"おいない"の京都最新情報

2018年 5月 5日(土)


      [葵 祭シリーズ] 
 
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 ★北区・上賀茂神社では五月五日、一日の足汰式で決まった出走馬がいよいよ登場し、天下泰平と五穀豊穣を祈願する行事「賀茂競馬会(くらべうまえ)神事」が行われた。
 競馬は平安時代からの勇壮な神事で、平安中期・堀河天皇の寛治七(一〇九三)年に宮中武徳殿の儀式を移して上賀茂神社に奉納されて以来、九百年以上今日まで続いている。
一〇九三年、内裏の女官達が菖蒲の根の長短を競う遊びで賀茂社の菖蒲の根が長く、勝利を射止めたため、その御礼として競馬を奉納したのが始まりとされる
早朝より頓宮遷御(とんぐうせんぎょ)、菖蒲根合わせの儀などが行われる本殿祭の後、午後から乗尻は左右に分かれ、左方は打毬(たぎゅう)、右方は狛鉾(こまぼこ)の舞樂装束を着け、馬に乗って社頭に参進します。
勧盃、日形乗、月形乗、修祓、奉幣の儀を行い、次いで馬場にて順次競馳(きょうち)します。(京都市登録無形民俗文化財に登録)
その様子は『徒然草』等にも書かれており、蓋し天下の壮観です
メーンの競馬会の儀では、二頭の馬が一馬身差でスタートし差が広がったか狭まったかで勝敗が決まる。
「馬出しの桜」から「勝負の紅葉」までの勝負を競い、判定役が赤扇を挙げると左方の勝ち、青扇を挙げると右方の勝ちです。
 一の鳥居からニの鳥居にかけて芝生西側の馬場で赤色の「左方」と黒色の「右方」の組に分かれ、二馬ずつ六回勝負する。左方の勝ち数が多い年は豊作とされている。
 
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 左京区下鴨神社で「歩射神事」が行われる。
宮中古式により弦や鏑矢で邪気を祓い、弓矢で葵祭りの沿道を清め無事を祈る神事。
まずは射手が弓を鳴らす「蟇目式(ひきめしき)」で四方の邪気を祓います。
二本の矢を楼門の屋根を越えて飛ばす「屋越し式」、大きな的を射る「大的式」、連続で矢を射る「百矢式」などが執り行われる。
以上四つで「鳴玄蟇目神事(めいげんひきめしんじ)」と呼ばれ、これもまた葵祭りの安全祈願とされています。 
 
    [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]     
 
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 ★縁結びの神として知られる東山区清水寺境内地主神社で五月五日、例大祭「地主祭」が営まれた。
家内安全・土地守護・事業繁栄・良縁達成を祈願するお祭りで、約千年前の天禄元年、円融天皇行幸の際、勅命により行われた臨時祭がその起源。
雅楽、白川女、武者、稚児などの行列は時代絵巻さながらです。かつて地主桜を御所に献上した様子を、白川女が当時そのままに伝えます。
 《神幸祭
地主神社』ののぼりを先頭に、神宮、巫女、白川女などの列が、地主神社本殿前を出発します。そして子供みこし、稚児、武者などと合流して、雅楽の調べも賑やかに清水坂、三年坂、茶碗坂などを練り歩きます。神社に戻り、そこで家内安全、無病息災、事業繁盛、世界平和などを祈願する祭典が行われます。
 
