"おいない"の京都最新情報
【祇 園 祭 シ リ ーズ】
祇園祭は平安時代初めの貞観十一年(八六九)全国に疫病が流行したとき、神泉苑に祇園社のおみこしを迎えて素盞鳴尊(すさのおのみこと)をお祀りし、病気平癒・開運除災を祈ったことに始まる。
祇園祭は山鉾巡行と共に終わるのではありません。山鉾巡行の後、夕方より久世駒形稚児の乗った馬が先導し、祭神を奉じた中御座、東御座、西御座の三基が八坂神社の石段下に集まった。三基の神輿が西門前に集結し一斉に差し上げられると祭ムードは最高潮。
差し上げを行った後、ご神宝捧持の行列を先頭に氏子地域を練り、四条新京極の御旅所まで「東御座」・「中御座」・「西御座」の三基の神輿が深夜まで渡御する。
蒸し暑さが残る中、三基は飾り金具の音を鳴らして祇園界わいや河原町通の商店街などを勇壮に進み、深夜には御旅所にそろった。祇園祭でもっとも重要な神事。山鉾の行事と一体となって成り立っている。
二十四日の還幸祭(おかえり)までお旅所に鎮座する。
南観音山では早朝から、手伝方と呼ばれる職人十二人が作業に追われた。くぎを使わず、部材に荒縄を巻いて木槌で締める伝統的な技法「縄がらみ」で手際よく組み上げていった。通行人が足を止めて見上げたり、観光客が熱心にカメラを向けたりしていた。
後祭で巡行する山鉾一〇基は二十一日までに立ち並ぶ。北観音山と南観音山、大船鉾は二十日にそれぞれ「曳初(ひきぞ)め」を行う。巡行は二十四日。
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先頭の長刀鉾は午前九時に四条烏丸交差点を出発する。四条麸屋町で稚児が「注連縄(しめなわ)切り」を行い、山一番の占出山が続く。巡行順を確認する「くじ改め」は四条堺町、鉾や曳山(ひきやま)が豪快に進行方向を変える「辻回し」は四条河原町、河原町御池と御池新町で見られる。
夕方からは神幸祭があり、三基の神輿(みこし)が東山区の八坂神社を出発する。午後六時半ごろに石段下で「差し上げ」をした後、氏子地域を練って四条通寺町の御旅所に向かう。
次の山場、辻角での「辻回し」が行われる四条河原町交差点や河原町御池交差点では、竹を敷いて水をまき、車輪を乗せると山鉾が車方の技と掛け声と共に、曳き子が一気に向きを変える。直角に方向転換する豪快なシーン「勇ましく山鉾の向きを変える辻回しからのパワー」は観衆を魅了する。
山鉾巡行に囃される祗園囃子は各鉾によってその曲はそれぞれ異なる。
「渡り囃子」などと呼ばれる優雅で荘厳な奉納曲を奏で、四条通を進んできた山鉾は、四条河原町での交差点での見せ場、方向転換する「辻回し」で車輪を横滑りさせて、三回に分けて向きを変える時、辻回しの曲のテンポを次第に早め、辻回しの角度に合わせて、囃子が徐々に盛り上がる「唐子」が醍醐味。
河原町通で北を向くと囃子の曲調が一転して賑やかな「戻り囃子」に切り替わり、祭りを楽しむ開放感と活気がみなぎる。
終盤、地元鉾町に近づくと鉦や笛、太鼓の音色が一体となり、囃子は頂点に達する。各鉾とも奉納曲はいくつも用意されている
※午前九時にスタートして約二.八㌔の巡行コースを約三時間半かけて祭礼絵巻が繰り広げられる。
鉾建ての作業は通常、曳初(ひきぞ)めまでの二~三日間で終えるが、大船鉾には経験者がいないため、万全を期そうと前祭(さきまつり)巡行の直後から取りかかった。
午後、まだ香りが残るまっさらなヒノキ製の部材を運び込んだ。作事方と呼ばれる大工たちが手際よく組み上げ、船の形をした鉾の骨組みが姿を現した。
後祭で巡行する十基の山鉾のうち、大船鉾と北観音山、南観音山は二十日までに鉾を建てて同日午後に曳初めする。二十一日までに全ての山鉾が立ち並ぶ。
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供養祭は、新選組の屯所に近く、ゆかりの深かった壬生寺が主催した。新選組が長州や土佐などの志士の密談に討ち入った「池田屋事件」が一八六四年七月十六日の祇園祭宵山前日に起きたことにちなんで、毎年祇園祭の宵山の日に営んでいる。
貫主が供養文を読み上げ、お経を唱える中、だんだら模様の羽織姿の京都新選組同好会の隊士をはじめとした参列者が次々と焼香していった。
「祇園さんのお献茶」として親しまれている一九四六(昭和二十一)年に始まり、表千家と裏千家が一年交代でお手前を披露している。今年は裏千家の担当で、太鼓の音を合図に本殿で儀式が始まり、家元が霊泉「八坂の神水」を用いて濃茶と薄茶を一服づつたて、神職の手で神前に供える。
そばにある別棟の能舞台では長刀鉾の囃子方が奉納する祇園囃子が響き、荘厳な祭り情緒が漂った。 御献茶式には京都の茶道関係者だけでなく、全国から茶人が集まる。
約千枚の参列券が発行されているが、参列できるのは先着の百五十人程度のみ。
そこで、神社境内とその周辺に拝服席・副席・協賛席の茶席が設けられる。
