"おいない"の京都最新情報

 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

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★節分が過ぎると、やさしい香りがしだす京の町に間もなく春を告げる上京区北野天満宮で、梅の花をこよなく愛した菅原道真の命日にちなみ、遺徳をしのぶ「梅花祭」が二月二十五日開かれる。
満開の梅の花の美しさと香りに誘われ、本殿の神事では、祭神・道真の霊を「なだめる」という音に通じる「菜種」を冠に付けた神職が、古式にのっとり梅の枝や約四十キロの蒸し米などを神前に供えた。
梅苑(約一.六ヘクタール)と境内合わせて約二千本の梅の木が並び、種類も五十種以上と豊富で、道真の命日に当たるこの日に毎年行われている。約九〇〇年前から続く神事と、安土桃山時代豊臣秀吉が境内で催した「北野大茶会」にちなむ野点大茶湯がある。本殿近くの仮設テントの下で行われた。
紅白に彩る梅の花の風情や三光門西広場での茶席「野点大茶湯」は、色とりどりの着物姿で上七軒の芸舞妓や女将ら約四十人による野点を、ちらほら咲きから満開の早咲き梅花を愛でながら、参拝者は春の訪れを満喫し楽しんでいた。
宝物殿も特別に公開され、「梅花祭と天神さま今昔写真展」が開かれている。
絵馬殿に、縦約七十センチ、横約一メートルのパネル七十枚を並べ、昨年の祭典や茶会の様子や、約百年前の境内、市電の走る周辺の町並みなどの風景も紹介している。恒例の縁日・「天神市」と共に楽しめます。
 
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"おいない"の京都最新情報

    【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

 
 ★京都の花街の祇園甲部歌舞会は二十二日、春の公演「都をどりin春秋座」のプログラム用写真の撮影を、祇園甲部歌舞練場で開いた。
耐震工事に向け休館中のため、今年は京都造形芸術大(左京区)の春秋座で公演する。慣れ親しんだ歌舞練場で撮影に臨んだ芸舞妓は、本番への思いを新たにしていた。
今回の演目は春秋座の場所にちなんだ「洛北名所逍遥(そぞろあるき)」。貴船の川床鞍馬山の牛若丸の伝承などを題材に計六景を披露する。
フィナーレは、洛北から歌舞練場に場面が移り、しだれ桜を背景に総踊りで締めくくる。
四月一日~二十三日(十日、十七日休演)。午後一時、同二時四十五分、同四時半の三回公演。三五〇〇円、茶席券付き四六〇〇円。期間中、歌舞練場の庭園を特別公開する。有料だが公演チケットがあれば無料。

 伏見区醍醐寺で「五大力さん」の名で親しまれる「五大力尊仁王会」の法要が二月二十三日営まれた。
五大力さん」とは醍醐寺にある五大堂の五菩薩の事で、衆生済度、現世利益の霊験あらたかだとか。
本尊・準提観音の眷属である五大力菩薩が開帳され、不動明王など五大明王の力にあやかり、国の安穏、無病息災、万民豊楽を祈願する山伏による法要が行われる。約千百余年の歴史がある。
僧侶が一週間かけて祈祷した「五大力尊御影」と呼ばれる災難・盗難よけのお札やお守りがこの日だけ授与される。
 ☆恒例の風物詩、豪快に巨大な鏡もちを持ち上げる時間を競う餅あげ怪力奉納がある。
五大力さん」と親しまれ、国の平和や家族の健康を祈る醍醐寺最大の法要「五大力尊仁王会」の関連行事。「力」を奉納すると御利益が得られるとして、戦後に始まった。
当日の呼び物「鏡餅上げ力競べ大会」では国宝金堂前広場であり、男性が百五十㌔、女性が九十㌔の鏡餅を上げて力比べをします。
優勝者にはこの大鏡餅が授与されます。
男性が一〇代~六〇代の三十六人、女性が十六人と男女四十四人が挑戦。
はたして今年の力持ちは・・・?
「男性の部」は獣医師平井敏雄さん(六十一才)=兵庫県姫路市=が五分十九秒で、優勝した。
「女性の部」は、エアロビクス講師田中幸子さん(四十五才)=向日市=が十二分五秒で優勝した。