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 ★「馬の神様」として知られる伏見区・藤森神社で(五月一日~五日)、藤森祭があり、五日には「駆馬神事」(京都市登録無形民俗文化財)が奉納される。
藤森神社は「菖蒲(しょうぶ)の節句」発祥の地と伝わり、転じて「勝負」の神として信仰を集める。江戸時代には各藩の馬術指南役や町衆が、曲芸的な馬術を競うようになったという。
駆馬神事は、七八一年、早良親王陸奥の反乱へ出陣する際、藤森神社で必勝を祈願したことにちなむ。
新緑に覆われた鳥居から拝殿までの参道約百八十㍍の馬場で疾走する馬の上で、乗子が逆立ちして敵をあざける「杉立ち」、敵の矢を避けて前傾姿勢で駆ける「手綱潜り」、や敵矢が当たったと見せかけて身をのけぞらせる大技「藤下がり」、馬上で文字を書く妙技などアクロバティックな技が魅力を見せ、観客を驚嘆させた。事前の練習はなく、乗子はぶっつけ本番で技に挑む。
境内では、巫女(みこ)や武者姿の時代行列もにぎやかに練り歩いた 
藤森神社駈馬神事
◇ 駈馬の技(わざ)は下記の通り。◇
一、 手綱潜り 敵矢の降りしきる中、駈ける技
二、 逆乗り(地藏) 敵の動静を見ながら、駈ける技
三、 矢払い 敵矢を打払いながら、駈ける技
四、 横乗り 敵に姿を隠して、駈ける技
五、 逆立ち(杉立ち) 敵を嘲りながら、駈ける技
六、 藤下がり 敵矢の当たったと見せて、駈ける技
七、 一字書き 前線より後方へ情報を送りながら、駈ける技
 
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 ★「西陣の祭」として知られる今宮神社が五日、始まった。
千年以上前に今宮社が創建された平安時代に、疫病退散を祈願した「御霊会」に由来する
華麗に飾られたみこし三基と氏子ら約八〇〇人の行列が、御旅所まで練り歩いた。
「八乙女」と呼ばれる童女が神社で舞を奉納した後、行列が御旅所を目指した。先頭の太鼓に合わせて牛車や祭鉾が華やかに進んだ。参拝者にお茶を振りかける「湯立祭」は六日、還幸祭は十一日に行われる。

"おいない"の京都最新情報

2018年 5月 3日(木・祝)
 

    【葵 祭 シリーズ】
 
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 左京区下鴨神社で、葵祭の道中の安全を願う疾駆する馬の上から的を射る「流鏑馬ヤブサメ)神事」が葵祭の露払いとして五月三日営まれる。
新緑の糺の森のトンネルを駆け抜ける馬上から射手が矢を放ち的を射抜く。
「カーン」という的が割れ飛ぶ音と共に、観衆の拍手と歓声で盛り上がる。この流鏑馬は、飛鳥時代の伝統を受け継ぐとされる。
平安装束や江戸時代の平騎射(ひらきしゃ)の装束を身につけた射手が、全力疾走の馬上から、「インヨウイ」(陰陽射)、「ヤーオ」(矢追う)の矢声(やごえ)を発し、一〇〇㍍ごとに置かれた三つの的に矢を放った。木製の的に当たると「カーン」と甲高い音を響かせ、観客席から大きな拍手と歓声が上がった。
明治時代から途絶えていたのが一九七三年(昭和四十八)年の式年遷宮を記念して復興した。
葵祭の道中の安全を願う神事で、古式ゆかしい公家装束姿の弓馬術礼法小笠原流一門が全長約四百㍍の馬場を疾走し、途中百㍍間隔に三ヶ所設けられた五十㌢四方の杉板の的をめがけて馬上から次々と矢を放ち、射終わるまでわずか二十秒足らずの、一瞬の業に集中する迫力いっぱいの神事。本殿で社頭(しゃとう)の儀があり、葵祭の道中の無事と天下太平を祈った後、神職が射手に弓矢を手渡した。
下鴨神社宮内庁から譲り受けた馬車が登場する。
神事の後、射手が馬に乗り、南から北へ約四〇〇メートルの馬場をさっそうと駆け抜けながら、三つの的に向けて次々と弓を引いていった。放たれた矢が大きな音を響かせて杉板の的に当たると、観覧席から大きな拍手と歓声が上がっていた。
 