山鉾巡行が行われる十七日の好天を祈る行事「日和神楽(ひよりかぐら)」が十六日夜、京都市中心部であった。三十三の山鉾町のうち、大船鉾を含めた十三の山鉾町の囃子方が、四条通寺町東入ルの八坂神社御旅所を目指した。
山陰地方の石見神楽は、国の無形文化財に指定されており、八坂神社の主祭神・素戔嗚尊(すさのうのみこと)が八俣大蛇(やまたのおろち)を退治し悪霊を秡ったという神話を、笛・太鼓・鉦の囃で演じます。
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【京 の 季 節 の 花 だ よ り】
★ハスの花が見ごろを迎えている宇治・三室戸寺の五〇〇〇坪の広大な庭園に、名物の蓮「大洒錦(たいせいきん)」など約一五〇種、二五〇鉢の蓮を見ることができます。
また、この時期の風物詩である中国から伝わった風情ある趣向を楽しむ、ハス酒を楽しむ会が催されます。
蓮酒とは、「象鼻杯」と言って蓮の葉に酒を注ぎ茎を通して日本酒を味わう。
直径四十㌢ほどの大きな葉を手のひらで持ち、信徒が竹筒から葉に注ぐ日本酒を、茎をストローにしてゆっくり吸って飲み、少し苦みのある味を堪能した。
茎の樹液にミネラル分が含まれ、健康長寿の御利益があるという。健康・長寿を願う慣例行事で、用意された蓮の葉と日本酒が昼までになくなってしまうというほどの人気のイベントです。
【祇 園 祭 シ リ ーズ】
祇園祭短章
日本三大祭の一つ、祇園祭の起源は一一〇〇年以上前にさかのぼり、疫病退散を祈願して当時の国の数に当たる六十六本の矛(ほこ)を立てたことに由来し、平安時代中期から毎年、祭が行われている。
応仁の乱と昭和の戦時中に一時、巡行は中止されたが、町衆の力で祭は受け継がれた。
巡行する三十三基の鉾や山を飾る染織品など懸装品にはヨーロッパなどから伝来したものも多く、国の重要文化財に指定された品も多い。
正に山鉾行事は京都が誇る「動く美術館」とも言われる。
★祇園祭の夜を彩る宵山は二十四日の後祭(あとまつり)巡行が復活したのを受け、宵山も前祭(さきまつり)と分かれ、開催エリアも二つに分割される。前祭では歩行者天国が一日減って二日間となり、露店も減少する。近年、絶大な集客力を誇ってきた京都随一の観光イベントだが、客足や祭りの趣にも変化が見られそうだ。
山鉾巡行前の宵山期間には、各町で懸装品の展示や厄よけちまきの販売、祇園囃子の披露などを行っている。かつては前祭と後祭それぞれに伴っていたが、一九六六年に後祭が前祭に統合されて合同巡行となったのを機に宵山も一本化。歩行者天国が当初の一日から三日間に増え、時に一晩で四十万人を超える人であふれる観光行事となってきた。
後祭復活を受け、宵山も元の形に戻す。前祭は昨年までと同様、十四日~十六日に行われるが、開催エリアは十七日に巡行する山鉾二十三基の町内で、錦小路通より南が中心となる。後祭は二十一~二十三日に十町で行う。
前祭と後祭の山鉾が同時に立つことはなく、町会所での販売や展示も、後祭の鯉山を除いて、ともに当該の期間内でしか行わない。
露店と歩行者天国(四条通、烏丸通)はいずれも前祭の十五、十六日だけで例年より一日減らす。露店数は「六二〇店ほどの申請」という。狭い道路に露店がひしめき、身動きがとれないほどの混雑を招いてきたが、府警が規制に乗り出したことに加え、地元の祇園祭山鉾連合会からも露店の削減を求める要望が寄せられていた。
後祭では露店は出ず、歩行者天国の設定もない。前祭とは異なり、静かに風情を味わえる祭りとなりそうだ。
巡行前の恒例行事。前祭と後祭に分割されたのに伴い、先に前祭の山伏山と霰(あられ)天神山を巡拝した。
山伏山では、山伏十人が町会所に祭られたご神体の「浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)」像を参拝した後、町内の一角に設けられた祭壇の前で護摩たきを行った。
炎天下の中、山伏たちが汗だくになりながら護摩木を燃やし、般若心経を唱えたり、ほら貝を吹き鳴らしたりする姿に、市民や観光客らが手を合わせて見守った。
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社参は「神の使い」となるための儀式。
稚児はこの日から地面に足を着けることが許されず、精進潔斎して十七日の巡行当日、注連縄を切って三十二基の山鉾の巡行を告げる大役を務める。
クジャクの羽で飾った「チョウトンボ」と金の烏帽子(えぼし)をかぶった狩衣姿で、「強力」に担がれて白馬に乗り、二人の禿を従えて、四条通を東へ八坂神社の南門で馬を下り、本殿でお祓いを受けた後、神木の杉の葉でくるんだ「杉守り」を授かり、神の使いとなる。
同時に「五位少将、十万石」大名の格式を得たとみなされ、「お位もらい」とも呼ばれる。
頭につけたくじゃくの羽根飾り「蝶(ちょう)とんぼ」は約二〇〇年ぶりに新調した。狩衣の下につける衣装も約四〇年ぶりに作り直し、瑞雲(ずいうん)に鳳凰(ほうおう)が舞う豪華な文様が袖を彩った。