 
左京区・聖護院山内積善院準提堂でも山伏による五大力尊法要があり、柱源護摩供養の後、本堂に高らかに響き渡るほら貝の音。経を唱えながら山伏が次々と護摩木をくべていくお札焼があり、普段は公開していない五大力菩薩図像が本堂で開帳され、家を盗難などから守るという魔除けのお札「御影」を買い求めるのに賑わった。 粕汁の無料接待があります。
★洛北の風物詩・上賀茂神社周辺で二月二十四日、少年の成長を祝う「幸在(さんやれ)祭」が営まれる。
元服の風俗にならい、「あがり」と呼ばれる数え年で十五歳の少年を一人前の大人として祝う儀式で、上賀茂神社の氏子町で受け継がれてきた

「幸在(さんやれ)祭」は元服にならって子どもの成長を山の神に報告する儀式で、江戸初期にはすでに営まれていたという。
真新しい大島紬の羽織と着物に白いマフラー姿の「あがり」の少年らは、打ち鳴らされる鐘の音に合わせて太鼓を叩き、「おーめーでとーごーざーるー」と独特の節回しのはやしを演奏。
「ダイショウギ」と呼ばれる緑の葉のついた枝を持って、氏神大田神社や地域を巡り、沿道の住民の出迎えや祝福を受け、最後に上賀茂神社に到着。本殿でお祓いを受け大人の仲間入りを報告し祈祷する。
 

"おいない"の京都最新情報

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事
 
京都の花街で春の公演が迫ってきた二十一日、上七軒で「北野をどり」、宮川町で「京おどり」のプログラム用の写真撮影がそれぞれ行われた。華やかな舞台衣装に袖を通した芸舞妓が、カメラの前で本番さながらのしぐさを披露した。
 
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上七軒「北野をどり」
春の公演で最も早く開幕する上七軒歌舞会の「第六十五回北野をどり」(三月二十五日~四月七日)の撮影は、会場の上七軒歌舞練場で行われた。
黒色の裾引き姿の芸妓と色とりどりの衣装の舞妓がそろうと華やかな雰囲気に包まれた。
今年は二部制で芸舞妓二十六人が出演する。第一部は歌舞伎仕立ての舞踊劇「ゑにしの宮 末はひとつになる物語」。江戸時代の縁結びの神社を舞台に、身分の違う若い男女の恋物語を詩情豊かに表現する。
第二部は、純舞踊「旅情ところどころ」で、東北や九州、四国に伝わる民謡や伝統行事を題材にした多様な踊りと音楽を披露する。出演者全員の「上七軒夜曲」で華やかに終幕する。
期間中は午後一時半、同四時の二回公演。四三〇〇円、茶席券付き四八〇〇円。当日のみ学割二八〇〇円。
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 ★宮川町「京おどり」
宮川町歌舞会の「第六十八回京おどり」(四月一~十六日)の写真撮影は、会場となる宮川町歌舞練場で行われた。
雪景色が見える座敷を背景にした舞台で、舞妓たちが細やかにポーズを確かめていた。
今年は「月華抄(げっかしょう)」と題した全九景の演目で、芸舞妓六十人が出演する。前半の第一~四景は「竹取物語」を題材にしたファンタジックな舞踊絵巻を展開する。
第五景以降は、黒紋付の芸妓による「百年の寿」や、かつての港町のにぎわいを表現した「風流宮津節」、金閣寺など京都の名所を芸妓が艶(あで)やかな舞で表現する「名花の花舞」などを次々と披露する。豪華絢爛(けんらん)な総踊り「宮川音頭」でフィナーレを飾る。
期間中は午後〇時半、同二時半、同四時半の三回公演。二二〇〇円四八〇〇0円。当日のみ学割千円。
 

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    ★第五回記念大会と位置付けた「京都マラソン2017」が十九日、右京区西京極陸上競技場をスタート。
左京区平安神宮前にフィニッシュする四十二.一九五キロのコースで行われ、初マラソンに挑む選手、二人でたすきをつなぐペア駅伝の夫婦やカップル、車椅子で駆ける(六・一キロ)選手、アップダウンが激しく折り返しも多い起伏の激しい難コースで知られる京都マラソンに、さまざまな背景を持った一万六千人が出場した。 
  
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"おいない"の京都最新情報

【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

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 ★北区・上賀茂神社では、昔の人が春を待ちきれず野原に出て若菜を摘んだように、白装束の神職が境内で小さな松の苗を摘み取って神前に供え、早春の草花を採取して神に春の訪れを告げる祭祀、
神山の麓で際官達が姫小松を引き、玉箒草をそえて神前献上する「燃灯祭」が二月十八日に行われる。
もともと二月の二番目の子の日に若菜を採って遊宴を開いた宮中行事に由来する。
「乙子(おとね)神事」とも言われ、平安時代には貴族らが盛んに行い、和歌にも詠まれたが、春の到来を尊び宴遊した「野辺の遊び」を神事化したもので、いつのまにか一年の健康を祈願する神事に変わったという。八人の神職が約三十センチの松を丁寧に引き取り、玉箒草(タマボウキソウ)(別名・燃灯草)とともに紙に包んで本殿に奉納。
境内には和歌愛好家らが詰めかけ、ゆっくりと松を摘む珍しい神事を見つめていた。
   