     【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
 
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 左京区狸谷山不動院で五月三日、無病息災などを祈願する「狸谷山大般若祈願会」が行われた。
赤々と燃えさかる本堂で、春の新緑の時期に毎年行っている法要。
本堂内にたかれた火に願い事を記した護摩木をくべ、護摩導師と読経僧二人が、六百卷からなる大般若経を、左右の手の間で流れ落とすように開いて転読し、朗々とした声が響く中、参拝者は本尊に向けてこうべを垂れて合掌し、お経を唱和した。
転読は、蛇腹状の経本を扇のように広げて大般若経を読み進める法要。転読の際に起きる風「梵風」を浴びると無病息災の御利益があるとされる。体から邪気を払う「たたき加持」も行われ、参拝者一人一人の肩を経本でたたいた。
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★中京区・二条城清流園で五月三日から各流派による「市民煎茶の会」が始まった。
煎茶の会は毎春実施され、今年で六十四回目。  
新緑の美しい庭園を眺めながら、煎茶各流派の御茶席を楽しめる。
煎茶六流派が五日まで三日間、普段は公開していない香雲亭と和楽庵で点前を披露する。
茶席券 一枚 二〇〇〇円
一席につき約二十人の参加者に、家元と弟子が流派のいわれや軸、花を説明した。
観光客や市民が初夏のさわやかな風を感じながら煎茶の香りを楽しみ、若葉がまぶしい庭園を眺めながら、優雅なひとときを過ごした。
当日は国宝の二の丸御殿、狩野派の襖絵、二の丸庭園も公開中です。
拝観料 大人 五百円。 別途 一食 五百円が必要。
        [葵 祭シリーズ
 
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 葵祭のヒロイン、斎王代が祭りを前に身を清める行事「御禊(みそぎ)の儀」が四日、上賀茂神社であった。
見物客たちは、みやびに儀式を行う十二単(ひとえ)姿の斎王代に見入っていた。
フタバアオイを髪に挿した斎王代が朱色の楼門をくぐり、御手洗(みたらし)川をまたぐように建てられた橋殿(はしどの)(国の重要文化財)に入った。おはらいを受け、橋殿の北端に進んですっと両手を伸ばし、神職から川でくんだ水を手にかけてもらって身を清めた。
御禊の儀は、葵祭の前儀として一九五六年に創設され、下鴨、上賀茂両神社で隔年交代で行われる。上賀茂神社では、通常は御手洗川に手を差し入れる。
 
         [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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 宮本武蔵一乗寺下り松で決闘する直前にお参りした神社が、ここ八大神社です。
宵宮祭では六色の大風流花笠が氏子地域を巡行。 夜八時時頃には、神社から下がり松にかけてかがり火が焚かれます。
神幸祭では、御輿、重要文化財の剣鉾などが巡行。
車などが一乗寺一帯の各町から出発し、十五時頃から八大神社に集まります。
氏子域が広いため、午前中は白川通りより西側、午後は東側を巡行します。
 

 

"おいない"の京都最新情報

 

2018年 5月 3日(木・祝) 

