げた。参拝者は縄に火を付け、消えないようにくるくると回した。公共交通を利用する参拝者向けに、今年から火消し用の水桶が設けられた。
お寺が多い京の大晦日は、一年の締めくくり、煩悩を洗い落とす鐘の音がそこら中から響き渡る。
 
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 晦日に除夜の鐘を撞いたり見学できる京都の寺院
 ■洛 北■            ■洛 東■
   鞍 馬 寺             東 福 寺
   勝 林 寺             知 恩 院
   浄 蓮 華 院            方 広 寺
                   真 如 堂
 ■洛 中■              清 水 寺
    報 恩 院              高 台 寺
   本 満 寺             長 楽 寺
   相 国 寺             青 蓮 院
   清 浄 華 院            南 禅 寺
   誓 願 寺            永 観 堂
   壬 生 寺            金 戒 光 明 寺
                   頂 妙 寺
 ■洛 西■              百万遍知恩寺
   妙 心 寺             毘 沙 門 堂
   印 空 寺                 
   大 覚 寺           ■洛 南■
   天 龍 寺             醍 醐 寺 
   常 寂 光 寺
   二 尊 院
   善 峯 寺
       真宗高田派 専修寺京都別院

 
              総 括
今年一年間、京都を愛する京都人より京都の最新情報・不定期便 “おいないの京都最新情報”をご笑読頂きまして誠に有難う御座いました。
一年間の京都の歳時記を振り返るには、私のブログをご覧頂ければ、全てを収録しているつもりでおりますのでご参照ください

"おいない"の京都最新情報

 

 

[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

 
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★西日本屈指の初詣参拝者数を誇る伏見稲荷大社で二十六日、巨大なしめ縄が本殿前に張られた。参拝者たちが年の暮れを実感しながら作業を眺めていた。
しめ縄は長さ約八メートル、直径約〇.・二メートルで重さ約六〇キロ。穂が付いたままの稲が約五十本垂れている特徴がある。毎年、南丹市美山町の農家が奉納している。
午後一時すぎ、本殿前でしめ縄をはらい清めた後、神楽女や神職たちが作業を始めた。はしごに登ったり、先端に金具を付けた棒を使ったりしながら高さ三メートル余りの本殿のはりにしめ縄を張った。さらに清めの意味があるウラジロと呼ばれるシダの葉や和紙でできた紙垂(しで)を取り付けた。

"おいない"の京都最新情報

2018年 12 月 27日(日)


     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 ★大みそかを前に、土宗総本山の知恩院京都市東山区)で二十七日、「除夜の鐘」の試し突きが行われた。
僧侶が掛け声とともに綱を引くと、境内や東山のふもとに重く低い音が響き渡った。

境内南東の大鐘楼(重文)では、僧侶約三〇人が念仏を唱えた後、橦木(しゅもく)につながる太い親綱や細い子綱を交代で手にした。親綱を握る僧侶は「えーい、ひとーつ」の掛け声を発し、体をのけ反らせて突いた。参拝者らはダイナミックな動きに圧倒されながら見入っていた。 知恩院の鐘は一六三六(寛永十三)年に造られた。平穏な世を祈って一〇八回打つ。
僧侶が鐘の下に集まり念仏を唱え、一人ずつ交代で一本の親綱と十六本の子綱を手にした。撞木最前部の親綱を手にした僧侶が「えーい、ひとーつ」と発声。「そーれ」と息を合わせ体をのけ反らせながら鐘を突くと、周囲に「ゴーン」と低い音が響き渡った。
知恩院の大鐘は高さ三・三メートル、直径二・八メートル、重さ約七十トンで日本三大梵鐘(ぼんしょう)の一つとされる。三十一日は午後十時四十分から一〇八回突かれる。
 
   2018年 12月 28日(月)  
                       
     【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
 
 
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 祇園・八坂神社では大晦日から元日の朝にかけて授与されるおけら火の火種をおこす儀式「鑚火式」が行われる。(非公開)。
午前四時、本殿で狩衣・烏帽子姿の宮司が檜の杵と臼をこすりあわせて火をおこします。
キク科の植物であるオケラをくすべておけら火とするのは、 火に投じられたオケラの臭気により疫神を除くと考えられたためといわれています。
「をけら灯籠」に移された火は、本殿内に年中絶やすことなく灯しつづけられます。
 
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 左京区狸谷山不動院で十二月二十八日、「しまい不動」が行われる。
平安京東北の鬼門を守護する不動明王が祀られる狸谷不動院桓武天皇勅願によって祭祀されたものといいます。この日護摩法要が行われ、多数の参拝客が年の締めくくりに訪れます。
  


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"おいない"の京都最新情報

  2018年 12月 24日(月)


     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
 ★新春を前に、石清水八幡宮で二十四日、竹を使った高さ約八メートルの「ジャンボ御神矢(ごしんや)」が本殿前に設置された。厄よけ開運や必勝祈願の御利益がある象徴として、参拝者を迎える。
御神矢は、鎌倉時代元寇(げんこう)の際、白羽の鏑矢(かぶらや)が同宮から飛び、敵軍がその音を台風と勘違いして退散したとの伝説にちなむ。
神職らは境内に生える直径約二十センチのモウソウチクを切り出して、白羽に見立てた板を取り付け、楼門前に2本、御神矢を授与する神楽殿前に1本を立てた。来年二月三日の節分まで飾られる。
 
   2018年 12 月 25日(火)

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
 ★新年を前に、浄土宗の宗祖・法然上人の木像のほこりを落とす「御身拭(おみぬぐい)式」が二十五日、東山区知恩院で行われた。
集会(しゅうえ)堂に集まった修行僧や檀(だん)信徒、市民ら約八〇〇人が木魚を鳴らし、読経する中、僧侶がお香で清めた絹布で丁寧に像を拭き、今年の無事に感謝した。

江戸時代から三五〇年以上続く伝統行事。一年間のうちに、僧侶や参拝者の心に、知らず知らずのうちにたまった罪を除くという目的もある。
午後一時、僧侶四人が黒光りする法然像を、堂内の宮殿(くうでん)から金色の輿(こし)に乗せて慎重に運び出した。マスクで口を覆った伊藤唯真門跡らがゆっくりと像の前まで進み、真っ白な布を顔や体にそっとあてて拭いた。
 
 ★京都の一年を締めくくる縁日「終(しま)い天神」が二十五日、上京区北野天満宮であった。
家族連れが正月飾りなどを買い求め、境内は一足早い迎春の雰囲気に包まれた。
天満宮の祭神・菅原道真の誕生日と命日にちなみ、毎月二十五日に開かれる縁日は「天神さん」の愛称で親しまれている。年の瀬の終い天神には例年約十五万人の参拝者が訪れる。
参道には骨董品や古着、園芸品など約千軒の出店が軒を連ねた。しめ飾りや来年のえと・とりの置物、ハボタンなど正月用品も並び、訪れた人々は店主との会話を楽しみながら品物を吟味していた。