 
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   [京 の 季 節 の 花 だ よ り]                
 
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★ しだれ梅と椿まつり
城南宮の神苑・楽水苑では、源氏物語に登場する一〇〇余種の草木があり、「春の山エリア」に植栽された一五〇本余りの紅白のしだれ梅は、二月下旬から咲きそろい始め、追って三〇〇本もの様々な椿が開花します。
巫女が「梅が神楽」を舞う。美容健康と招福を祈願した梅の花守りの特別授与。
神職による案内もあります。 二月十八日 ~三月二十二日
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 (今日現在の梅だより)  (十七日)
つぼみふくらむ・・二条城、、随心院、青谷梅林、
ちらほら咲き・・・北野天満宮梅宮大社、城南宮、京都御苑、、

 

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 仏教の祖、釈迦が亡くなった日とされる十五日、東山区清水寺経堂で涅槃図の公開が始まった。
釈迦の入滅を狩野派の画家山口雪渓(一六四三~一七三二年)が描いた図で、参拝者たちはじっくり見入ったり、手を合わせたりして遺徳をしのんだ。
涅槃図は、縦約三・九メートル、横約三メートル。満月の夜に沙羅双樹(さらそうじゅ)の下に横たわる釈迦を、弟子や動物が取り囲む様子が描かれている。
午前九時ごろに僧侶たちが釈迦三尊像の隣に掲げられた涅槃図の前で読経し、紙製の花をまく散華を行って釈迦の遺徳をたたえた。同日は、「りょうけいさん」と親しまれた大西良慶貫主の命日でもあり、追善法要が営まれた。
涅槃図の公開は二十一日までの午前九時から午後四時まで。自由に拝観できる。
 

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 天台宗(総本山・延暦寺大津市)の森川宏映(こうえい)座主が十四日、西本願寺で、平安時代に日本の浄土教の基礎を築いた僧侶恵心僧都源信(九四二~一〇一七年)の千年忌法要を営んだ。
天台座主が導師として西本願寺で法要を営むのは史上初。両寺院から十人ずつ僧侶が出仕し、阿弥陀経や念仏を共に唱えた。
源信は、延暦寺のある比叡山の横川(よかわ)地域を拠点に浄土教を研究。その主著「往生要集」は、後に比叡山で学んだ浄土宗の宗祖法然(一一三三~一二一二年)、浄土真宗の宗祖親鸞(一一七三~一二六二年)に大きな影響を与えた。一方で、鎌倉時代室町時代には、延暦寺法然の墓や当時の大谷本願寺を破壊するなどした歴史がある。
森川座主は、西本願寺の大谷光淳(こうじゅん)門主と懇談後、午後二時半から、源信の絵像が掲げられている阿弥陀堂で法要に臨んだ。参拝者約千人が見守る中、森川座主が本尊の阿弥陀如来立像の前に着座すると、延暦寺僧侶による声明が響き渡った。両寺院の僧侶は紙製の花をまく散華をしたり、よく似た節回しのお経を唱えたりして源信の遺徳をたたえた。
十七日には、東山区の浄土宗総本山・知恩院で、森川座主が源信の千年忌法要を営む。

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 餅上げ力奉納で知られ、「五大力さん」の呼び名で親しまれる五大力尊仁王会に先だって営む前行法要が十五日、伏見区醍醐寺で始まった。
国宝の金堂で五つの護摩壇に火が付けられ、参拝者が祈りをささげた。
五大力尊仁王会平安時代から続く法要で、不動明王など五つの明王の力を授かり、国の平和や人々の幸せを願うとされる。
前行法要は一週間で二十一回あり、延べ約千人の僧侶が金堂にこもって営む。この日は午後三時に始まり、五十人余りの僧侶が真言や般若心経を唱えた。
五つの護摩壇からそれぞれ火柱が勢いよく上がると、参拝者は火柱に護摩木をくべ、静かに目を閉じて経を唱えながら健康や家内安全を祈願し、手を合わせていた。
五大力尊仁王会は二十三日に営まれる。