【葵 祭 シリーズ

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 左京区下鴨神社で、葵祭の道中の安全を願う疾駆する馬の上から的を射る「流鏑馬ヤブサメ)神事」が葵祭の露払いとして五月三日営まれる。
新緑の糺の森のトンネルを駆け抜ける馬上から射手が矢を放ち的を射抜く。
「カーン」という的が割れ飛ぶ音と共に、観衆の拍手と歓声で盛り上がる。この流鏑馬は、飛鳥時代の伝統を受け継ぐとされる。
平安装束や江戸時代の平騎射(ひらきしゃ)の装束を身につけた射手が、全力疾走の馬上から、「インヨウイ」(陰陽射)、「ヤーオ」(矢追う)の矢声(やごえ)を発し、一〇〇㍍ごとに置かれた三つの的に矢を放った。木製の的に当たると「カーン」と甲高い音を響かせ、観客席から大きな拍手と歓声が上がった。
明治時代から途絶えていたのが一九七三年(昭和四十八)年の式年遷宮を記念して復興した。
葵祭の道中の安全を願う神事で、古式ゆかしい公家装束姿の弓馬術礼法小笠原流一門が全長約四百㍍の馬場を疾走し、途中百㍍間隔に三ヶ所設けられた五十㌢四方の杉板の的をめがけて馬上から次々と矢を放ち、射終わるまでわずか二十秒足らずの、一瞬の業に集中する迫力いっぱいの神事。本殿で社頭(しゃとう)の儀があり、葵祭の道中の無事と天下太平を祈った後、神職が射手に弓矢を手渡した。
下鴨神社宮内庁から譲り受けた馬車が登場する。
神事の後、射手が馬に乗り、南から北へ約四〇〇メートルの馬場をさっそうと駆け抜けながら、三つの的に向けて次々と弓を引いていった。放たれた矢が大きな音を響かせて杉板の的に当たると、観覧席から大きな拍手と歓声が上がっていた。
 
     【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
 
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 左京区狸谷山不動院で五月三日、無病息災などを祈願する「狸谷山大般若祈願会」が行われた。
赤々と燃えさかる本堂で、春の新緑の時期に毎年行っている法要。
本堂内にたかれた火に願い事を記した護摩木をくべ、護摩導師と読経僧二人が、六百卷からなる大般若経を、左右の手の間で流れ落とすように開いて転読し、朗々とした声が響く中、参拝者は本尊に向けてこうべを垂れて合掌し、お経を唱和した。
転読は、蛇腹状の経本を扇のように広げて大般若経を読み進める法要。転読の際に起きる風「梵風」を浴びると無病息災の御利益があるとされる。体から邪気を払う「たたき加持」も行われ、参拝者一人一人の肩を経本でたたいた。
 
茶席券 一枚 二〇〇〇円
一席につき約二十人の参加者に、家元と弟子が流派のいわれや軸、花を説明した。
観光客や市民が初夏のさわやかな風を感じながら煎茶の香りを楽しみ、若葉がまぶしい庭園を眺めながら、優雅なひとときを過ごした。
当日は国宝の二の丸御殿、狩野派の襖絵、二の丸庭園も公開中です。
拝観料 大人 五百円。 別途 一食 五百円が必要。
 
    2017年 5月 4日(季・祝)
 
   [葵 祭シリーズ]
 
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葵祭のヒロイン、斎王代が祭りを前に身を清める行事「御禊(みそぎ)の儀」が四日、上賀茂神社であった。
見物客たちは、みやびに儀式を行う十二単(ひとえ)姿の斎王代に見入っていた。
フタバアオイを髪に挿した斎王代が朱色の楼門をくぐり、御手洗(みたらし)川をまたぐように建てられた橋殿(はしどの)(国の重要文化財)に入った。おはらいを受け、橋殿の北端に進んですっと両手を伸ばし、神職から川でくんだ水を手にかけてもらって身を清めた。
御禊の儀は、葵祭の前儀として一九五六年に創設され、下鴨、上賀茂両神社で隔年交代で行われる。上賀茂神社では、通常は御手洗川に手を差し入れる。
 
         [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 
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宮本武蔵一乗寺下り松で決闘する直前にお参りした神社が、ここ八大神社です。
宵宮祭では六色の大風流花笠が氏子地域を巡行。 夜八時時頃には、神社から下がり松にかけてかがり火が焚かれます。
神幸祭では、御輿、重要文化財の剣鉾などが巡行。
車などが一乗寺一帯の各町から出発し、十五時頃から八大神社に集まります。
氏子域が広いため、午前中は白川通りより西側、午後は東側を巡行します。
 

 

"おいない"の京都最新情報

 2018年 5月 1日(火)

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

神護寺:「虫払い」 「伝源頼朝像」2018年

右京区高雄・神護寺では、恒例の「宝物虫払い」行事が五月一日~五日まで行われる。
弘法大師空海)直筆の古文書や源頼朝平重盛を描いたと伝わる国宝の肖像画など、普段は見ることのできない寺宝を参拝者が間近に鑑賞した。
虫払い行事が行われていたことを示す一六三七(寛永十四)年の文書が見つかったのを契機に、寺が一九五四年に復興させた。今年で六十一年目となる。
会場の書院には、国宝や重文を含む計七〇点の寺宝が展示されている。真言宗を開いた空海弘法大師)が行った密教の重要儀式の記録「灌頂暦名(かんじょうれきみょう)」(国宝)には、天台宗を開いた最澄伝教大師)の名前も記されている。平安時代に描かれ、衣の色から「赤釈迦(しゃか)」の別名がある釈迦如来像(国宝)や、後白河法皇の手形が押された「文覚四十五箇条起請文」(国宝)や平安後期の「釈迦如来(しゃかにょらい)像」(同)なども並んだ。
虫払いは博物館などに寄託している宝物を寺で見てもらおうと毎年五月に開催している。五日まで。有料。

鴨川納涼床:「床開き 」2018年 
 京都の初夏も川面の涼風はや夏情緒!一日から鴨川納涼床の「床開き」

★京都も風薫る素晴らしい季節となってきました。 京都の夏の風物詩として数えられ広く親しまれている「鴨川の床」が今年も早々と、みそそぎ川(鴨川の右畔に沿って流ている人工の浅瀬の川)の上に立ち並び、木屋町の二条→五条間の九十八店の料理屋・各種飲食店・喫茶店や三条→四条間の先斗町お茶屋さんの川床が五月一日より開床!!!。
みそそぎ川のせせらぎの音も優しく、四季折々の自然を映して、京都の町中を流れる鴨川。いにしえの都人は、加茂の河原に桟敷や几を配し、遠来の客を遇しました。
こうした風情を現代伝えたのが「鴨川の床」です。
ずっと以前は六月一日~八月三十一日まの期間を本床「鴨川の納涼床」と呼び賑っておりましたが、近年「皐月の床」五月一日~五月三十一日:「後涼み」九月一日~九月三十日となり、五ヶ月の長期間にわる京の風物詩となりました。 爽やかな五月に催している「皐月の床」この時節は新緑の東山を眺め、川面をわたる爽風に吹かれながらのお昼のひとときを、又夕食の京料理をと古都ならではの贅沢を堪能されては如何ですか…… (但し、雨の日は床は楽しめません)。

鴨川納涼床:床開き ’
 木屋町御池の料理旅館「幾松」では、島原の太夫や宮川町の芸舞妓が舞を披露。客は太夫や芸舞妓のもてなしを受けながら、旬の食材を使った料理や酒を楽しんだ。
長刀鉾祇園囃子保存会が今夏初めて「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)を奏で、舞妓が来客をもてなした。
※ 「鴨川納涼床」は特許庁により地域ブンド商標(登録商標)として認定され、全国的にもますます知名度が向上しているようです。

     2018年 5月 2日(水)

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]    

石清水八幡宮:「「石清水灯燎華(とうりょうか)」2018年  
 石清水八幡宮は国宝の本殿や、参道などをライトアップする特別拝観「石清水灯燎華(とうりょうか)」を催す。灯籠で照らされた境内が幻想的な雰囲気に包まれた。
二〇〇〇年から毎年開催している。本殿では、憤怒した八幡大菩薩ら神様を描いた掛け軸「篝火御影(かがりびのみえい)」を特別公開。清峯殿には、石清水祭の復興援助を申し出る「岩倉具視書状」(重要文化財)と「神祇官(じんぎかん)達書」(同)の初公開二点を含む二十一点の文化財を並べる。笛や和楽器の奉納、茶席(有料)もある。
午後九時まで。拝観料千円(小中学生五〇〇円、境内参拝は無料)。当日限定で月夜に浮かぶ社殿をデザインした「石清水灯燎華本蒔絵(まきえ)朱印帳」(三〇〇〇千円)を授与する。
清峯殿では三~六日午前九時から午後四時まで「神仏霊場会発足一〇周年記念特別展」も開催する。五〇〇円
 
大田神社:「大田ノ沢のカキツバタ」2018 年
 ★北区上賀茂の大田神社で、国の天然記念物に指定されているカキツバタが見頃を迎えている。新緑の境内に上品な紫が映え、訪れる人たちの目を楽しませている。
境内に広がる約二〇〇〇千平方メートルの大田ノ沢に、約二万五千株が群生している。平安時代歌人藤原俊成が一面のカキツバタをいちずな恋心に例えて詠むなど、古くから名所として親しまれてきた。
今年は例年より一週間ほど早く開花したといい、今月十七日ごろまで楽しめる見込み。境内は、季節の風物詩を堪能しようと訪れた観光客で賑わっている。
真如堂:「雪をかぶった様に咲くナンジャモンジャ」
 ★「ナンジャモンジャ」の別名があるヒトツバタゴの花が、左京区真如堂(真正極楽寺)で見頃になった。雪のようにふわふわと咲く花に、訪れた人が見入っている。
モクセイ科の落葉樹で中国原産。名前のよくわからない珍しい木として「何じゃもんじゃ」との名で呼ばれる。同寺では「涅槃(ねはん)の庭」に植えられ、高さ二〇メートル近くに育った木が先週末に一気に開いた。雪をかぶったように見える大木を参拝者が見上げている。
今週末ごろまで楽しめそうだという。午前九時時~午後四時。五日は正午まで。六日休み。拝観料五〇〇円。

"おいない"の京都最新情報

2018年 4月 29日(日)
    [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

大原女まつり 2018年

★炭や薪を頭に載せ、京の都で売り歩いた大原女(おはらめ)の衣装を時代ごとに再現する「大原女時代行列」が二十九日、左京区の大原地区で行われた。
地元の小中学生や公募の女性約六〇人が、室町から大正での時代衣装に身を包み、新緑がまぶしい山里を歩いた。
大原観光保勝会が毎年春に実施している「大原女まつり」のメーン行事で、今年で三十九回目。
手ぬぐいを頭にかぶり、紺地の着物に赤いたすきを掛けて大原女に扮した女性たちは、午後一時すぎに寂光院を出発。訪れた外国人観光客たちが、大原女姿の子どもたちに向かってカメラのシャッターを切っている光景が見られた。
行列は約二キロを二時間ほどかけて進み、三千院や勝林院を参拝した。

          2018年 5月 1日(火)

     【葵 祭 シ リ ー ズ】

上賀茂神社:「足汰式」 2018年

★北区・上賀茂神社で五月五日の「賀茂競馬会(クラベウマエ)神事」を前に、本番に備えて出走する十頭の馬の状態を確かめ、組み合わせを決める「足汰式」(アシゾロエ)が五月一日、境内の馬場で行われた。  「競馬会」はもともと宮中で行われてた神事。
一〇九三(寛治七)年に天下平や五穀豊穣を祈願して宮中から上賀茂神社に場所を移して始まったとされ、今年で九百二十三年目。無形民俗文化財に登録されている。
「足汰式」は、乗尻(ノリジリ)と呼ばる騎手は神社の神職を代々務めた社家子孫が担う。乗尻が使う鞭や馬の足を内の川で清め、馬の毛並みや歯を診て健康状態や馬齢を確認する。
続いて十頭の馬が一ずつ素駆けで馬場を走り、乗尻の姿勢や鞭の作法などを披露。最後に同じような状態の頭ずつが左右に分かれ、直線約百五十㍍の馬場を、芝を蹴り上げ全力で競う。
     【花 街 シ リ ー ズ】

鴨川おどり 2018年

★若葉もすがすがしい新緑の京都にひときわ彩りを添える京の「春のをどり」の最後を飾るにふさわしい舞妓、芸妓の舞・「第百八一回鴨川をどり」が芸舞妓があでやかな王朝絵巻や愉快な道中記を繰り広げて舞台を彩った。
鴨川をどりは、明治五年の初演以来、長年の伝統に裏づけられた確かな伎芸で、京の年中行事として欠くことの出来ないものとなっています。
◆開催期間  五月一日(月)~二十四日(木) 
◆開演時間  午後十二時三十分~、二時二十分~、四時十分、(一日三回公演)
◆観覧料   茶券付特別席:四千八百円・特別席:四千二百円・普通席:二千三百円
鴨川をどりは一八七二年に始まり、年二回公演の時期を経て、一八一回目を迎えた。今回は二部構成で芸舞妓四十八人が出演する。
西洋古典を原作にした創作喜劇や、芸舞妓によるあでやかな舞踊に、招待客が見入った。
第一部の「空想(そらおも)い」は、シェークスピアの「真夏の夜の夢」を大胆に脚色した空想劇。森の妖精や人間が引き起こす恋の騒動が、軽やかに演じられた。
続く「花姿彩京七小町(はなのいろどりきょうななこまち)」では、京都の歴史に名をとどめた女性たちを舞で表現した。天下一の白拍子と評された静御前、歌舞伎の祖とされる出雲の阿国、江戸時代に名妓とうたわれた吉野太夫らにまつわる逸話を、それぞれの衣装と踊りで描いた。

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

千本ゑんま堂・ゑんま堂狂言:[ゑんま庁」    

千本ゑんま堂・ゑんま堂狂言:「千人切り」
§上京区・千本閻魔堂(引接寺)で五月一日から四日まで恒例の「大念狂言」がそれぞれ始まった§
★「千本えんま堂大念仏狂言」は壬生寺、峨釈迦堂とならぶ京の三大念仏狂言の一で、ほとんどの演目でセリフが入るのが特徴。寛仁年間(一〇一七~二十一)に比叡山の高僧・定覚が布教のために大念仏踊りを始めたが起こりとされる。
えんま堂にちなみ、幕開けは、ゑんま堂の狂言で数少ない無言劇の「えんま庁」。不思議な力がある巻物を持った亡者をいじめる鬼が、ゑんま法王らによって追放される話。
初番は必ず「閻魔庁」が、最終には「千人切り」が演じられます。
足利義満が普賢象桜をめでたのが縁で、花の盛りに行われる。  

"おいない"の京都最新情報

2018年 4月 29日(日)

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]



★長年使ってきた畳に感謝しようと、全国畳産業振興会が二十八日、日本唯一の「畳供養」がおこなわれる『畳寺の畳まつり』が、「浄土宗大本山 清浄華院で開催された。
畳職人や山伏が見守る中、古畳を組んだ護摩壇で、市民が畳の思い出をつづった手紙やござが焚(た)き上げられた。
畳の需要が年々減っている中で、「畳と暮らす心」を思い出してもらおうと、二〇一五年から初企画した。畳替えによる新たな需要も喚起したいとする。
この日は、僧侶らによる読経の後、十年以上使用した畳で組まれた護摩壇に、全国から寄せられた約一六〇〇通の思い出の手紙や、畳職人が願いを記した「護摩ござ」が燃やされた。参加した人たちはそれぞれの畳との生活に思いをはせていた。
会場の「浄土宗大本山 清浄華院」は、境内の真ん中に約二〇〇畳の畳が敷かれた「大殿」があることから「畳寺」とも呼ばれ、畳職人が多く訪れる場所である。実際の供養は、浄土宗の伝統的な儀式にのっとり、全国より集められた願いの書かれた古ゴザの「畳の護摩ゴザ」を、古畳で作られた「畳の菰」に入れて幽玄な炎で供養する。開催日の四月二十九日は、原材料のイグサが緑いっぱいに育つとして「畳の日」に制定されている。
今年から「畳供養」以外に、畳の歴史や伝統を体感できるイベントを増やし、『畳寺の畳まつり』へと進化。畳職人による「手縫い製作」の披露のほか、カラフルな畳などの「畳珍百景」コーナーも登場する。また、まつりの日限定で「大殿」の畳のイメージと、「畳寺」の文字を合わせた特別なデザインの御朱印もいただける。入場は無料。




★「壬生さんのカンデンデン」の愛称で知られる国の重要無形民俗文化財壬生狂言」の春の公開が二十九日、中京区の壬生寺で始まった。
『ガンデンガン』の囃子に合わせて演じられる軽妙な無言劇・壬生狂言は、鎌倉時代壬生寺を興隆させた円覚が、民衆に仏の教えを身振りで伝えたのが始まりとされる。
七百年の伝統を伝え、重要無形文化財の指定を受けて、三十曲を受け継いでいる。
素焼きの皿を豪快に割る「炮烙割(ほうらくわり)」など五演目が上演され、集まった大勢の観客を沸かせた。
「壬生大念仏会」に上演される最初の演目は、太鼓屋が炮烙売りとけんかし、厄除けの炮烙を割るという「炮烙割」。
炮烙割は、市場の出店順を巡る太鼓売りと炮烙売りとの争いを描いて因果応報を伝える演目。鉦(かね)と太鼓、笛の音に合わせ、仮面を付けた演者がユーモラスな所作で笑いを誘った。太鼓売りが高さ約三メートルの舞台から約一一〇〇枚の炮烙を落とすと、大きな拍手が湧き起こった。
最後に、節分の日に家族の年齢や性別を墨書きして奉納された千枚以上の炮烙が舞台の上から落とされる
これが見事に割れると、災いから逃れ福を招くといわれている。
壬生狂言鎌倉時代の一三〇〇年、壬生寺の中興の租・円覚上人が、声が届かないほど大勢集まった群衆に身ぶり手ぶりで仏の教えを説くために始まったと伝わる。
五月五日まで。炮烙割は連日午後一時からの初番。有料。
大人 一〇〇〇円  ※ 二月、十月にも催される。



★ゴールデンウイークがスタートし、京都の社寺は大勢の人でにぎわった。伏見区の城南宮では、平安貴族の歌遊びを再現する「曲水の宴」が催された。
曲水の宴は、古代中国に始まり、日本では奈良時代から平安中期にかけて宮中の年中行事として催された。城南宮は毎年春と秋に行っている。
今春の歌題は、見頃を迎えた城南宮のフジにちなんで「藤花久匂(ふぢのはな ひさしくにほふ)」。公卿や女官の装束をまとった六人の歌人に歌題が示された後にあいにくの雨となり、小川がある庭園から神楽殿に会場を移した。

"おいない"の京都最新情報

2018年 4月 28日(土)
        [京 の 季 節 の 花 だ よ り]

★宇治の“花の寺”三室戸寺で、花の園の開園です!
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つつじ二万万株、しゃくなげ一千株が紫・ピンク・白の花を見事に咲かせます。
つつじには多くの品種がありますが、三室戸寺のものはほとんど平戸ツツジです。 その数なんと二万株!関西の寺社ではナンバーワン。 霧島つつじ、久留米つつじ等も咲き誇る四月末から五月初め頃が見頃と思います。 京都のつつじの名所「つつじ寺」とも呼ばれる三室戸寺へ是非鑑賞に行かれてはいかがですか。
しゃくなげ
四月下旬より五月中旬にかけて一千株の石楠花(しゃくなげ)が、三重塔を望む山の北斜面に、 赤ピンク 白の中に紫色の斑入りの西洋シャクナゲが咲きます。
 
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